風姿花伝 / 第七 別紙口伝
この口伝に花を知ること先づ仮令花の咲くを見てよろづに花とたとへ始めん理をわきまふべし抑花といふに万木千草において四季折節に咲くものなればその時を得てめづらしき故にもてあそぶなり申楽も人の心にめづらしきと知るところすなはちおもしろき心なりいづれの花か散らで残るべき散る故によりて咲く比あればめづらしきなり能も住する所なきを先づ花と知るべし住せずして余の風体に移ればめづらしきなり但し様ありめづらしきといへばとて世になき風体をし出だすにてはあるべからず花伝に出だすところの条々を悉く稽古し終りてさて申楽をせんときにその物数を用々にしたがひて取り出だすべし花と申すもよろづの草木においていづれか四季折節の時の花の外にめづらしき花のあるべきそのごとくにならひおぼえつる品々をきはめぬれば時折節の当世を心得て時の人の好みの品によりてその風体を取り出だすこれ時の花の咲くを見んがごとし花と申すもこぞ咲きし種なり能ももと見し風体なれども物数をきはめぬればその数を尽すほど久し久しくて見ればまためづらしきなりそのうへ人の好みもいろいろにして音曲 ふるまひ 物まね 所々に変りてとりどりなればいづれの風体をも残しては叶ふまじきなり然れば物数をきはめ尽したらん仕手は初春の梅より秋の菊の花の咲きはつるまで一年中の花の種を持ちたらんがごとしいづれの花なりとも人の望時によりて取り出だすべし物数をきはめずは時によりて花を失ふことあるべしたとへば春の花の比過ぎて夏の草の花を賞翫せんずる時分に春の花の風体ばかりを得たらん仕手が夏草の花はなくて過ぎし春の花をまたもちて出たらんは時の花にあふべしやこれにて知るべしただ花は見る人の心にめづらしきが花なり然れば花伝の花の段に物数をきはめて工夫を尽して後花の失せぬ所をば知るべしとあるはこの口伝なりされば花とて別にはなきものなり物数を尽して工夫を得てめづらしき感を心に得るが花なり花は心種はわざと書けるもこれなり物まねの鬼の段に鬼ばかりをよくせん者は鬼のおもしろき所をも知るまじきとも申したるなり物数を尽してまためづらしくし出だしたらんはめづらしき所花なるべきほどにおもしろかるべし余の風体はなくて鬼ばかりをする上手と思はばよくしたりとは見ゆるともめづらしき心あるまじければ見所に花はあるべからず巌に花の咲かんがごとしと申したるも鬼をば強くおそろしく瞻を消すやうにするならではおよその風体なしこれ巌なり花といふは余の風体を残さずして幽玄至極の上手と人の思ひなれたるところに思ひの外に鬼をすればめづらしく見ゆるところこれ花なり然れば鬼ばかりをせんずる仕手は巌ばかりにて花はあるべからず
書き下し
この口伝に花を知ること、先づ仮令、花の咲くを見てよろづに花とたとへ始めん理をわきまふべし。抑、花といふに、万木千草において四季折節に咲くものなれば、その時を得てめづらしき故にもてあそぶなり。申楽も、人の心にめづらしきと知るところ、すなはちおもしろき心なり。いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比あればめづらしきなり。能も、住する所なきを先づ花と知るべし。住せずして余の風体に移ればめづらしきなり。但し様あり。めづらしきといへばとて、世になき風体をし出だすにてはあるべからず。花伝に出だすところの条々を悉く稽古し終りて、さて申楽をせんときに、その物数を用々にしたがひて取り出だすべし。花と申すも、よろづの草木において、いづれか四季折節の時の花の外にめづらしき花のあるべき。そのごとくに、ならひおぼえつる品々をきはめぬれば、時折節の当世を心得て、時の人の好みの品によりてその風体を取り出だす。これ、時の花の咲くを見んがごとし。花と申すも、こぞ咲きし種なり。能ももと見し風体なれども、物数をきはめぬれば、その数を尽すほど久し。久しくて見れば、まためづらしきなり。そのうへ、人の好みもいろいろにして、音曲、ふるまひ、物まね、所々に変りてとりどりなれば、いづれの風体をも残しては叶ふまじきなり。