学問のすゝめ / 六編・国法の貴きを論ず・これを私裁と名づけその罪免すべからず
右のごとく、国民は政府と約束して政令の権柄を政府に任せたる者なれば、かりそめにもこの約束を違えて法に背くべからず。人を殺す者を捕えて死刑に行なうも政府の権なり、盗賊を縛りて獄屋に繋ぐも政府の権なり、公事訴訟を捌くも政府の権なり、乱暴・喧嘩を取り押うるも政府の権なり。これらの事につき、国民は少しも手を出だすべからず。もし心得違いして私に罪人を殺し、あるいは盗賊を捕えてこれを笞うつ等のことあれば、すなわち国の法を犯し、みずから私に他人の罪を裁決する者にて、これを私裁と名づけ、その罪免すべからず。この一段に至りては文明諸国の法律はなはだ厳重なり。いわゆる威ありて猛からざるものか。わが日本にては政府の威権盛んなるに似たれども、人民ただ政府の貴きを恐れてその法の貴きを知らざる者あり。今ここに私裁のよろしからざる所以と国法の貴き所以とを記すこと左のごとし。
書き下し
右のごとく、国民は政府と約束して政令の権柄を政府に任せたる者なれば、かりそめにもこの約束を違えて法に背くべからず。人を殺す者を捕えて死刑に行なうも政府の権なり、盗賊を縛りて獄屋に繋ぐも政府の権なり、公事訴訟を捌くも政府の権なり、乱暴・喧嘩を取り押うるも政府の権なり。これらの事につき、国民は少しも手を出だすべからず。もし心得違いして私に罪人を殺し、あるいは盗賊を捕えてこれを笞うつ等のことあれば、すなわち国の法を犯し、みずから私に他人の罪を裁決する者にて、これを私裁と名づけ、その罪免すべからず。この一段に至りては文明諸国の法律はなはだ厳重なり。いわゆる威ありて猛からざるものか。わが日本にては政府の威権盛んなるに似たれども、人民ただ政府の貴きを恐れてその法の貴きを知らざる者あり。今ここに私裁のよろしからざる所以と国法の貴き所以とを記すこと左のごとし。
現代語訳
右のように、国民は政府と約束して政令の権限を政府に任せた者ですから、かりそめにもこの約束を違えて法に背いてはなりません。人を殺した者を捕えて死刑に処すのも政府の権限、盗賊を縛って牢に繋ぐのも政府の権限、訴訟を裁くのも政府の権限、乱暴や喧嘩を取り押さえるのも政府の権限です。これらの事について、国民は少しも手を出してはなりません。もし心得違いをして勝手に罪人を殺し、あるいは盗賊を捕えてこれを笞打つようなことがあれば、それは国の法を犯し、自分勝手に他人の罪を裁決する者であって、これを私裁と名づけ、その罪は許せません。この点に至っては文明諸国の法律は非常に厳重です。いわゆる威厳はあるが猛々しくない、というものでしょうか。わが日本では政府の威権が盛んなように見えますが、人民はただ政府の尊さを恐れて、その法の尊さを知らない者があります。今ここに私裁のよくない理由と、国法の尊い理由とを記すこと次の通りです。
解説
この章句が説くこと
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