風姿花伝 / 第六 花修
一 能に強き幽玄弱き荒きを知ること大方は見えたる事なればたやすきやうなれども真実これを知らぬによりて弱く荒き仕手多し先づ一切の物まねに偽るところにて荒くも弱くもなると知るべしこの境よきほどの工夫にては紛るべしよくよく心底を分けて案じ修むべきことなり先づ弱かるべき事を強くするは偽なればこれ荒きなり強かるべき事に強きはこれ強きなり荒きにはあらず若し強かるべき事を幽玄にせんとて物まね似たらずは幽玄にはなくてこれ弱きなりさるほどにただ物まねにまかせてその物になり入りて偽なくは荒くも弱くもあるまじきなりまた強かるべき理過ぎて強きは殊更荒きなり幽玄の風体よりなほやさしくせんとせばこれ殊更弱きなりこの分目をよくよく見るに幽玄と強きと別にあるものと心得る故に迷ふなりこの二つはその物の体にありたとへば人においては女御 更衣 または遊女 好色 美男 草木にも花の類かやうの数々はそのかたち幽玄の物なりまたあるいは物のふ 荒夷あるいは鬼 神 草木にも松 杉かやうの数々の類は強き物と申すべきかかやうの万物の品々をよく仕似せたらんは幽玄の物まねは幽玄になり強きはおのづから強かるべしこの分目をあてがはずしてただ幽玄にせんとばかり心得て物まね粗雑なればそれに似ず似ぬをば知らで幽玄にするぞと思ふ心これ弱きなりされば遊女美男などの物まねをよく似せたらばおのづから幽玄なるべしただ似せんとばかり思ふべしまた強き事をもよく似せたらんはおのづから強かるべし但し心得べき事あり力なくこの道は見所を本にするわざなればその当世当世の風儀にて幽玄をもてあそぶ見物衆の前にては強き方をばすこし物まねに外るるとも幽玄の方へはやらせ給ふべしこの工夫をもて作者また心得べき事ありいかにも申楽の本木には幽玄ならん人体まして心言葉をもやさしからんを嗜みて書くべしそれに偽なくはおのづから幽玄の仕手と見ゆべし幽玄の理を知りきはめぬればおのれと強き所をも知るべしされば一切の似事をよく似すればよそ目に危き所なし危からぬは強きなり然ればちちとある言葉のひびきにもなびき臥すかへるよるなどいふ言葉は和らかなればおのづから余勢になるやうなりおつるくづるるやぶるるまろぶなど申すは強きひびきなれば振も強かるべしさるほどに強き 幽玄と申すは別にあるものにあらずただ物まねのすぐなる所弱き荒きは物まねに外るる所と知るべしこのあてがひをもて作者も発端の句 一声 和歌などに人体の物まねによりていかにも幽玄なる余勢たよりを求むる所に荒き言葉を書き入れ思ひの外にいりほがなる梵語 漢音などを載せたらんは作者の僻事なりさだめて言葉のままに風情をせば人体に似合はぬ所あるべし但し堪能の人はこの違目を心得て興がる故実にてなだらかなるやうにしなすべしそれは仕手の功名なり作者の僻事はのがるべからずまた作者は心得て書けども若し仕手の心なからんにいたりては沙汰の外なるべしこれはかくのごとしまた能によりてさしてこまかに言葉 儀理にかからで大様にすべき能あるべしさやうの能をばすぐに舞 謡 振をもするするとなだらかにすべしかやうなる能をまたこまかにするは下手のわざなりこれまた能の下る所と知るべし然ればよき言葉余勢を求むるも儀理 詰所のなくてはかなはぬ能にいたりてのことなりすぐなる能にはたとひ幽玄の人体にて剛き言葉を謡ふとも音曲のかかりだにたしやかならばこれよかるべしこれすなはち能の本様と心得べき事なりただ返々かやうの条々をきはめ尽してさて大様にするならでは能の庭訓あるべからず
書き下し
一、能に強き幽玄弱き荒きを知ること、大方は見えたる事なればたやすきやうなれども、真実これを知らぬによりて、弱く荒き仕手多し。先づ一切の物まねに、偽るところにて荒くも弱くもなると知るべし。この境、よきほどの工夫にては紛るべし。よくよく心底を分けて案じ修むべきことなり。先づ弱かるべき事を強くするは偽なれば、これ荒きなり。強かるべき事に強きは、これ強きなり、荒きにはあらず。若し強かるべき事を幽玄にせんとて、物まね似たらずは、幽玄にはなくてこれ弱きなり。さるほどにただ物まねにまかせて、その物になり入りて偽なくは、荒くも弱くもあるまじきなり。また強かるべき理過ぎて強きは、殊更荒きなり。幽玄の風体よりなほやさしくせんとせば、これ殊更弱きなり。この分目をよくよく見るに、幽玄と強きと別にあるものと心得る故に迷ふなり。この二つはその物の体にあり。たとへば人においては、女御更衣、または遊女好色美男、草木にも花の類、かやうの数々はそのかたち幽玄の物なり。