学問のすゝめ / 三編・一身独立して一国独立すること・報国の大義
右の次第につき、外国に対してわが国を守らんには自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々、貴賤上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受け、智者も愚者も目くらも目あきも、おのおのその国人たるの分を尽くさざるべからず。英人は英国をもってわが本国と思い、日本人は日本国をもってわが本国と思い、その本国の土地は他人の土地にあらず、わが国人の土地なれば、本国のためを思うことわが家を思うがごとし。国のためには財を失うのみならず、一命をも抛ちて惜しむに足らず。これすなわち報国の大義なり。
書き下し
右の次第につき、外国に対してわが国を守らんには、自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々、貴賤上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受け、智者も愚者も目くらも目あきも、おのおのその国人たるの分を尽くさざるべからず。英人は英国をもってわが本国と思い、日本人は日本国をもってわが本国と思い、その本国の土地は他人の土地にあらず、わが国人の土地なれば、本国のためを思うことわが家を思うがごとし。国のためには財を失うのみならず、一命をも抛ちて惜しむに足らず。これすなわち報国の大義なり。
現代語訳
以上の次第ですから、外国に対してわが国を守るには、自由と独立の気風を全国に満たし、国中の人々が身分の上下の別なく、その国を自分の身の上に引き受け、智者も愚者も、見えない人も見える人も、それぞれ国民としての分を尽くさねばなりません。イギリス人はイギリスを自分の本国と思い、日本人は日本を自分の本国と思い、その本国の土地は他人の土地ではなく自分たちの土地なのだから、本国のためを思うことは自分の家を思うのと同じです。国のためには財産を失うだけでなく、命を投げ打っても惜しくない。これこそ国に報いる大義です。
解説
客分をなくす処方が示されます。国を自分の身の上に引き受けること。自分の家を思うのと同じだ、という比喩で、抽象的な愛国を身近な感覚に置き換えています。ただし命を投げ打っても惜しくない、という結論は、後の時代にどう使われたかを踏まえて読む必要があります。福沢がここで求めているのは、上から命じられた献身ではなく、当事者になった者の自発だという文脈は押さえておきたいところです。
この章句が説くこと
報国当事者引受自発大義
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