学問のすゝめ / 二編・端書・飯を食う字引
これらの人物はただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。
書き下し
これらの人物は、ただこれを文字の問屋と言うべきのみ。その功能は飯を食う字引に異ならず。国のためには無用の長物、経済を妨ぐる食客と言うて可なり。ゆえに世帯も学問なり、帳合いも学問なり、時勢を察するもまた学問なり。なんぞ必ずしも和漢洋の書を読むのみをもって学問と言うの理あらんや。
現代語訳
こういう人物は、ただ文字の問屋と言うべきだけです。その働きは飯を食う字引と変わりません。国のためには無用の長物、経済を妨げる居候と言ってよいでしょう。ですから暮らしのやりくりも学問であり、帳簿をつけるのも学問であり、時勢を察することもまた学問です。どうして必ずしも和漢洋の書物を読むことだけを学問と言う理由がありましょうか。
解説
飯を食う字引。知識を蓄えるだけで使えない人への、容赦のない一句です。文字の問屋、無用の長物、経済を妨げる居候と、三重に畳みかけます。そして結論で学問の範囲が一気に広げられる。暮らしも帳簿も時勢を読むことも学問だ、と。書物を読むことだけが学問だという常識を崩して、生活のすべてを学問の場にしています。学問の場所を書斎から日常へ移した宣言として読めます。
この章句が説くこと
字引無用実用範囲批判
関連する章句
-
『墨子』公孟程子曰く、「甚だしいかな、先生の儒を毁るや」と。子墨子曰く、「儒に固より此の各の四政無くして、我れ之を言わば、則ち是れ毁るなり。今、儒に固より此の四政有りて、我れ之を言わば、則ち毁るに非ざるなり、聞くを告ぐるなり」と。程子、辭無くして出づ。子墨子曰く、「之に迷えるかな」と。反り、後に坐して、進みて復た曰く、「鄉者、先生の言に聞く可き者有り。若し先生の言のごとくんば、則ち是れ禹を譽めず、桀紂を毁らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ孰辭に應ずるに、議に稱いて之を為すは、敏なり。厚く攻むれば則ち厚く吾れし、薄く攻むれば則ち薄く吾れす。孰辭に應じて議に稱うは、是れ猶お轅を荷いて蛾を擊つがごときなり」と。
-
『墨子』公孟二三子、子墨子に復して曰く、「告子曰く、『義を言いて行い甚だ惡し』と。請う、之を棄てん」と。子墨子曰く、「不可なり。我が言を稱して以て我が行いを毁るは、亡きに愈れり。人、此に有り、『翟は甚だ不仁なり、天を尊び、鬼に事え、人を愛して、甚だ不仁なり』と。猶お亡きに愈るなり。今、告子は言談甚だ辯にして、仁義を言いて吾を毁らず。告子は猶お亡きに愈るなり」と。
-
孟子・盡心章句下貉稽(ハク・ケイ)曰く、「稽大いに口に理あらず。」孟子曰く、「傷むこと無かれ。士は茲の多口に憎まる。詩に云う、『憂心悄悄たり、羣小に慍らる』とは、孔子なり。『肆(ついに)に厥に慍りを殄(たつ)たず、亦た厥の問を隕とさず』とは、文王なり。」
-
尚書・秦誓人を責むる斯れ難きこと無し、惟れ責めを受けて流るるが如くならしむる、是れ惟れ艱きかな。
-
『韓非子』忠孝第五十一人の臣と為りて、常に先王の德厚を譽めて之を願うは、是れ其の君を誹謗する者なり。・・・其の君を非る者は、天下之を賢とす。此れ亂るる所以なり。
-
論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」