学問のすゝめ / 五編・明治七年一月一日の詞・小児の家内に育せられて
古来わが国治乱の沿革により政府はしばしば改まりたれども、今日に至るまで国の独立を失わざりし所以は、国民鎖国の風習に安んじ、治乱興廃、外国に関することなかりしをもってなり。外国に関係あらざれば、治も一国内の治なり、乱も一国内の乱なり、またこの治乱を経て失わざりし独立もただ一国内の独立にて、いまだ他に対して鋒を争いしものにあらず。これを譬えば、小児の家内に育せられていまだ外人に接せざる者のごとし。その薄弱なることもとより知るべきなり。
書き下し
古来わが国治乱の沿革により政府はしばしば改まりたれども、今日に至るまで国の独立を失わざりし所以は、国民鎖国の風習に安んじ、治乱興廃、外国に関することなかりしをもってなり。外国に関係あらざれば、治も一国内の治なり、乱も一国内の乱なり、またこの治乱を経て失わざりし独立もただ一国内の独立にて、いまだ他に対して鋒を争いしものにあらず。これを譬えば、小児の家内に育せられていまだ外人に接せざる者のごとし。その薄弱なることもとより知るべきなり。
現代語訳
古来わが国は治乱の移り変わりによって政府はたびたび改まりましたが、今日まで国の独立を失わなかった理由は、国民が鎖国の風習に安んじ、治乱興廃が外国に関わらなかったからです。外国に関係がなければ、治まるのも一国内の治まり、乱れるのも一国内の乱れ。またこの治乱を経て失わなかった独立も、ただ一国内の独立であって、まだ他国に対して矛先を争ったものではありません。これをたとえれば、小さな子が家の中で育てられて、まだ外の人に接していないようなものです。その弱さはもとより知れたことです。
解説
独立という言葉の中身が検証されます。これまで独立を失わなかったのは強かったからではなく、外と関わらなかったからだ、と。家の中で育った子どもがまだ外の人に会っていないだけ、という比喩が容赦ありません。実力が試されていない状態を独立と呼んでよいのか、という問いになっており、開国してはじめてその弱さが露わになる、という次の段へつながっていきます。
この章句が説くこと
鎖国独立未検証比喩弱さ
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