学問のすゝめ / 二編・人は同等なること・政府の商売と人民の商売
右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども、政府と人民との間柄にいたってはなおこれよりも見苦しきことあり。幕府はもちろん、三百諸侯の領分にもおのおの小政府を立てて、百姓・町人を勝手次第に取り扱い、あるいは慈悲に似たることあるもその実は人に持ち前の権理通義を許すことなくして、実に見るに忍びざること多し。そもそも政府と人民との間柄は、前にも言えるごとく、ただ強弱の有様を異にするのみにて権理の異同あるの理なし。百姓は米を作りて人を養い、町人は物を売買して世の便利を達す。これすなわち百姓・町人の商売なり。政府は法令を設けて悪人を制し、善人を保護す。これすなわち政府の商売なり。この商売をなすには莫大の費えなれども、政府には米もなく金もなきゆえ、百姓・町人より年貢・運上を出だして政府の勝手方を賄わんと、双方一致のうえ相談を取り極めたり。
書き下し
右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども、政府と人民との間柄にいたっては、なおこれよりも見苦しきことあり。幕府はもちろん、三百諸侯の領分にもおのおの小政府を立てて、百姓・町人を勝手次第に取り扱い、あるいは慈悲に似たることあるも、その実は人に持ち前の権理通義を許すことなくして、実に見るに忍びざること多し。そもそも政府と人民との間柄は、前にも言えるごとく、ただ強弱の有様を異にするのみにて、権理の異同あるの理なし。百姓は米を作りて人を養い、町人は物を売買して世の便利を達す。これすなわち百姓・町人の商売なり。政府は法令を設けて悪人を制し、善人を保護す。これすなわち政府の商売なり。この商売をなすには莫大の費えなれども、政府には米もなく金もなきゆえ、百姓・町人より年貢・運上を出だして政府の勝手方を賄わんと、双方一致のうえ相談を取り極めたり。
現代語訳
以上は武士と平民が一人ずつ向き合った場合の不公平ですが、政府と人民の間柄となると、さらに見苦しいことがあります。幕府はもちろん、三百諸侯の領地にもそれぞれ小さな政府を立てて、百姓や町人を勝手に扱い、慈悲に似たことをすることもありましたが、その実は人が生まれつき持つ権利を認めることなく、実に見るに忍びないことが多くありました。そもそも政府と人民の間柄は、先に言ったように、ただ強弱の有様が違うだけであって、権利に違いがある道理はありません。百姓は米を作って人を養い、町人は物を売り買いして世の便利を足します。これが百姓と町人の商売です。政府は法令を設けて悪人を制し、善人を保護します。これが政府の商売です。この商売をするには莫大な費用がかかりますが、政府には米も金もないので、百姓や町人から年貢や運上を出して政府の費用を賄おうと、双方が一致のうえで相談して取り決めたのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・双方その職分を尽くしてこれすなわち政府と人民との約束なり。ゆえに百姓・町人は年貢・運上を出だして固く国法を守れば、その職分を尽くしたりと言うべし。政府は年貢・運上を取りて正しくその使い払いを立て、人民を保護すれば、その職分を尽くしたりと言うべし。双方すでにその職分を尽くして約束を違うることなきうえは、さらになんらの申し分もあるべからず、おのおのその権理通義を逞しゅうして、少しも妨げをなすの理なし。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・売り言葉に買い言葉これを御恩と言うべからず。政府もし人民に対しその保護をもって御恩とせば、百姓・町人は政府に対しその年貢・運上をもって御恩と言わん。政府もし人民の公事訴訟をもってお上の御厄介と言わば、人民もまた言うべし、「十俵作り出だしたる米のうちより五俵の年貢を取らるるは、百姓のために大なる御厄介なり」と。いわゆる売り言葉に買い言葉にて、はてしもあらず。とにかくに等しく恩のあるものならば、一方より礼を言いて一方より礼を言わざるの理はなかるべし。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・御国恩とは何事をさすやしかるに幕府のとき、政府のことをお上様と唱え、お上の御用とあればばかに威光を振るうのみならず、道中の旅籠までもただ食い倒し、川場に銭を払わず、人足に賃銭を与えず、はなはだしきは旦那が人足をゆすりて酒代を取るに至れり。沙汰の限りと言うべし。あるいは殿様のものずきにて普請をするか、または役人の取り計らいにていらざる事を起こし、無益に金を費やして入用不足すれば、いろいろ言葉を飾りて年貢を増し御用金を言いつけ、これを御国恩に報ゆると言う。そもそも御国恩とは何事をさすや。百姓・町人らが安穏に家業を営み、盗賊・人殺しの心配もなくして渡世するを、政府の御恩と言うことなるべし。もとよりかく安穏に渡世するは政府の法あるがためなれども、法を設けて人民を保護するは、もと政府の商売柄にて当然の職分なり。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・ひとたび国法と定まりたることは右は百姓・町人に左袒して思うさまに勢いを張れという議論なれども、また一方より言えば別に論ずることあり。およそ人を取り扱うには、その相手の人物次第にて、おのずからその法の加減もなかるべからず。元来、人民と政府との間柄は、もと同一体にてその職分を区別し、政府は人民の名代となりて法を施し、人民は必ずこの法を守るべしと、固く約束したるものなり。譬えば今、日本国中にて明治の年号を奉ずる者は、今の政府の法に従うべしと条約を結びたる人民なり。ゆえにひとたび国法と定まりたることは、たといあるいは人民一個のために不便利あるも、その改革まではこれを動かすを得ず。小心翼々謹みて守らざるべからず。これすなわち人民の職分なり。
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『学問のすゝめ』七編・国民の職分を論ず・運上を払うて政府の保護を買う人民はすでに一国の家元にて、国を護るための入用を払うはもとよりその職分なれば、この入用を出だすにつきけっして不平の顔色を見わすべからず。国を護るためには役人の給料なかるべからず、海陸の軍費なかるべからず、裁判所の入用もあり、地方官の入用もあり、その高を集めてこれを見れば大金のように思わるれども、一人前の頭に割り付けてなにほどなるや。日本にて歳入の高を全国の人口に割り付けなば、一人前に一円か二円なるべし。一年の間にわずか一、二円の金を払うて政府の保護を被り、夜盗押込みの患いもなく、ひとり旅行に山賊の恐れもなくして、安穏にこの世を渡るは大なる便利ならずや。およそ世の中に割合よき商売ありといえども、運上を払うて政府の保護を買うほど安きものはなかるべし。
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『学問のすゝめ』七編・国民の職分を論ず・人民は家元なり政府は名代人なり第二 主人の身分をもって論ずれば、一国の人民はすなわち政府なり。そのゆえは一国中の人民悉皆政をなすべきものにあらざれば、政府なるものを設けてこれに国政を任せ、人民の名代として事務を取り扱わしむべしとの約束を定めたればなり。ゆえに人民は家元なり、また主人なり。政府は名代人なり、また支配人なり。譬えば商社百人のうちより選ばれたる十人の支配人は政府にて、残り九十人の社中は人民なるがごとし。この九十人の社中は自分にて事務を取り扱うことなしといえども、己が代人として十人の者へ事を任せたるゆえ、己れの身分を尋ぬればこれを商社の主人と言わざるを得ず。またかの十人の支配人は現在の事を取り扱うといえども、もと社中の頼みを受けその意に従いて事をなすべしと約束したる者なれば、その実は私にあらず、商社の公務を勤むる者なり。いま世間にて政府に関わることを公務と言い公用と言うも、その字のよって来たるところを尋ぬれば、政府の事は役人の私事にあらず、国民の名代となりて一国を支配する公の事務という義なり。