然れば、物数をきはめ尽したらん仕手は、初春の梅より秋の菊の花の咲きはつるまで、一年中の花の種を持ちたらんがごとし。いづれの花なりとも、人の望時によりて取り出だすべし。物数をきはめずは、時によりて花を失ふことあるべし。たとへば、春の花の比過ぎて、夏の草の花を賞翫せんずる時分に、春の花の風体ばかりを得たらん仕手が、夏草の花はなくて、過ぎし春の花をまたもちて出たらんは、時の花にあふべしや。これにて知るべし。ただ花は、見る人の心にめづらしきが花なり。然れば、花伝の花の段に、物数をきはめて工夫を尽して後、花の失せぬ所をば知るべしとあるは、この口伝なり。されば、花とて別にはなきものなり。物数を尽して工夫を得て、めづらしき感を心に得るが花なり。花は心、種はわざと書けるもこれなり。物まねの鬼の段に、鬼ばかりをよくせん者は、鬼のおもしろき所をも知るまじきとも申したるなり。物数を尽して、まためづらしくし出だしたらんは、めづらしき所花なるべきほどにおもしろかるべし。余の風体はなくて、鬼ばかりをする上手と思はば、よくしたりとは見ゆるとも、めづらしき心あるまじければ、見所に花はあるべからず。巌に花の咲かんがごとしと申したるも、鬼をば強くおそろしく瞻を消すやうにするならでは、およその風体なし。これ巌なり。花といふは、余の風体を残さずして幽玄至極の上手と人の思ひなれたるところに、思ひの外に鬼をすれば、めづらしく見ゆるところ、これ花なり。然れば、鬼ばかりをせんずる仕手は、巌ばかりにて花はあるべからず。
現代語訳
この口伝で「花」を知るには、まず、花が咲くのを見て、あらゆるものを花にたとえ始める道理をわきまえなければならない。そもそも花というのは、あらゆる木や草において四季それぞれの折々に咲くものであり、その時季を得て珍しいからこそ人々は賞美するのである。能もまた、観る人の心が「珍しい」と感じるところ、それがそのまま面白いと感じる心なのだ。どんな花も、散らずに咲き続けるものはない。散るからこそ、また咲く時季が来て珍しく感じられる。能も同じで、一つの芸に留まらないことをまず花と知るべきだ。同じところに留まらず、次々と別の芸風へ移っていくから珍しいのである。ただし作法がある。珍しいといっても、世にない奇抜な芸を作り出せというのではない。『風姿花伝』に記した数々の条々をことごとく稽古し終えて、いざ能を演じるときに、蓄えた芸を場面場面に応じて取り出すのだ。花といっても、あらゆる草木のうち、四季折々のその時季の花のほかに、特別に珍しい花などあるだろうか。それと同じで、習い覚えた芸の品々を極め尽くしておけば、その時々の世間の流行を心得て、その時の人々の好みに応じてその芸風を繰り出す。これはちょうど、時季の花が咲くのを見るようなものだ。花といっても、去年咲いた花と同じ種から咲くのである。能も以前に観た芸風であっても、芸の数を極め尽くしておけば、それを演じ尽くすには長い年月がかかる。年月を経てまた観れば、再び珍しく感じられるのだ。その上、人の好みもさまざまで、音曲・所作・物まねも場ごとに変わり多様であるから、どの芸風も一つとして捨ててはならない。だから、芸の数を極め尽くした演者は、初春の梅から秋の菊が咲き終わるまで、一年中の花の種を持っているようなものだ。どんな花であっても、人が望む時季に応じて取り出せばよい。芸の数を極めていなければ、時季によって花を失うことがある。たとえば、春の花の盛りが過ぎて夏草の花を賞美しようという時分に、春の花の芸風ばかりを身につけた演者が、夏草の花は持たず、過ぎ去った春の花をまた持ち出したなら、それが時季の花に叶うだろうか。この一事で悟るべきだ。ただ花とは、観る人の心に珍しいと映るものが花なのである。だから、花伝の花の段に「芸の数を極めて工夫を尽くした後に、花の消えない境地を知るべし」とあるのは、この口伝のことだ。つまり、花といって別に何か特別なものがあるわけではない。芸の数を尽くし工夫を得て、珍しいという感興を人の心に呼び起こすもの、それが花なのだ。「花は心、種はわざ」と書いたのもこのことである。