学問のすゝめ / 四編・学者の職分を論ず・みずから賤しんずること罪人のごとく
またかの上書建白を見ればその文つねに卑劣を極め、みだりに政府を尊崇すること鬼神のごとく、みずから賤しんずること罪人のごとくし、同等の人間世界にあるべからざる虚文を用い、恬として恥ずる者なし。この文を読みてその人を想えばただ狂人をもって評すべきのみ。しかるに今この新聞紙を出版し、あるいは政府に建白する者は、おおむねみな世の洋学者流にて、その私について見れば必ずしも娼妓にあらず、また狂人にもあらず。
書き下し
またかの上書建白を見れば、その文つねに卑劣を極め、みだりに政府を尊崇すること鬼神のごとく、みずから賤しんずること罪人のごとくし、同等の人間世界にあるべからざる虚文を用い、恬として恥ずる者なし。この文を読みてその人を想えば、ただ狂人をもって評すべきのみ。しかるに今この新聞紙を出版し、あるいは政府に建白する者は、おおむねみな世の洋学者流にて、その私について見れば必ずしも娼妓にあらず、また狂人にもあらず。
現代語訳
またあの上申書を見れば、その文章は常に卑屈を極め、むやみに政府を尊び崇めること鬼神のようで、自分を賤しめること罪人のようであり、対等な人間の世界にあるはずのない空虚な言葉を使って、平然として恥じる者がありません。この文章を読んでその人を想像すれば、ただ狂人としか評しようがありません。ところが今この新聞を出版し、あるいは政府に建白する者は、おおむねみな世の洋学者であって、私的に見れば必ずしも遊女ではなく、また狂人でもありません。
解説
公文書の卑屈さが批判されます。政府を鬼神のように崇め、自分を罪人のように賤しめる。対等な人間の世界にあるはずのない言葉だ、と言います。第二編で立てた権利の平等が、文書の文体という具体的な場面で検証されているわけです。そして最後に前段と同じ観察が置かれる。書いている人は私的には正常なのに、公の場では狂人のように見える文を書く。
この章句が説くこと
卑屈文体公文書対等乖離
関連する章句
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・あたかも娼妓の客に媚びるがごとし青年の書生わずかに数巻の書を読めばすなわち官途に志し、有志の町人わずかに数百の元金あればすなわち官の名を仮りて商売を行なわんとし、学校も官許なり、説教も官許なり、牧牛も官許、養蚕も官許、およそ民間の事業、十に七、八は官の関せざるものなし。これをもって世の人心ますますその風に靡き、官を慕い官を頼み、官を恐れ官に諂い、毫も独立の丹心を発露する者なくして、その醜体見るに忍びざることなり。譬えば方今出版の新聞紙および諸方の上書建白の類も、その一例なり。出版の条令はなはだしく厳なるにあらざれども、新聞紙の面を見れば政府の忌諱に触るることは絶えて載せざるのみならず、官に一毫の美事あればみだりにこれを称誉してその実に過ぎ、あたかも娼妓の客に媚びるがごとし。
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・漢を体にして洋を衣にするしかるにまた、これに依頼すべからざるの事情あり。近来この流の人ようやく世間に増加し、あるいは横文を講じ、あるいは訳書を読み、もっぱら力を尽くすに似たりといえども、学者あるいは字を読みて義を解さざるか、あるいは義を解してこれを事実に施すの誠意なきか、その所業につきわが輩の疑いを存するもの少なからず。その疑いを存するとは、この学者士君子、みな官あるを知りて私あるを知らず、政府の上に立つの術を知りて、政府の下に居るの道を知らざるの一事なり。畢竟、漢学者流の悪習を免れざるものにて、あたかも漢を体にして洋を衣にするがごとし。
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・世間の気風に酔いてみずから知らず試みにその実証を挙げて言わん。方今世の洋学者流はおおむねみな官途につき、私に事をなす者はわずかに指を屈するに足らず。けだしその官にあるは、ただ利これ貪るのためのみにあらず、生来の教育に先入してひたすら政府に眼を着し、政府にあらざればけっして事をなすべからざるものと思い、これに依頼して宿昔青雲の志を遂げんと欲するのみ。あるいは世に名望ある大家先生といえども、この範囲を脱するを得ず。その所業あるいは賤しむべきに似たるも、その意は深く咎むるに足らず、けだし意の悪しきにあらず、ただ世間の気風に酔いてみずから知らざるなり。名望を得たる士君子にしてかくのごとし。天下の人、あにその風に倣わざるを得んや。
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『学問のすゝめ』四編・学者の職分を論ず・日本にはただ政府ありていまだ国民あらずしかるにその不誠不実、かくのごときのはなはだしきに至る所以は、いまだ世間に民権を首唱する実例なきをもって、ただかの卑屈の気風に制せられ、その気風に雷同して、国民の本色を見わし得ざるなり。これを概すれば、日本にはただ政府ありていまだ国民あらずと言うも可なり。ゆえにいわく、人民の気風を一洗して世の文明を進むるには、今の洋学者流にもまた依頼すべからざるなり。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・恥も法も知らざる馬鹿者しかるに無学文盲、理非の理の字も知らず、身に覚えたる芸は飲食と寝ると起きるとのみ、その無学のくせに欲は深く、目の前に人を欺きて巧みに政府の法を遁れ、国法の何ものたるを知らず、己が職分の何ものたるを知らず、子をばよく生めどもその子を教うるの道を知らず、いわゆる恥も法も知らざる馬鹿者にて、その子孫繁盛すれば一国の益はなさずして、かえって害をなす者なきにあらず。かかる馬鹿者を取り扱うには、とても道理をもってすべからず、不本意ながら力をもって威し、一時の大害を鎮むるよりほかに方便あることなし。
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『学問のすゝめ』七編・国民の職分を論ず・俗にいわゆる犬の糞でかたきなるもの第一 節を屈して政府に従うははなはだよろしからず。人たる者は天の正道に従うをもって職分とす。しかるにその節を屈して政府人造の悪法に従うは、人たるの職分を破るものと言うべし。かつひとたび節を屈して不正の法に従うときは、後世子孫に悪例を遺して天下一般の弊風を醸しなすべし。古来日本にても愚民の上に暴政府ありて、政府虚威を逞しゅうすれば人民はこれに震い恐れ、あるいは政府の処置を見て現に無理とは思いながら、事の理非を明らかに述べなば必ずその怒りに触れ、後日に至りて暗に役人らに窘しめらるることあらんを恐れて言うべきことをも言うものなし。その後日の恐れとは俗にいわゆる犬の糞でかたきなるものにて、人民はひたすらこの犬の糞を憚り、いかなる無理にても政府の命には従うべきものと心得て、世上一般の気風をなし、ついに今日の浅ましき有様に陥りたるなり。すなわちこれ人民の節を屈して禍を後世に残したる一例と言うべし。