またあるいは物のふ荒夷、あるいは鬼神、草木にも松杉、かやうの数々の類は強き物と申すべきか。かやうの万物の品々をよく仕似せたらんは、幽玄の物まねは幽玄になり、強きはおのづから強かるべし。この分目をあてがはずして、ただ幽玄にせんとばかり心得て、物まね粗雑なれば、それに似ず。似ぬをば知らで幽玄にするぞと思ふ心、これ弱きなり。されば遊女美男などの物まねをよく似せたらば、おのづから幽玄なるべし。ただ似せんとばかり思ふべし。また強き事をもよく似せたらんは、おのづから強かるべし。但し心得べき事あり。力なくこの道は見所を本にするわざなれば、その当世当世の風儀にて幽玄をもてあそぶ見物衆の前にては、強き方をばすこし物まねに外るるとも、幽玄の方へはやらせ給ふべし。この工夫をもて作者また心得べき事あり。いかにも申楽の本木には、幽玄ならん人体、まして心言葉をもやさしからんを嗜みて書くべし。それに偽なくは、おのづから幽玄の仕手と見ゆべし。幽玄の理を知りきはめぬれば、おのれと強き所をも知るべし。されば一切の似事をよく似すれば、よそ目に危き所なし。危からぬは強きなり。然ればちちとある言葉のひびきにも、なびき臥すかへるよるなどいふ言葉は和らかなれば、おのづから余勢になるやうなり。おつるくづるるやぶるるまろぶなど申すは、強きひびきなれば、振も強かるべし。さるほどに強き幽玄と申すは、別にあるものにあらず。ただ物まねのすぐなる所、弱き荒きは物まねに外るる所と知るべし。このあてがひをもて作者も、発端の句、一声、和歌などに、人体の物まねによりていかにも幽玄なる余勢たよりを求むる所に、荒き言葉を書き入れ、思ひの外にいりほがなる梵語漢音などを載せたらんは、作者の僻事なり。さだめて言葉のままに風情をせば、人体に似合はぬ所あるべし。但し堪能の人はこの違目を心得て、興がる故実にてなだらかなるやうにしなすべし。それは仕手の功名なり。作者の僻事はのがるべからず。また作者は心得て書けども、若し仕手の心なからんにいたりては、沙汰の外なるべし。これはかくのごとし。また能によりて、さしてこまかに言葉儀理にかからで、大様にすべき能あるべし。さやうの能をば、すぐに舞謡振をもするするとなだらかにすべし。かやうなる能をまたこまかにするは、下手のわざなり。これまた能の下る所と知るべし。然ればよき言葉余勢を求むるも、儀理詰所のなくてはかなはぬ能にいたりてのことなり。すぐなる能には、たとひ幽玄の人体にて剛き言葉を謡ふとも、音曲のかかりだにたしやかならば、これよかるべし。これすなはち能の本様と心得べき事なり。ただ返々かやうの条々をきはめ尽して、さて大様にするならでは、能の庭訓あるべからず。
現代語訳
一、能における強き・幽玄・弱き・荒きを見分けること。おおよそ目に見えることなので簡単なようだが、本当にはこれを知らないために、弱い・荒い演者が多い。まずすべての物まねにおいて、対象を偽る(本物になりきらない)ところで荒くも弱くもなると知るべきだ。この境目は、なまじの工夫では紛れて分からなくなる。よくよく心の底まで分け入って考え修めるべきことである。まず弱くあるべきものを強くするのは偽りだから、これが荒いということだ。強くあるべきものが強いのは、これは強いのであって、荒いのではない。もし強くあるべきものを幽玄にしようとして、物まねが似ていなければ、それは幽玄ではなくて弱いのである。だからただ物まねに任せて、その対象になりきって偽りがなければ、荒くも弱くもならないはずだ。また、強くあるべき道理を超えて強いのは、とりわけ荒いということである。幽玄の風体をさらにやさしくしようとすれば、これはとりわけ弱いのだ。この分かれ目をよくよく見ると、幽玄と強きとを別々に存在するものと思い込むから迷うのである。この二つは、その対象そのものの本質にある。たとえば人でいえば、女御・更衣、または遊女・好色・美男、草木でも花の類、こうしたものはその姿がもともと幽玄のものだ。また一方、武士・荒々しい者、あるいは鬼・神、草木でも松・杉、こうしたものは強いものと言うべきだろう。こうした万物のさまざまをよく似せて演じれば、幽玄の物まねは幽玄になり、強いものは自然に強くなる。この分かれ目をわきまえずに、ただ幽玄にしようとばかり思って、物まねが粗雑になれば、対象に似ない。似ていないのを知らずに幽玄にしているつもりだと思う心、これが弱いということだ。だから遊女や美男などの物まねをよく似せれば、自然に幽玄になる。ただ似せようとだけ思えばよい。