物まねの鬼の段で「鬼ばかりを得意とする者は、鬼の面白さすらも本当には分かるまい」と言ったのもこの理由だ。芸の数を尽くした上で、さらに珍しく演じてみせるなら、その珍しさが花となってこそ面白いのだ。ほかの芸風は持たず、鬼だけを演じる名手だと思われれば、上手だとは見えても、珍しさがないから、観客の目に花はない。「岩に花が咲くようなものだ」と言ったのも、鬼を強く恐ろしく、肝を消すように演じるほかに芸風がなければ、それは岩そのものだからだ。花というのは、ほかの芸風を余さず身につけて、幽玄を極めた名手だと人が思い慣れているところに、思いがけず鬼を演じるから珍しく見える、そこが花なのである。だから、鬼ばかりを演じる演者は、岩ばかりで花はないのだ。
解説
この章句が説くこと
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風姿花伝・第五 奥義凡そ能の名望を得ること、品々多し。上手は、目利かずの心に相かなふことかたし。下手は、目利の眼にあふことなし。下手にて目利の眼にかなはぬは、不審あるべからず。上手の、目利かずの心にあはぬこと、これは目利かずの眼の及ばぬところなれども、得たる上手にて工夫あらん仕手ならば、また目利かずの眼にもおもしろしと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とをきはめたらん仕手をば、花をきはめたるとや申すべき。されば、この位にいたらん仕手をば、いかに年よりたるとも、若き花に劣ることあるべからず。されば、この位を得たらん上手こそ、天下にもゆるされ、また遠国田舎の人までも、あまねくおもしろしとは見るべけれ。この工夫を得たらん仕手は、和州へも江州へも、若しは田楽の風体までも、人の好み望みによりて、いづれにもわたる上手なるべし。この嗜みの本意を顕さんが為、風姿花伝を作するなり。かやうに申せばとて、我風体の形木のおろそかならむは、殊に殊に能の命あるべからず。これ弱き仕手なるべし。我風体の形木をきはめてこそ、あまねき風体をも知りたるにてはあるべけれ。あまねき風体を心にかけんとて、我形木に入らざらむ仕手は、わが風体を知らぬのみならず、よその風体をも、たしかにはまして知るまじきなり。されば、能弱くて久しく花はあるべからず。久しく花のなからんは、いづれの風体をも知らぬに同じかるべし。然れば花伝の花の段に、物数を尽し工夫をきはめて後、花の失せぬ所をば知るべしといへり。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、能に十体を得べきこと。十体を得たらん仕手は、同じ事をひとまはりひとまはりづつするとも、その一通りの間久しかるべければ、めづらしかるべし。十体を得たらん人は、そのうちの故実工夫にては、ももいろにもわたるべし。先づ五年三年のうちに一ぺんづつも、めづらしくし替ふるやうならんずるあてがひをもつべし。これは大きなる安立なり。または一年のうち、四季折節をも心にかくべし。また、日をかさねたる申楽、一日のうちは申すに及ばず、風体の品々を色どるべし。かやうに、大綱より始めてちちとある事までも、自然自然に心にかくれば、一期花は失せまじきなり。またいふ、十体を知らんよりは、年々去来の花を忘るべからず。年々去来の花とは、たとへば、十体とは物まねの品々なり。年々去来とは、幼かりし時のよそほひ、初心の時分のわざ、手盛のふるまひ、年よりての風体、この時分時分のおのれと身にありし風体を、皆当芸に一度にもつことなり。あるときは児若族能かと見え、あるときは年ざかりの仕手かとおぼえ、またはいかほども臈たけて劫入りたるやうに見えて、同じ主とも見えぬやうに能をすべし。これすなはち、幼少のときより老後までの芸を一度にもつ理なり。さるほどに、年々さりきたる花とはいへり。但し、この位にいたれる仕手、上代末代に見も聞きも及ばず。亡父の若ざかりの能こそ、臈たけたる風体殊に得たりけるなど聞き及びしか。四十有余の時分よりは見なれし事なればうたがひなし。