武士道 / 第六章 禮儀・優美とは動作の最も経済的なる方法
盖し儀禮は一の結果を得んが爲、多年の實驗より生じたる最も適切なる方式なり。玆に一事あり、之を爲すに、必ずや最良の方法なるものなくんばあらず、而して、其の最良の方法は、最も經濟に合して、又た最も優美なるものならざるべからず。スペンサー氏は優美の定義を下して、動作の最も經濟的なる方法と云ふ。茶道の法とは茶碗、茶匙、帛紗等を用ふるの定式なり。其法たる初心の輩には、或は倦厭を來すべしと雖、少しく斯道に入らば、直ちに此れぞ時間と勞力との最も節約を得たるものなることを知らん。換言せば、此定式は即ち力の利用の最も經濟的なるものにして、スベンサーの定理に從へば、最も優美なるものなり。社交的禮法の裏に含蓄せしめたる精神的旨義即ち『衣服哲學』の用語を假りて云へば、禮儀作法を以て單に外部を被ふの衣服とせる精神修養の功德は、其外見の示す所に勝りて逈かに大なるものあり。
新字:盖し儀礼は一の結果を得んが為、多年の実験より生じたる最も適切なる方式なり。玆に一事あり、之を為すに、必ずや最良の方法なるものなくんばあらず、而して、其の最良の方法は、最も経済に合して、又た最も優美なるものならざるべからず。スペンサー氏は優美の定義を下して、動作の最も経済的なる方法と云ふ。茶道の法とは茶碗、茶匙、帛紗等を用ふるの定式なり。其法たる初心の輩には、或は倦厭を来すべしと雖、少しく斯道に入らば、直ちに此れぞ時間と労力との最も節約を得たるものなることを知らん。換言せば、此定式は即ち力の利用の最も経済的なるものにして、スベンサーの定理に従へば、最も優美なるものなり。社交的礼法の裏に含蓄せしめたる精神的旨義即ち『衣服哲学』の用語を仮りて云へば、礼儀作法を以て単に外部を被ふの衣服とせる精神修養の功徳は、其外見の示す所に勝りて逈かに大なるものあり。
書き下し
けだし儀礼は、一の結果を得んが為、多年の実験より生じたる最も適切なる方式なり。ここに一事あり、之を為すに、必ずや最良の方法なるものなくんばあらず。而して其の最良の方法は、最も経済に合して、又た最も優美なるものならざるべからず。スペンサー氏は優美の定義を下して、動作の最も経済的なる方法と云ふ。茶道の法とは、茶碗、茶匙、帛紗等を用ふるの定式なり。其法たる、初心の輩には或は倦厭を来すべしと雖、少しく斯道に入らば、直ちに此れぞ時間と労力との最も節約を得たるものなることを知らん。換言せば、此定式は即ち力の利用の最も経済的なるものにして、スペンサーの定理に従へば、最も優美なるものなり。社交的礼法の裏に含蓄せしめたる精神的旨義、即ち『衣服哲学』の用語を借りて云へば、礼儀作法を以て単に外部を被ふの衣服とせる精神修養の功徳は、其外見の示す所に勝りて逈かに大なるものあり。
現代語訳
思うに儀礼は、一つの結果を得るために、長年の実験から生まれた最も適切な方式です。ここに一つの事があり、それを行うには必ず最良の方法があるはずです。そしてその最良の方法は、最も経済にかない、また最も優美なものでなければなりません。スペンサー氏は優美の定義を下して、動作の最も経済的な方法だと言います。茶道の作法とは、茶碗や茶杓や帛紗を用いる決まった形です。その作法は初心の者には退屈に思えるでしょうが、少しこの道に入れば、すぐにこれこそ時間と労力を最も節約できるものだと分かります。言い換えればこの形式は、力の利用が最も経済的なものであり、スペンサーの定理に従えば最も優美なものです。社交の礼法の裏に込められた精神的な趣旨、すなわち『衣服哲学』の言葉を借りれば、礼儀作法を単に外側を覆う衣服とみなす精神修養の功徳は、その外見が示すところよりはるかに大きいのです。
解説
この章句が説くこと
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孫子・作戦篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里に糧を饋る。則ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費やし、然る後に十万の師挙がるなり。
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二宮翁夜話・巻之四翁(おきな)曰(いわ)く、経済に天下の経済あり、一国一藩(いっぱん)の経済あり、一家又同じ。各々異にして、同日の論にあらず。何となれば、博奕(ばくえき)をなすも娼妓屋(しょうぎや)をなすも、一家一身上に取りては、皆経済と思ふなるべし。然れ共政府是(これ)を禁じ、猥(みだ)りに許さゞるは、国家に害あればなり。此(か)くの如きは、経済とは云ふべからず。眼前一己(いっこ)の利益のみを見て、後世の如何を見ず、他の為をも顧(かえり)みざるものなればなり。諸藩にても、駅宿に娼妓を許して、藩中と領中の者、是に戯(たわむ)るるを厳禁す。是一藩の経済なり。此くの如くせざれば、我が大切なる一藩と、領中の風儀を害すればなり。米沢藩にては、年少し凶なれば、酒造を半に減じ、大に凶なれば、厳禁にし、且(か)つ他邦より輸入をも許さず、大豆違作なれば、豆腐(とうふ)をも禁ずと聞けり。是自国の金を、他に出さゞるの策にして、則(すなわ)ち一国の経済なり。夫(そ)れ天下の経済は此くの如くならずして、公明正大ならずばあるべからず。大学に、国は利を以て利とせず、義を以て利となす、とあり。是をこそ、国家経済の格言と云ふべけれ。農商一家の経済にも、必ず此の意を忘るゝ事勿(なか)れ。世間富有者たるもの知らずばあるべからず。
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論語・子路篇子、衛に適く。冉有僕たり。子曰く、「庶きかな。」冉有曰く、「既に庶し。又何をか焉に加えん。」曰く、「之を富まさん。」曰く、「既に富めり。又何をか焉に加えん。」曰く、「之を教えん。」
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『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・さすがに武勇なる兵士も貧乏に制せられてしかるに方今この二大国の有様を見るに、インドはすでに英国の所領に帰してその人民は英政府の奴隷に異ならず、今のインド人の業はただ阿片を作りて支那人を毒殺し、ひとり英商をしてその間に毒薬売買の利を得せしむるのみ。トルコの政府も名は独立と言うといえども、商売の権は英仏の人に占められ、自由貿易の功徳をもって国の物産は日に衰微し、機を織る者もなく、器械を製する者もなく、額に汗して土地を耕すか、または手を袖にしていたずらに日月を消するのみにて、いっさいの製作品は英仏の輸入を仰ぎ、また国の経済を治むるに由なく、さすがに武勇なる兵士も貧乏に制せられて用をなさずと言う。
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『学問のすゝめ』初編・人間普通日用に近き実学されば今、かかる実なき学問はまず次にし、もっぱら勤むべきは人間普通日用に近き実学なり。譬えば、いろは四十七文字を習い、手紙の文言、帳合いの仕方、算盤の稽古、天秤の取扱い等を心得、なおまた進んで学ぶべき箇条ははなはだ多し。地理学とは日本国中はもちろん世界万国の風土道案内なり。究理学とは天地万物の性質を見て、その働きを知る学問なり。歴史とは年代記のくわしきものにて、万国古今の有様を詮索する書物なり。経済学とは一身一家の世帯より天下の世帯を説きたるものなり。修身学とは身の行ないを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり。
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