武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・数項の刑法明文が根絶せしめた
夫れ正義の觀念にして充足せらるべくんば、何ぞ更に又た敵討を要とせんや。然るに新英州の一神學者の評するが如くに、敵討の若し果して、『犧牲の生血に渴し、之に飽かんことを欲するの希望を餌食とする餓虎の心念』を意味するものなりとせば、僅に數項の刑法明文の、直ちに之を根絕せしめたる事、焉んぞ能く今日の如くなるを得んや。切腹も亦た法度上、旣に其存在を認めざるに至りたりと雖、吾人は猶ほ徃々敢て之を行ふものあるを聞く。而して過去の記憶の繼續せん限り、これを耳にすることあるべし。自殺宗信者の數は、世界中懼るべき速力を以て、增加しつゝあるものなるを以て、無痛瞬時の新自殺法は多く行はるゝに至らん。されど自殺論の著者モルセリー教授は、必ずや切腹を以て、自殺の貴族的なるものとなすに同意せん。
新字:夫れ正義の観念にして充足せらるべくんば、何ぞ更に又た敵討を要とせんや。然るに新英州の一神学者の評するが如くに、敵討の若し果して、『犠牲の生血に渴し、之に飽かんことを欲するの希望を餌食とする餓虎の心念』を意味するものなりとせば、僅に数項の刑法明文の、直ちに之を根絶せしめたる事、焉んぞ能く今日の如くなるを得んや。切腹も亦た法度上、旣に其存在を認めざるに至りたりと雖、吾人は猶ほ往々敢て之を行ふものあるを聞く。而して過去の記憶の継続せん限り、これを耳にすることあるべし。自殺宗信者の数は、世界中懼るべき速力を以て、增加しつゝあるものなるを以て、無痛瞬時の新自殺法は多く行はるゝに至らん。されど自殺論の著者モルセリー教授は、必ずや切腹を以て、自殺の貴族的なるものとなすに同意せん。
書き下し
それ正義の観念にして充足せらるべくんば、何ぞ更に又た敵討を要とせんや。然るに新英州の一神学者の評するが如くに、敵討のもし果して『犠牲の生血に渇し、之に飽かんことを欲するの希望を餌食とする餓虎の心念』を意味するものなりとせば、わずかに数項の刑法明文の、直ちに之を根絶せしめたる事、いづくんぞ能く今日の如くなるを得んや。切腹も亦た法度上、既に其存在を認めざるに至りたりと雖、吾人はなお往々、敢て之を行ふものあるを聞く。而して過去の記憶の継続せん限り、これを耳にすることあるべし。自殺宗信者の数は、世界中懼るべき速力を以て増加しつつあるものなるを以て、無痛瞬時の新自殺法は多く行はるるに至らん。されど自殺論の著者モルセリ教授は、必ずや切腹を以て、自殺の貴族的なるものとなすに同意せん。
現代語訳
そもそも正義の観念が満たされるなら、どうしてさらに敵討を必要としましょう。しかしニューイングランドのある神学者が評したように、敵討がもし本当に、犠牲者の生き血に渇き、それに飽きることを望む希望を餌とする飢えた虎の心を意味するものだとすれば、わずか数条の刑法の明文がただちにそれを根絶したということが、どうして今日のようにありえたでしょうか。切腹もまた法の上ではすでに存在を認められなくなりましたが、私たちはなお時折、あえてこれを行う者があると聞きます。そして過去の記憶が続く限り、これを耳にすることはあるでしょう。自殺を信奉する者の数は、世界中で恐るべき速さで増えつつあるので、苦痛のない瞬時の新しい自殺法が多く行われるようになるでしょう。しかし自殺論の著者モルセリ教授は、必ず切腹を自殺の貴族的なものだと認めることに同意するでしょう。
解説
この章句が説くこと
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