自然居士の物まね、高座の上にてのふるまひを、時の人十六七の人体に見えしなんど沙汰ありしなり。これはまさしく人も申し身にも見たりし事なれば、この位に相応したりし達者かとおぼえしなり。かやうに、若き時分には行末の年々去来の風体を得、年よりては過ぎし方の風体を身に残す仕手、二人とも見も聞きも及ばざりしなり。されば、初心よりのこの方の芸能の品々を忘れずして、そのときどき用々にしたがひて取り出だすべし。若くては年よりの風体、年よりてはさかりの風体を残すこと、めづらしきにあらずや。然れば、芸能の位あがれば、過ぎし風体をしすてしすて忘るること、ひたすら花の種を失ふなるべし。その時々にありし花のままにて、種なければ、手折れる花の枝のごとし。種あらば、年々時々の比になどかあはざらん。ただ返々、初心を忘るべからず。されば、常の批判にも、若き仕手をば、はやくあがりたる、劫入りたるなどほめ、年よりたるをば、若やぎたるなど批判するなり。これめづらしき理ならずや。十体のうちを彩らば、百色にもなるべし。そのうへに、年々去来の品々を一身当芸にもちたらんは、いかほどの花ぞや。
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風姿花伝・第六 花修一、能のよきあしきにつけて、仕手の位によりて相応の所を知るべきなり。文字風体を求めずして、大様なる能を本説殊に正しくて、大きに位のあがれる能あるべし。かやうなる能は、見所さほどこまかになきことあり。これにはよきほどの上手も似合はぬことあり。たとひこれに相応するほどの無上の上手なりとも、また目利大所にてなくは、よく出来ることあるべからず。これ、能の位、仕手の位、目利、在所、時分、悉く相応せずは、出来ることは左右なくあるまじきなり。またちひさき能の、さしたる本説にてはなけれども、幽玄なるがほそぼそとしたる能あり。これは初心の仕手にも似合ふものなり。在所もしぜん片辺の神事、夜などの庭に相応すべし。よきほどの見手も能の仕手も、これに迷ひて、しぜん田舎小所の庭にておもしろければ、その心ならひにて、押出したる大所貴人の御前などにて、あるいは贔屓興行して、思ひの外に能わるければ、仕手にも名を折らせ、われも面目なきことあるものなり。然ればかやうなる品々所々を限らで、甲乙なからんほどの仕手ならでは、無上の花をきはめたる上手とは申すべからず。さるほどにいかなる座敷にも相応するほどの上手にいたりては、是非なし。また仕手によりて、上手ほどは能を知らぬ仕手もあり、能よりは能を知るもあり。貴所大所などにて、上手なれども能を仕ちがへ、ちちのあるは、能を知らぬ故なり。またそれほどに達者にもなく、物少ななる仕手の、申さば初心なるが、大庭にても花失せず、諸人の褒美弥ましにして、さのみにむらのなからんは、仕手よりは能を知りたる故なるべし。さるほどにこの両様の仕手を、とりどりに申すことあり。然れども貴所大庭などにて、あまねく能のよからんは、名望長久なるべし。さあらんにとりては、上手の達者ほどは我が能を知らざらんよりは、すこし足らぬ仕手なりとも能を知りたらんは、一座建立の棟梁には優るべきか。能を知りたる仕手は、わが手柄の足らぬ所をも知る故に、大事の能にかなはぬことをば斟酌して、得たる風体ばかりを先だてて仕立よければ、見所の褒美かならずあるべし。さてかなはぬ所をば、小所片辺の能に仕ならふべし。かやうに稽古すれば、かなはぬ所も劫入れば、しぜんしぜんにかなふ時分あるべし。さるほどに遂には能に嵩も出来、垢も落ちて、いよいよ名望も一座も繁昌するときは、さだめて年ゆくまで花は残るべし。これ初心より能を知る故なり。能を知る心にて公案を尽して見ば、花の種を知るべし。然れどもこの両様は、あまねく人の心々にて勝負をば定め給ふべし。花修已上。この条々、心ざしの芸人より外は、一見をもゆるすべからず。世阿(華押)
