風姿花伝 / 第三 問答条々
問能に花を知ることこの条々を見るに無上第一なり肝要なりまたまた不審なりこれなにとして心得べきや答この道の奥義をきはむるところなるべし一大事とも秘事ともただこの一道なり先づ大方稽古物まねの条々にくはしく見えたり時分の花声の花幽玄の花かやうの条々は人の目にも見えたれどもそのわざより出来る花なれば咲く花のごとくなればまたやがて散る時分ありされば久しからねば天下に名望少なしただまことの花は咲く道理も散る道理も人のままなるべしされば久しかるべしこの理を知らんこといかがすべき若し別紙の口伝にあるべきかただわづらはしくは心得まじきなり先づ七歳より以来年来稽古の条々物まねの品々をよくよく心中にあてて分かちおぼえて能を尽し工夫をきはめて後この花の失せぬ所をば知るべしこの物数をきはむる心すなはち花の種なるべしされば花を知らんと思はば先づ種を知るべし花は心種はわざなるべし古人云心地含㆓諸種㆒普雨悉皆萌頓悟㆓花情㆒已菩提果自成
書き下し
問、能に花を知ること、この条々を見るに無上第一なり、肝要なり。またまた不審なり。これなにとして心得べきや。答、この道の奥義をきはむるところなるべし。一大事とも秘事とも、ただこの一道なり。先づ大方、稽古物まねの条々にくはしく見えたり。時分の花、声の花、幽玄の花、かやうの条々は人の目にも見えたれども、そのわざより出来る花なれば、咲く花のごとくなれば、またやがて散る時分あり。されば久しからねば、天下に名望少なし。ただまことの花は、咲く道理も散る道理も人のままなるべし。されば久しかるべし。この理を知らんこと、いかがすべき。若し別紙の口伝にあるべきか。ただわづらはしくは心得まじきなり。先づ七歳より以来、年来稽古の条々、物まねの品々を、よくよく心中にあてて分かちおぼえて、能を尽し工夫をきはめて後、この花の失せぬ所をば知るべし。この物数をきはむる心、すなはち花の種なるべし。されば花を知らんと思はば、先づ種を知るべし。花は心、種はわざなるべし。古人云、心地含㆓諸種㆒、普雨悉皆萌、頓悟㆓花情㆒已、菩提果自成。
現代語訳
問い。能において花を知ることは、この条々を見るとこの上なく第一で、肝要である。それでもなお不審だ。これはどうやって会得すべきか。答え。これはこの道の奥義を究めるところである。一大事とも秘事とも、ただこの一筋の道である。まずおおよそは、稽古や物まねの条々に詳しく述べてある。時分の花、声の花、幽玄の花、こうした花は人の目にも見えるが、その技から出てくる花であるから、咲く花のように、またやがて散る時分がある。だから長続きしないので、天下に名声は少ない。ただまことの花は、咲く道理も散る道理も自分の思いのままであるはずだ。だから長く続くだろう。この道理を知ることは、どうすればよいか。もしかすると別紙の口伝にあるかもしれない。ただ煩わしくは会得できないものだ。まず七歳以来、長年の稽古の条々、物まねの品々を、よくよく心の中に当てはめて区別して覚え、能を尽くし工夫を究めた後に、この花の失せない所を知るべきだ。この芸の数を究める心、それがすなわち花の種である。だから花を知ろうと思うなら、まず種を知るべきだ。花は心、種は技(わざ)である。古人が言う、心地(しんち)は諸種を含み、普(あまね)き雨に悉(ことごと)く皆萌(きざ)す、花情を頓悟(とんご)し已(おわ)れば、菩提の果おのずから成る、と。
解説
この章句が説くこと
