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茶の本 / 第四章 茶室・四畳半と維摩の経文

わが国の偉い茶人は皆禅を修めた人であった。そして禅の精神を現実生活の中へ入れようと企てた。こういうわけで茶室は茶の湯の他の設備と同様に禅の教義を多く反映している。正統の茶室の広さは四畳半で維摩の経文の一節によって定められている。その興味ある著作において、馥柯羅摩訶秩多(二七)は文珠師利菩薩と八万四千の仏陀の弟子をこの狭い室に迎えている。これすなわち真に覚った者には一切皆空という理論に基づくたとえ話である。さらに待合から茶室に通ずる露地は黙想の第一階段、すなわち自己照明に達する通路を意味していた。露地は外界との関係を断って、茶室そのものにおいて美的趣味を充分に味わう助けとなるように、新しい感情を起こすためのものであった。

書き下し

わが国の偉い茶人は皆禅を修めた人であった。そして禅の精神を現実生活のなかへ入れようと企てた。こういうわけで茶室は、茶の湯の他の設備と同様に禅の教義を多く反映している。正統の茶室の広さは四畳半で、維摩の経文の一節によって定められている。その興味ある著作において、維摩は文珠師利菩薩と八万四千の仏陀の弟子をこの狭い室に迎えている。これすなわち、真に覚った者には一切皆空という理論に基づくたとえ話である。さらに待合から茶室に通ずる露地は、黙想の第一階段、すなわち自己照明に達する通路を意味していた。露地は外界との関係を断って、茶室そのものにおいて美的趣味を充分に味わう助けとなるように、新しい感情を起こすためのものであった。

現代語訳

わが国の偉い茶人は皆、禅を修めた人でした。そして禅の精神を現実の生活の中に入れようと試みました。こういうわけで茶室は、茶の湯の他の設備と同じく禅の教義を多く映しています。正統の茶室の広さは四畳半で、維摩の経文の一節によって定められています。その興味深い著作において、維摩は文殊菩薩と八万四千の仏弟子をこの狭い部屋に迎えています。これは、真に覚った者には一切が空であるという理論に基づくたとえ話です。さらに待合から茶室へ通じる露地は、黙想の第一段階、すなわち自らを照らすことに達する通路を意味していました。露地は外界との関係を断ち、茶室そのものにおいて美的な趣味を十分に味わう助けとなるよう、新しい感情を起こすためのものでした。

解説

四畳半という寸法の根拠が、維摩経の一場面に求められます。維摩が狭い部屋に八万四千の弟子を迎えたという話で、狭さが広さと矛盾しないことを示す寓話です。空を悟れば大小の別はないという理屈が、畳の枚数として実装されている。そして露地は、外の世界を切る通路として位置づけられる。建物の各部分に思想の役割が割り当てられているのが、この章の面白さです。

この章句が説くこと

四畳半維摩露地境界

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