学問のすゝめ / 二編・人は同等なること・人は同等なること
初編の首に、人は万人みな同じ位にて生まれながら上下の別なく自由自在云々とあり。今この義を拡めて言わん。人の生まるるは天の然らしむるところにて人力にあらず。この人々互いに相敬愛しておのおのその職分を尽くし互いに相妨ぐることなき所以は、もと同類の人間にしてともに一天を与にし、ともに与に天地の間の造物なればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦しくするは、もと同一家の兄弟にしてともに一父一母を与にするの大倫あればなり。
書き下し
初編の首に、人は万人みな同じ位にて、生まれながら上下の別なく自由自在云々とあり。今この義を拡めて言わん。人の生まるるは天の然らしむるところにて人力にあらず。この人々互いに相敬愛して、おのおのその職分を尽くし、互いに相妨ぐることなき所以は、もと同類の人間にして、ともに一天を与にし、ともに与に天地の間の造物なればなり。譬えば一家の内にて兄弟相互に睦しくするは、もと同一家の兄弟にして、ともに一父一母を与にするの大倫あればなり。
現代語訳
初編の冒頭に、人は万人みな同じ位で、生まれながら上下の別なく自由自在である、とありました。今この意味を広げて述べましょう。人が生まれるのは天がそうさせるところであって、人の力ではありません。この人々が互いに敬い愛し、それぞれの職分を尽くし、互いに妨げ合わない理由は、もともと同じ種類の人間であって、ともに一つの天のもとにあり、ともに天地の間の造られたものだからです。たとえば一つの家の中で兄弟が互いに仲良くするのは、もともと同じ家の兄弟であって、ともに一人の父と一人の母を持つという大きな人倫があるからです。
解説
平等の根拠が示されます。同じ天のもとにある同じ造られたものだから、という理由づけで、兄弟が同じ親を持つから仲良くするのと同じ構造だと説明します。制度や契約ではなく、出自の同一性に平等の根拠を置いている点が特徴です。初編の一行を受けて、今この義を拡めて言わん、と論を継ぐ形になっており、次の段でこの平等が有様ではなく権利の平等だと精密化されます。
この章句が説くこと
平等天同類兄弟根拠
関連する章句
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『墨子』尚同中夫れ既に天子に尚同するも、未だ天に尚同せざる者は、則ち天菑、將に猶お未だ止まざらんとするなり。故に若し天、寒熱を降すこと節ならず、霜雪雨露、時ならず、五榖熟せず六畜遂げず、疾菑戾疫、飄風苦雨、荐臻して至る者は、此れ天の罰を降すなり。將に以て下人の天に尚同せざるを罰せんとするなり。
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『後世への最大遺物』第二回・一俵の米は百万の価値があったこうして初めて一俵の米を取った。その人の自伝によりますれば、「米を一俵取ったときの私の喜びは何ともいえなかった。これ天が初めて私に直接に授けたものにして、その一俵は私にとっては百万の価値があった」というてある。それからその方法をだんだん続けまして、二十歳のときに伯父さんの家を辞した。そのときには三、四俵の米を持っておった。それから仕上げた人であります。それでこの人の生涯を初めから終りまで見ますと、「この宇宙というものは実に、天の造ってくださったもので、天というものは実に恩恵の深いもので、人間を助けよう助けようとばかり思っている。それだから、もしわれわれがこの身を天と地とに委ねて天の法則に従っていったならば、われわれは欲せずといえども天がわれわれを助けてくれる」という、こういう考えであります。
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『墨子』尚同上天下の百姓、皆な天に上同するも、一にして天に上同せざれば、則ち菑、猶お未だ去らざるなり。今、若し天、飄風苦雨、湊湊として至る者は、此れ天の百姓の天に上同せざるを罰する所以の者なり。
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論語・陽貨篇子曰く、「予言うこと無からんと欲す。」子貢曰く、「子如し言わずんば、則ち小子何をか述べん。」子曰く、「天何をか言うや。四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。」
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言志四録・南洲手抄生物は皆死を畏る。人は其れ霊なり、当に死を畏るるの中より死を畏れざるの理を揀び出すべし。吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の権は天に在り、当に之を順受すべし。我れの生るるや自然にして生る、生るる時未だ嘗て喜ぶことを知らず。則ち我の死するや応に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。天之を生みて、天之を死す、一に天に聴さんのみ、吾れ何ぞ畏れん。吾が性は即ち天なり、躯殻は則ち天を蔵むるの室なり。精気の物と為るや、天此の室に寓す。遊魂の変を為すや、天此の室を離る。死の後は即ち生の前なり、生の前は即ち死の後なり。而して吾が性の性たる所以は、恒に死生の外に在り、吾れ何ぞ畏れん。夫れ昼夜は一理なり、幽明は一理なり。始めを原ねて終りに反らば、死生の理を知る、何ぞ其の易簡にして明白なるや。吾人は当に此の理を以て自省すべし。
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