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風姿花伝・第三 問答条々問、この勝負においてこれに大いなる不審あり。はや劫入りたる仕手の、しかも名人なるに、ただ今の若仕手の立合に勝つことあり。これ不審なり。答、これこそ先に申しつる、三十以前の時分の花なれ。ふるき仕手ははや花失せて、古様なる時分に、めづらしき花にて勝つことあり。真実の目利は見分くべし。さあらば、目利目利かずの批判の勝負になるべきか。さりながら様あり。五十以来まで花の失せざらんほどの仕手は、いかなる若き花なりとも勝つことはあるまじ。ただこれ、よきほどの上手の花失せたる故に負くることあり。いかなる名木なりとも、花の咲かぬときの木をや見ん。犬桜の一重なりとも、初花色々と咲けるをや見ん。かやうのたとへを思ふときは、一旦の花なりとも立合に勝つは理なり。されば肝要、この道はただ花が能の命なるを、花の失するをも知らず、本の名望ばかりをたのむこと、古仕手の返々のあやまりなり。物数をば似せたりとも、花のあるやうを知らざらんは、花咲かぬときの草木をあつめて見んがごとし。万木千草において、花の色は皆々異なれども、おもしろしと見る心は同じ花なり。物数は少くとも、一向の花をとりきはめたらん仕手は、一体の名望は久しかるべし。されば主の心には随分花ありと思へども、人の目に見ゆる公案なからんは、田舎の花やぶ梅などのいたづらに咲き匂はんがごとし。また同じ上手なりとも、そのうちにて重々あるべし。たとひ随分きはめたる上手名人なりとも、この花の公案なからん仕手は、上手にては通るとも、花は後まではあるまじきなり。公案をきはめたらん上手は、たとひ能はさがるとも、花は残るべし。花だに残らば、おもしろさは一期あるべし。されば、まことの花の残りたる仕手には、いかなる若き仕手なりとも、勝つことはあるまじきなり。
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風姿花伝・第七 別紙口伝この口伝に花を知ること、先づ仮令、花の咲くを見てよろづに花とたとへ始めん理をわきまふべし。抑、花といふに、万木千草において四季折節に咲くものなれば、その時を得てめづらしき故にもてあそぶなり。申楽も、人の心にめづらしきと知るところ、すなはちおもしろき心なり。いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比あればめづらしきなり。能も、住する所なきを先づ花と知るべし。住せずして余の風体に移ればめづらしきなり。但し様あり。めづらしきといへばとて、世になき風体をし出だすにてはあるべからず。花伝に出だすところの条々を悉く稽古し終りて、さて申楽をせんときに、その物数を用々にしたがひて取り出だすべし。花と申すも、よろづの草木において、いづれか四季折節の時の花の外にめづらしき花のあるべき。そのごとくに、ならひおぼえつる品々をきはめぬれば、時折節の当世を心得て、時の人の好みの品によりてその風体を取り出だす。これ、時の花の咲くを見んがごとし。花と申すも、こぞ咲きし種なり。能ももと見し風体なれども、物数をきはめぬれば、その数を尽すほど久し。久しくて見れば、まためづらしきなり。そのうへ、人の好みもいろいろにして、音曲、ふるまひ、物まね、所々に変りてとりどりなれば、いづれの風体をも残しては叶ふまじきなり。然れば、物数をきはめ尽したらん仕手は、初春の梅より秋の菊の花の咲きはつるまで、一年中の花の種を持ちたらんがごとし。いづれの花なりとも、人の望時によりて取り出だすべし。物数をきはめずは、時によりて花を失ふことあるべし。たとへば、春の花の比過ぎて、夏の草の花を賞翫せんずる時分に、春の花の風体ばかりを得たらん仕手が、夏草の花はなくて、過ぎし春の花をまたもちて出たらんは、時の花にあふべしや。これにて知るべし。ただ花は、見る人の心にめづらしきが花なり。然れば、花伝の花の段に、物数をきはめて工夫を尽して後、花の失せぬ所をば知るべしとあるは、この口伝なり。されば、花とて別にはなきものなり。物数を尽して工夫を得て、めづらしき感を心に得るが花なり。