学問のすゝめ / 四編・付録・敵にあらず真の益友なり
三にいわく、「政府のほかに私立の人物、集まることあらば、おのずから政府のごとくなりて、本政府の権を落とすに至らん」と。答えていわく、「この説は小人の説なり。私立の人も在官の人も等しく日本人なり。ただ地位を異にして事をなすのみ。その実は相助けてともに全国の便利を謀るものなれば、敵にあらず真の益友なり。かつこの私立の人物なる者、法を犯すことあらばこれを罰して可なり、毫も恐るるに足らず」
書き下し
三にいわく、「政府のほかに私立の人物、集まることあらば、おのずから政府のごとくなりて、本政府の権を落とすに至らん」と。答えていわく、「この説は小人の説なり。私立の人も在官の人も等しく日本人なり。ただ地位を異にして事をなすのみ。その実は相助けてともに全国の便利を謀るものなれば、敵にあらず真の益友なり。かつこの私立の人物なる者、法を犯すことあらばこれを罰して可なり、毫も恐るるに足らず」。
現代語訳
三つ目はこうです。政府のほかに民間の人物が集まれば、おのずと政府のようになって、本来の政府の権威を落とすことになるだろう、と。答えて言います。この説は器の小さい人の説です。民間の人も官にいる人も等しく日本人です。ただ立場を異にして事を行うだけです。その実は互いに助け合ってともに全国の便利を図るものですから、敵ではなく真の友です。しかもこの民間の人物が法を犯すことがあれば罰すればよい。少しも恐れるに足りません。
解説
民間勢力の台頭を警戒する声への答えです。民間の人も官の人も等しく日本人で、立場が違うだけ、目的は同じだと返します。敵ではなく真の益友、という言い方が的確で、対立の図式そのものを解いています。そして法を犯せば罰すればよい、と付け加える。危険を管理する手立てがすでにあるのだから、存在そのものを恐れる必要はないという理屈で、警戒論の根を断っています。
この章句が説くこと
民間警戒益友立場法
関連する章句
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『墨子』非儒下民を存す。是に於いて其の禮を厚くし、其の封を留め、敬して見るも其の道を問わず。孔丘、乃ち景公と晏子とに志怒し、乃ち鴟夷子を樹てて田常の門に及ぼし、南郭子に欲する所を為すを告げ、魯に歸る。頃有りて、齊の将に魯を伐たんとするを間き、子貢に告げて曰く、「賜や、大事を今の時に舉げん」と。乃ち子貢を齊に遣わし、南郭惠子に因りて以て田常に見え、之に吳を伐つを勸め、以て髙・國・鮑・晏を教え、田常の亂を害するを得ざらしめ、越に吳を伐つを勸む。三年の内、齊・吳、國を破るの難あり、伏尸は術數を以て言う。孔丘の誅なり。
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・利あらざるものは必ず害あり以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。
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言志四録・南洲手抄晦に処る者は能く顕を見る。顕に拠る者は晦を見ず。
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『墨子』魯問子墨子、魯陽文君に謂いて曰く、「其の鄰國を攻め、其の民人を殺し、其の牛馬粟米貨財を取れば、則ち之を竹帛に書し、之を金石に鏤み、以て銘を鍾鼎に為し、後世の子孫に傳え遺して曰く、『我より多きは莫し』と。吾れ今、賤人なり。亦た其の隣家を攻め、其の人民を殺し、其の狗豕食粮衣裘を取り、亦た之を竹帛に書し、以て銘を席豆に為し、以て後世の子孫に遺して曰く、『我より多きは莫し』と。其れ可ならんや」と。魯陽文君曰く、「然り。吾れ子の言を以て之を觀れば、則ち天下の所謂る可なる者は、未だ必ずしも然らざるなり」と。
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦物語に云く、故の鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に、日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大将の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の学人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、