また強いものもよく似せれば、自然に強くなる。ただし心得ておくべきことがある。やむを得ずこの道は観客の目を基準にする芸だから、その時代時代の風潮で幽玄を好む観客の前では、強い方は少し物まねから外れても、幽玄の方へ寄せるようになさるべきだ。この工夫について作者もまた心得るべきことがある。とにかく能の脚本には、幽玄であるような人物、まして心も言葉もやさしいものを工夫して書くべきだ。それに偽りがなければ、自然に幽玄のシテと見えるだろう。幽玄の道理を知り極めれば、自然と強い所も分かるようになる。だからすべての似せ事をよく似せれば、傍目に危なっかしい所がない。危なくないのが強いということだ。したがって、ちょっとした言葉の響きでも、「なびき」「臥す」「かへる」「よる」などという言葉は柔らかなので、自然と余情(余勢)になるようだ。「おつる」「くづるる」「やぶるる」「まろぶ」などというのは強い響きだから、所作も強くなる。だから強き・幽玄というのは、別々に存在するものではない。ただ物まねが素直に決まっている所(が幽玄・強き)で、弱き・荒きは物まねから外れている所だと知るべきだ。この見極めをもって作者も、冒頭の句や一声・和歌などに、人物の物まねに応じてまことに幽玄な余情の手がかりを求める所に、荒い言葉を書き入れ、思いがけず不釣り合いな梵語・漢音などを載せてしまうのは、作者の誤りである。きっと言葉のとおりに演じれば、人物に似合わない所が出てくるだろう。ただし堪能な演者はこの食い違いを心得て、面白がられる工夫でなめらかに処理するだろう。それはシテの手柄だ。作者の誤りは免れられない。また作者は心得て書いても、もしシテに心がなければ、論外である。これはこのとおりだ。また能によっては、特に細かく言葉や理屈にこだわらず、大まかにすべき能もある。そういう能は、そのまま舞・謡・所作をすらすらとなめらかにすべきだ。こうした能をかえって細かくするのは、下手のすることである。これもまた能の質が下がる所だと知るべきだ。したがってよい言葉や余情を求めるのも、理屈や見せ場がなくては成り立たない能に至ってのことである。素直な能には、たとえ幽玄の人物で強い言葉を謡っても、謡の調子さえ確かであれば、それでよいのだ。これこそが能の本来のあり方だと心得るべきである。ただくれぐれも、こうした一つ一つを極め尽くして、その上で大まかにするのでなければ、能の教え(庭訓)はありえないのだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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風姿花伝・第六 花修一、能の本を書くこと、この道の命なり。きはめたる才覚の力なけれども、ただ巧によりてよき能にはなるものなり。大方の風体、序破急の段に見えたり。殊更脇の申楽、本説正しくて、開口よりその謂とやがて人の知るごとくならんずる来歴を書くべし。さのみにこまかなる風体を尽さずとも、大方のかかりすぐに下りたらんが、さしより花々とあるやうに、脇の申楽をば書くべし。また番数にいたりぬれば、いかにもいかにも言葉風体を尽してこまかに書くべし。仮令名所旧跡の題目ならば、その所に因りたらんずる詩歌の言葉の耳近からんを、能の詰所に寄すべし。仕手の言葉にも風情にもかからざらん所には、肝要の言葉をば載すべからず。なにとしても見物衆は、見る所も聞く所も上手をならでは心にかけず。さるほどに棟梁のおもしろき言葉、振目にさへぎり心にうかめば、見聞く人すなはち感を催すなり。これ第一、能をつくる手立なり。ただやさしくして、理のすなはちに聞ゆるやうならんずる詩歌の言葉を取るべし。やさしき言葉を振合はすれば、ふしぎにおのづから人体も幽玄の風情になるものなり。強りたる言葉は振に応ぜず。然あれども、強き言葉の耳遠きが、またよき所あるべし。それは本木の人体によりて似合ふべし。漢家本朝の来歴に従つて心得分くべし。ただ賤しく俗なる言葉、風体わるき能になるものなり。然ればよき能と申すは、本説正しくめづらしき風体にて、詰所ありてかかり幽玄ならんを第一とすべし。風体はめづらしからねども、わづらはしくもなくすぐに下りたるがおもしろき所あらんを第二とすべし。これはおほよその定めなり。ただ能は一風情、上手の手にかかりたよりだにあらば、おもしろかるべし。番数を尽し日をかさぬれば、たとひわるき能もめづらしく、仕替仕替彩ればおもしろく見ゆべし。されば能はただ時分、入場なり。