花は心、種はわざと書けるもこれなり。物まねの鬼の段に、鬼ばかりをよくせん者は、鬼のおもしろき所をも知るまじきとも申したるなり。物数を尽して、まためづらしくし出だしたらんは、めづらしき所花なるべきほどにおもしろかるべし。余の風体はなくて、鬼ばかりをする上手と思はば、よくしたりとは見ゆるとも、めづらしき心あるまじければ、見所に花はあるべからず。巌に花の咲かんがごとしと申したるも、鬼をば強くおそろしく瞻を消すやうにするならでは、およその風体なし。これ巌なり。花といふは、余の風体を残さずして幽玄至極の上手と人の思ひなれたるところに、思ひの外に鬼をすれば、めづらしく見ゆるところ、これ花なり。然れば、鬼ばかりをせんずる仕手は、巌ばかりにて花はあるべからず。
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風姿花伝・第五 奥義凡そ能の名望を得ること、品々多し。上手は、目利かずの心に相かなふことかたし。下手は、目利の眼にあふことなし。下手にて目利の眼にかなはぬは、不審あるべからず。上手の、目利かずの心にあはぬこと、これは目利かずの眼の及ばぬところなれども、得たる上手にて工夫あらん仕手ならば、また目利かずの眼にもおもしろしと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とをきはめたらん仕手をば、花をきはめたるとや申すべき。されば、この位にいたらん仕手をば、いかに年よりたるとも、若き花に劣ることあるべからず。されば、この位を得たらん上手こそ、天下にもゆるされ、また遠国田舎の人までも、あまねくおもしろしとは見るべけれ。この工夫を得たらん仕手は、和州へも江州へも、若しは田楽の風体までも、人の好み望みによりて、いづれにもわたる上手なるべし。この嗜みの本意を顕さんが為、風姿花伝を作するなり。かやうに申せばとて、我風体の形木のおろそかならむは、殊に殊に能の命あるべからず。これ弱き仕手なるべし。我風体の形木をきはめてこそ、あまねき風体をも知りたるにてはあるべけれ。あまねき風体を心にかけんとて、我形木に入らざらむ仕手は、わが風体を知らぬのみならず、よその風体をも、たしかにはまして知るまじきなり。されば、能弱くて久しく花はあるべからず。久しく花のなからんは、いづれの風体をも知らぬに同じかるべし。然れば花伝の花の段に、物数を尽し工夫をきはめて後、花の失せぬ所をば知るべしといへり。
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風姿花伝・第六 花修一、能のよきあしきにつけて、仕手の位によりて相応の所を知るべきなり。文字風体を求めずして、大様なる能を本説殊に正しくて、大きに位のあがれる能あるべし。かやうなる能は、見所さほどこまかになきことあり。これにはよきほどの上手も似合はぬことあり。たとひこれに相応するほどの無上の上手なりとも、また目利大所にてなくは、よく出来ることあるべからず。これ、能の位、仕手の位、目利、在所、時分、悉く相応せずは、出来ることは左右なくあるまじきなり。またちひさき能の、さしたる本説にてはなけれども、幽玄なるがほそぼそとしたる能あり。これは初心の仕手にも似合ふものなり。在所もしぜん片辺の神事、夜などの庭に相応すべし。よきほどの見手も能の仕手も、これに迷ひて、しぜん田舎小所の庭にておもしろければ、その心ならひにて、押出したる大所貴人の御前などにて、あるいは贔屓興行して、思ひの外に能わるければ、仕手にも名を折らせ、われも面目なきことあるものなり。然ればかやうなる品々所々を限らで、甲乙なからんほどの仕手ならでは、無上の花をきはめたる上手とは申すべからず。