学問のすゝめ / 四編・学者の職分を論ず・まさにこれをわが輩の任と言うべし
前条所記の論説はたして是ならば、わが国の文明を進めてその独立を維持するは、ひとり政府の能くするところにあらず。また今の洋学者流も依頼するに足らず、必ずわが輩の任ずるところにして、まずわれより事の端を開き、愚民の先をなすのみならず、またかの洋学者流のために先駆してその向かうところを示さざるべからず。今わが輩の身分を考うるに、その学識もとより浅劣なりといえども、洋学に志すこと日すでに久しく、この国にありては中人以上の地位にある者なり。輓近世の改革も、もしわが輩の主として始めしことにあらざれば暗にこれを助けなしたるものなり。あるいは助成の力なきもその改革はわが輩の悦ぶところなれば、世の人もまたわが輩を目するに改革家流の名をもってすること必せり。すでに改革家の名ありて、またその身は中人以上の地位にあり、世人あるいはわが輩の所業をもって標的となす者あるべし。しからばすなわち今、人に先だって事をなすはまさにこれをわが輩の任と言うべきなり。
書き下し
前条所記の論説はたして是ならば、わが国の文明を進めてその独立を維持するは、ひとり政府の能くするところにあらず。また今の洋学者流も依頼するに足らず、必ずわが輩の任ずるところにして、まずわれより事の端を開き、愚民の先をなすのみならず、またかの洋学者流のために先駆してその向かうところを示さざるべからず。今わが輩の身分を考うるに、その学識もとより浅劣なりといえども、洋学に志すこと日すでに久しく、この国にありては中人以上の地位にある者なり。輓近世の改革も、もしわが輩の主として始めしことにあらざれば、暗にこれを助けなしたるものなり。あるいは助成の力なきも、その改革はわが輩の悦ぶところなれば、世の人もまたわが輩を目するに改革家流の名をもってすること必せり。すでに改革家の名ありて、またその身は中人以上の地位にあり、世人あるいはわが輩の所業をもって標的となす者あるべし。しからばすなわち今、人に先だって事をなすは、まさにこれをわが輩の任と言うべきなり。
現代語訳
前の条に記した議論が正しいなら、わが国の文明を進めてその独立を維持することは、政府だけにできることではありません。また今の洋学者にも頼るに足りず、必ず私たちが引き受けるべきことであって、まず自分から事の糸口を開き、無知な民の先を行くだけでなく、あの洋学者のためにも先駆けて向かうべき方向を示さねばなりません。今、私の身分を考えると、学識はもとより浅く劣っているとはいえ、洋学を志してすでに日は長く、この国では中くらいより上の地位にある者です。近ごろの改革も、私が主として始めたことでなければ、陰でこれを助けたものです。あるいは助けた力がなくても、その改革は私の喜ぶところですから、世の人もまた私を改革家という名で見ることは確かです。すでに改革家の名があり、その身は中くらいより上の地位にある。世の人はあるいは私の行いを目印とする者があるでしょう。であれば今、人に先立って事を行うのは、まさに私の任務と言うべきです。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・利あらざるものは必ず害あり以上論ずるところを概すれば、今の世の学者、この国の独立を助けなさんとするに当たりて、政府の範囲に入り官にありて事をなすと、その範囲を脱して私立するとの利害得失を述べ、本論は私立に左袒したるものなり。すべて世の事物をくわしく論ずれば、利あらざるものは必ず害あり、得あらざるものは必ず失あり、利害得失相半ばするものはあるべからず。わが輩もとよりためにするところありて私立を主張するにあらず、ただ平生の所見を証してこれを論じたるのみ。世人もし確証を掲げてこの論説を排し、明らかに私立の不利を述ぶる者あらば、余輩は悦んでこれに従い、天下の害をなすことなかるべし。
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『墨子』非儒下民を存す。是に於いて其の禮を厚くし、其の封を留め、敬して見るも其の道を問わず。孔丘、乃ち景公と晏子とに志怒し、乃ち鴟夷子を樹てて田常の門に及ぼし、南郭子に欲する所を為すを告げ、魯に歸る。頃有りて、齊の将に魯を伐たんとするを間き、子貢に告げて曰く、「賜や、大事を今の時に舉げん」と。乃ち子貢を齊に遣わし、南郭惠子に因りて以て田常に見え、之に吳を伐つを勸め、以て髙・國・鮑・晏を教え、田常の亂を害するを得ざらしめ、越に吳を伐つを勸む。三年の内、齊・吳、國を破るの難あり、伏尸は術數を以て言う。孔丘の誅なり。
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
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『正法眼蔵随聞記』巻一亦物語に云く、故の鎌倉の右大将、始め兵衛佐にて有し時、内裡の辺に、日はれの会に出仕の時、一人の不当人ありき、其時の大納言あふせて云く、是を制すべしと、大将の云く、六波羅に仰せらるべし、平家の将軍なりと、大納言の云く、近か近かなればなりと、大将の云く、其の人に非ずと、是れ美言なり、此の心にて後には世をも治められしなり、今の学人も其心あるべし、其人にあらずして人を呵すること莫れ、
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言志四録・南洲手抄晦に処る者は能く顕を見る。顕に拠る者は晦を見ず。
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『墨子』魯問子墨子、魯陽文君に謂いて曰く、「其の鄰國を攻め、其の民人を殺し、其の牛馬粟米貨財を取れば、則ち之を竹帛に書し、之を金石に鏤み、以て銘を鍾鼎に為し、後世の子孫に傳え遺して曰く、『我より多きは莫し』と。吾れ今、賤人なり。亦た其の隣家を攻め、其の人民を殺し、其の狗豕食粮衣裘を取り、亦た之を竹帛に書し、以て銘を席豆に為し、以て後世の子孫に遺して曰く、『我より多きは莫し』と。其れ可ならんや」と。魯陽文君曰く、「然り。吾れ子の言を以て之を觀れば、則ち天下の所謂る可なる者は、未だ必ずしも然らざるなり」と。