学問のすゝめ / 五編・明治七年一月一日の詞・野に遺賢なしと言いてこれを悦ぶ者あり
今わが国においてかのミッヅル・カラッスの地位に居り、文明を首唱して国の独立を維持すべき者はただ一種の学者のみなれども、この学者なるもの時勢につき眼を着すること高からざるか、あるいは国を患うること身を患うるがごとく切ならざるか、あるいは世の気風に酔いひたすら政府に依頼して事をなすべきものと思うか、おおむね皆その地位に安んぜずして去りて官途に赴き、些末の事務に奔走していたずらに身心を労し、その挙動笑うべきもの多しといえども、みずからこれを甘んじ、人もまたこれを怪しまず、はなはだしきは「野に遺賢なし」と言いてこれを悦ぶ者あり。もとより時勢の然らしむるところにて、その罪一個の人にあらずといえども、国の文明のためには一大災難と言うべし。文明を養いなすべき任に当たりたる学者にして、その精神の日に衰うるを傍観してこれを患うる者なきは、実に長大息すべきなり、また痛哭すべきなり。
書き下し
今わが国においてかのミッヅル・カラッスの地位に居り、文明を首唱して国の独立を維持すべき者はただ一種の学者のみなれども、この学者なるもの時勢につき眼を着すること高からざるか、あるいは国を患うること身を患うるがごとく切ならざるか、あるいは世の気風に酔いひたすら政府に依頼して事をなすべきものと思うか、おおむね皆その地位に安んぜずして去りて官途に赴き、些末の事務に奔走していたずらに身心を労し、その挙動笑うべきもの多しといえども、みずからこれを甘んじ、人もまたこれを怪しまず、はなはだしきは「野に遺賢なし」と言いてこれを悦ぶ者あり。もとより時勢の然らしむるところにて、その罪一個の人にあらずといえども、国の文明のためには一大災難と言うべし。文明を養いなすべき任に当たりたる学者にして、その精神の日に衰うるを傍観してこれを患うる者なきは、実に長大息すべきなり、また痛哭すべきなり。
現代語訳
今わが国であのミドルクラスの地位にいて、文明を唱えて国の独立を維持すべき者は、ただ一種の学者だけです。しかしこの学者なるものは、時勢について着眼が高くないのか、あるいは国を憂えることが自分を憂えるほど切実でないのか、あるいは世の気風に酔ってひたすら政府に頼って事をなすものと思うのか、おおむねみなその地位に安んじないで去って官職に赴き、些細な事務に走り回っていたずらに身も心も労し、その振る舞いには笑うべきものが多いのに、自らこれに甘んじ、人もまたこれを怪しまない。甚だしくは、野に賢者が残っていない、と言ってこれを喜ぶ者さえあります。もとより時勢がそうさせるところで、その罪は一個人にあるのではないとはいえ、国の文明のためには一大災難と言うべきです。文明を養うべき任にある学者が、その精神が日に日に衰えるのを傍観して憂える者がないのは、実に長大息すべきであり、また痛哭すべきです。
解説

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