さるほどにいかなる座敷にも相応するほどの上手にいたりては、是非なし。また仕手によりて、上手ほどは能を知らぬ仕手もあり、能よりは能を知るもあり。貴所大所などにて、上手なれども能を仕ちがへ、ちちのあるは、能を知らぬ故なり。またそれほどに達者にもなく、物少ななる仕手の、申さば初心なるが、大庭にても花失せず、諸人の褒美弥ましにして、さのみにむらのなからんは、仕手よりは能を知りたる故なるべし。さるほどにこの両様の仕手を、とりどりに申すことあり。然れども貴所大庭などにて、あまねく能のよからんは、名望長久なるべし。さあらんにとりては、上手の達者ほどは我が能を知らざらんよりは、すこし足らぬ仕手なりとも能を知りたらんは、一座建立の棟梁には優るべきか。能を知りたる仕手は、わが手柄の足らぬ所をも知る故に、大事の能にかなはぬことをば斟酌して、得たる風体ばかりを先だてて仕立よければ、見所の褒美かならずあるべし。さてかなはぬ所をば、小所片辺の能に仕ならふべし。かやうに稽古すれば、かなはぬ所も劫入れば、しぜんしぜんにかなふ時分あるべし。さるほどに遂には能に嵩も出来、垢も落ちて、いよいよ名望も一座も繁昌するときは、さだめて年ゆくまで花は残るべし。これ初心より能を知る故なり。能を知る心にて公案を尽して見ば、花の種を知るべし。然れどもこの両様は、あまねく人の心々にて勝負をば定め給ふべし。花修已上。この条々、心ざしの芸人より外は、一見をもゆるすべからず。世阿(華押)
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に位の差別を知る事如何。答、これ目利の眼にはやすく見ゆるなり。凡そ位のあがるとは、能の重々の事なれども、ふしぎに十ばかりの能者にも、この位おのれとあがれる風体あり。但し稽古なからむには、おのれとあがる位ありともいたづら事なり。先づ稽古の劫入りて位のあらむは、常のことなり。また生得あがる位とは長なり。嵩と申すは別の事なり。多く人、長と嵩とを同じやうに思ふなり。嵩と申すは、ものものしくせのある形なり。またいふ、嵩は一切にわたる義なり。位長には別の物なり。たとへば、生得幽玄なる所ある、これ上の位か。然れども、さらに幽玄にはなき仕手の、長のあるもあり。これは幽玄ならぬ長なり。また初心の人思ふべし。稽古に上の位を心がけんは、返々かなふまじ。位はいよいよかなはで、あまさへ稽古しける分もさがるべし。所詮、位長のあがらんことは、かくべつの心得ありて得ずしては、大方かなふまじ。また稽古の劫入りて垢落ちぬれば、この位おのれと出来ることあり。稽古とは、音曲、舞、はたらき、物まね、かやうの品々をきはむる形木なり。よくよく工夫して思ふに、幽玄の位は生得の物か、闌けたる位は劫入りたるところか、心中に案をめぐらすべし。
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風姿花伝・第一 年来稽古条々この年の比よりは、早やうやう声も調子にかかり、能も心づく比なれば、次第次第に物数をも教ふべし。先づ童形なれば、なにとしたるも幽玄なり。声もたつ比なり。このたよりあれば、わるき事はかくれ、よき事はいよいよ花めけり。大方児の申楽に、さのみにこまかなる物まねなどはせさすべからず。当座も似合はず、能もあがらぬ相なり。但し堪能になりぬれば、なにとしたるもよかるべし。児といひ声といひ、しかも上手ならば、なにかはわるかるべき。さりながら、この花はまことの花にはあらず、ただ時分の花なり。されば、この時分の稽古、すべてすべてやすきなり。さるほどに、一期の能の定めにはなるまじきなり。この比の稽古、やすき所を花にあてて、わざをば大事にすべし。はたらきをもたしやかに、音曲をも文字にさいさいとあたり、舞をも手を定めて、大事にして稽古すべし。