学問のすゝめ / 四編・学者の職分を論ず・火をもって火を救うがごとし
人あるいはいわく、「政府はしばらくこの愚民を御するに一時の術策を用い、その智徳の進むを待ちて後にみずから文明の域に入らしむるなり」と。この説は言うべくして行なうべからず。わが全国の人民数千百年専制の政治に窘しめられ、人々その心に思うところを発露すること能わず、欺きて安全を偸み、詐りて罪を遁れ、欺詐術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく、一身の廉恥すでに地を払いて尽きたり、豈国を思うに遑あらんや。政府はこの悪弊を矯めんとしてますます虚威を張り、これを嚇しこれを叱し、強いて誠実に移らしめんとしてかえってますます不信に導き、その事情あたかも火をもって火を救うがごとし。
書き下し
人あるいはいわく、「政府はしばらくこの愚民を御するに一時の術策を用い、その智徳の進むを待ちて後にみずから文明の域に入らしむるなり」と。この説は言うべくして行なうべからず。わが全国の人民、数千百年専制の政治に窘しめられ、人々その心に思うところを発露すること能わず、欺きて安全を偸み、詐りて罪を遁れ、欺詐術策は人生必需の具となり、不誠不実は日常の習慣となり、恥ずる者もなく怪しむ者もなく、一身の廉恥すでに地を払いて尽きたり、あに国を思うに遑あらんや。政府はこの悪弊を矯めんとしてますます虚威を張り、これを嚇しこれを叱し、強いて誠実に移らしめんとして、かえってますます不信に導き、その事情あたかも火をもって火を救うがごとし。
現代語訳
人はあるいは言います。政府はしばらくこの愚かな民を御するのに一時の術策を用い、その知徳が進むのを待って後に、自ら文明の域に入らせるのだ、と。この説は言えても実行できません。わが全国の人民は、数百数千年の専制政治に苦しめられ、人々は心に思うところを表に出すことができず、欺いて安全を盗み、偽って罪を逃れ、欺きと術策が人生の必需品となり、不誠実が日常の習慣となり、恥じる者もなく怪しむ者もなく、一身の恥を知る心はすでに地を払って尽きました。どうして国を思う余裕がありましょうか。政府はこの悪弊を矯めようとしてますます虚しい威を張り、脅し叱り、無理に誠実にさせようとして、かえってますます不信に導く。その事情は、火をもって火を消そうとするようなものです。
解説

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