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に花を知ること、この条々を見るに無上第一なり、肝要なり。またまた不審なり。これなにとして心得べきや。答、この道の奥義をきはむるところなるべし。一大事とも秘事とも、ただこの一道なり。先づ大方、稽古物まねの条々にくはしく見えたり。時分の花、声の花、幽玄の花、かやうの条々は人の目にも見えたれども、そのわざより出来る花なれば、咲く花のごとくなれば、またやがて散る時分あり。されば久しからねば、天下に名望少なし。ただまことの花は、咲く道理も散る道理も人のままなるべし。されば久しかるべし。この理を知らんこと、いかがすべき。若し別紙の口伝にあるべきか。ただわづらはしくは心得まじきなり。先づ七歳より以来、年来稽古の条々、物まねの品々を、よくよく心中にあてて分かちおぼえて、能を尽し工夫をきはめて後、この花の失せぬ所をば知るべし。この物数をきはむる心、すなはち花の種なるべし。されば花を知らんと思はば、先づ種を知るべし。花は心、種はわざなるべし。古人云、心地含㆓諸種㆒、普雨悉皆萌、頓悟㆓花情㆒已、菩提果自成。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、こまかなる口伝にいはく、音曲、舞、はたらき、振、風情、これまた同じ心なり。これいつもの風情音曲なれば、さやうにぞあらんずらんと人の思ひなれたるところを、さのみに住せずして、心根に同じ振ながらも、もとよりはかるがると風体を嗜み、いつもの音曲なれども、なほ故実をめぐらして曲を彩り、声色を嗜みて、わが心にも今ほどに執することなしと大事にして、このわざをすれば、見聞く人常よりもなほおもしろしなど、批判にあふことあり。これは見聞く人の為、めづらしき心にあらずや。然れば、同じ音曲風情をするとも、上手のしたらんは別におもしろかるべし。下手はもとよりならひおぼえつる節博士の分なれば、めづらしき思ひなし。上手と申すは、同じ節かかりなれども曲を心得たり。曲といふは節のうへの花なり。同じ上手同じ花のうちにても、無上の公案をきはめたらんは、なほかつ花を知るべし。凡そ音曲にも、節は定まれる形木、曲は上手の物なり。舞にも、手は習へる形木、品かかりは上手の物なり。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり。この分目を知ること、肝要の花なり。抑、一切の事、諸道芸において、その家々に秘事と申すは、秘するによりて大用あるが故なり。然れば、秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。これを、させる事にてもなしといふ人は、いまだ秘事といふことの大用知らぬが故なり。先づ、この花の口伝におきても、ただめづらしき花ぞと皆人知るならば、さてはめづらしき事あるべしと思ひまうけたらん見物衆の前にては、たとひめづらしき事をするとも、見手の心にめづらしき感はあるべからず。見る人の為、花ぞとも知らでこそ、仕手の花にはなるべけれ。されば、見る人はただ思ひの外におもしろき上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが仕手の花なり。さるほどに、人の心に思ひもよらぬ感をもよほす手立、これ花なり。たとへば、弓矢の道の手立にも、名将の案謀にて、思ひの外なる手立に強敵にも勝つことあり。これ、負くるかたの目にはめづらしき理にばかされて破らるるにてはあらずや。これ、一切の諸道芸において勝負に勝つ理なり。かやうの手立も、こと落居して、かかる謀事よと知りぬれば、その後はたやすけれども、いまだ知らざりつる故に敗くるなり。さるほどに、秘事とて一つをば、わが家に残すなり。ここをもて知るべし。たとへあらはさずとも、かかる秘事を知れる人よとも人には知られまじきなり。人に心を知られぬれば、敵人油断せずして用心をもてば、却て敵に心をつくる相なり。敵方用心をせぬときは、こなたの勝つことなほたやすかるべし。人に油断をさせて勝つことを得るは、めづらしき理の大用なるにてはあらずや。さるほどに、わが家の秘事とて、人に知らせぬをもて、生涯の主になる花とす。秘すれば花、秘せねば花なるべからず。