学問のすゝめ / 四編・学者の職分を論ず・政府は生力、人民は刺衝
すべて物を維持するには力の平均なかるべからず。譬えば人身のごとし。これを健康に保たんとするには、飲食なかるべからず、大気、光線なかるべからず、寒熱、痛痒、外より刺衝して内よりこれに応じ、もって一身の働きを調和するなり。今にわかにこの外物の刺衝を去り、ただ生力の働くところにまかしてこれを放頓することあらば、人身の健康は一日も保つべからず。国もまた然り。政は一国の働きなり。この働きを調和して国の独立を保たんとするには、内に政府の力あり、外に人民の力あり、内外相応じてその力を平均せざるべからず。ゆえに政府はなお生力のごとく、人民はなお外物の刺衝のごとし。今にわかにこの刺衝を去り、ただ政府の働くところにまかしてこれを放頓することあらば、国の独立は一日も保つべからず。いやしくも人身窮理の義を明らかにし、その定則をもって一国経済の議論に施すことを知る者は、この理を疑うことなかるべし。
書き下し
すべて物を維持するには力の平均なかるべからず。譬えば人身のごとし。これを健康に保たんとするには、飲食なかるべからず、大気、光線なかるべからず、寒熱、痛痒、外より刺衝して内よりこれに応じ、もって一身の働きを調和するなり。今にわかにこの外物の刺衝を去り、ただ生力の働くところにまかしてこれを放頓することあらば、人身の健康は一日も保つべからず。国もまた然り。政は一国の働きなり。この働きを調和して国の独立を保たんとするには、内に政府の力あり、外に人民の力あり、内外相応じてその力を平均せざるべからず。ゆえに政府はなお生力のごとく、人民はなお外物の刺衝のごとし。今にわかにこの刺衝を去り、ただ政府の働くところにまかしてこれを放頓することあらば、国の独立は一日も保つべからず。いやしくも人身窮理の義を明らかにし、その定則をもって一国経済の議論に施すことを知る者は、この理を疑うことなかるべし。
現代語訳
すべて物を維持するには力の釣り合いがなければなりません。たとえば人の身体のようなものです。これを健康に保つには、飲食が必要であり、空気や光が必要であり、寒さ熱さ、痛みかゆみが外から刺激して内がこれに応じ、それによって一身の働きを調和させるのです。今急にこの外からの刺激を取り去り、ただ生命力の働くままに放っておけば、身体の健康は一日も保てません。国もまた同じです。政治は一国の働きです。この働きを調和させて国の独立を保つには、内に政府の力があり、外に人民の力があり、内外が応じ合ってその力を釣り合わせねばなりません。ですから政府は生命力のようなもの、人民は外からの刺激のようなものです。今急にこの刺激を取り去り、ただ政府の働くままに放っておけば、国の独立は一日も保てません。仮にも身体の理を明らかにし、その法則を一国の経済の議論に応用することを知る者は、この理屈を疑わないでしょう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』節用上然れども人も倍す可きこと有るなり。昔、聖王、法を為りて曰く、「丈夫、年二十にして、敢えて家に處らざる毋かれ。女子、年十五にして、敢えて人に事えざる毋かれ」と。此れ聖王の法なり。聖王、既に沒して、民の次に於てす。其の蚤く家に處らんと欲する者は、二十年にして家に處る所有り。其の晩く家に處らんと欲する者は、四十年にして家に處る所有り。其の蚤きと其の晩きとを以て相い踐めば、後れて聖王の法に十年なり。若し純ら三年にして字めば、子の生まるること以て二三を計る可し。此れ惟だ民をして蚤く家に處らしめずして、以て倍す可きか。且つ然らざるのみ。
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『韓非子』難勢第四十吾が勢を言うを為す所以の者は、中なり。中は、上は堯・舜に及ばずして、下は亦た桀・紂為らず。法を抱き勢に處らば則ち治まり、法に背き勢を去らば則ち亂る。
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尚書・秦誓人を責むる斯れ難きこと無し、惟れ責めを受けて流るるが如くならしむる、是れ惟れ艱きかな。
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孟子・盡心章句下貉稽(ハク・ケイ)曰く、「稽大いに口に理あらず。」孟子曰く、「傷むこと無かれ。士は茲の多口に憎まる。詩に云う、『憂心悄悄たり、羣小に慍らる』とは、孔子なり。『肆(ついに)に厥に慍りを殄(たつ)たず、亦た厥の問を隕とさず』とは、文王なり。」
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『墨子』公孟程子曰く、「甚だしいかな、先生の儒を毁るや」と。子墨子曰く、「儒に固より此の各の四政無くして、我れ之を言わば、則ち是れ毁るなり。今、儒に固より此の四政有りて、我れ之を言わば、則ち毁るに非ざるなり、聞くを告ぐるなり」と。程子、辭無くして出づ。子墨子曰く、「之に迷えるかな」と。反り、後に坐して、進みて復た曰く、「鄉者、先生の言に聞く可き者有り。若し先生の言のごとくんば、則ち是れ禹を譽めず、桀紂を毁らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ孰辭に應ずるに、議に稱いて之を為すは、敏なり。厚く攻むれば則ち厚く吾れし、薄く攻むれば則ち薄く吾れす。孰辭に應じて議に稱うは、是れ猶お轅を荷いて蛾を擊つがごときなり」と。
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『墨子』公孟二三子、子墨子に復して曰く、「告子曰く、『義を言いて行い甚だ惡し』と。請う、之を棄てん」と。子墨子曰く、「不可なり。我が言を稱して以て我が行いを毁るは、亡きに愈れり。人、此に有り、『翟は甚だ不仁なり、天を尊び、鬼に事え、人を愛して、甚だ不仁なり』と。猶お亡きに愈るなり。今、告子は言談甚だ辯にして、仁義を言いて吾を毁らず。告子は猶お亡きに愈るなり」と。