わるき能とて捨つべからず、仕手の心づかひなるべし。但しここに様あり、善悪にすまじき能あるべし。いかなる物まねなればとて、仮令老尼姥老僧などの形して、さのみ狂ひ怒る事あるべからず。また怒れる人体にて幽玄の物まね、これ同じ。これをまことの似而非能狂騒とは申すべし。この心、二の巻の物狂の段に申したり。また一切の事に相応なくば成就あるべからず。よき本木の能を、上手のしたらんが、しかも出来たらんを相応とは申すべし。さればよき能を上手のせんこと、などか出来ざらんと皆人思ひ慣れたれども、ふしぎに出来ぬことあるものなり。これを目利は見分けて、仕手の咎もなきことを知れども、ただ大方の人は、能もわるく仕手もそれほどにはなしと見るなり。抑よき能を上手のせんこと、なにとて出来ぬやらんと工夫するに、若し時分の陰陽の和せぬところか、または花の公案なき故か、不審なほ残れり。
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風姿花伝・第六 花修一、能のよきあしきにつけて、仕手の位によりて相応の所を知るべきなり。文字風体を求めずして、大様なる能を本説殊に正しくて、大きに位のあがれる能あるべし。かやうなる能は、見所さほどこまかになきことあり。これにはよきほどの上手も似合はぬことあり。たとひこれに相応するほどの無上の上手なりとも、また目利大所にてなくは、よく出来ることあるべからず。これ、能の位、仕手の位、目利、在所、時分、悉く相応せずは、出来ることは左右なくあるまじきなり。またちひさき能の、さしたる本説にてはなけれども、幽玄なるがほそぼそとしたる能あり。これは初心の仕手にも似合ふものなり。在所もしぜん片辺の神事、夜などの庭に相応すべし。よきほどの見手も能の仕手も、これに迷ひて、しぜん田舎小所の庭にておもしろければ、その心ならひにて、押出したる大所貴人の御前などにて、あるいは贔屓興行して、思ひの外に能わるければ、仕手にも名を折らせ、われも面目なきことあるものなり。然ればかやうなる品々所々を限らで、甲乙なからんほどの仕手ならでは、無上の花をきはめたる上手とは申すべからず。さるほどにいかなる座敷にも相応するほどの上手にいたりては、是非なし。また仕手によりて、上手ほどは能を知らぬ仕手もあり、能よりは能を知るもあり。貴所大所などにて、上手なれども能を仕ちがへ、ちちのあるは、能を知らぬ故なり。またそれほどに達者にもなく、物少ななる仕手の、申さば初心なるが、大庭にても花失せず、諸人の褒美弥ましにして、さのみにむらのなからんは、仕手よりは能を知りたる故なるべし。さるほどにこの両様の仕手を、とりどりに申すことあり。然れども貴所大庭などにて、あまねく能のよからんは、名望長久なるべし。さあらんにとりては、上手の達者ほどは我が能を知らざらんよりは、すこし足らぬ仕手なりとも能を知りたらんは、一座建立の棟梁には優るべきか。能を知りたる仕手は、わが手柄の足らぬ所をも知る故に、大事の能にかなはぬことをば斟酌して、得たる風体ばかりを先だてて仕立よければ、見所の褒美かならずあるべし。さてかなはぬ所をば、小所片辺の能に仕ならふべし。かやうに稽古すれば、かなはぬ所も劫入れば、しぜんしぜんにかなふ時分あるべし。さるほどに遂には能に嵩も出来、垢も落ちて、いよいよ名望も一座も繁昌するときは、さだめて年ゆくまで花は残るべし。これ初心より能を知る故なり。能を知る心にて公案を尽して見ば、花の種を知るべし。然れどもこの両様は、あまねく人の心々にて勝負をば定め給ふべし。花修已上。この条々、心ざしの芸人より外は、一見をもゆるすべからず。世阿(華押)
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風姿花伝・第六 花修一、作者の思ひ分くべき事あり。ひたすらしづかなる本木の音曲ばかりなると、また舞はたらきのみなるとは、一向なれば書きよきものなり。音曲にてはたらく能あるべし、これ一大事なり。真実おもしろしと感をなすは、これなり。聞く所は耳近におもしろき言葉にて、節のかかりよくて、文字移りの美しくつづきたらんが、殊更風情をもちたる詰を嗜みて書くべし。この数々相応する所にて、諸人一同に感をなすなり。さるほどにこまかに知るべき事あり。風情を博士にて音曲をする仕手は、初心のところなり。音曲よりはたらきの生ずるは、劫入りたる故なり。音曲は聞く所、風体は見る所なり。一切の事は、謂を道にしてこそ、よろづの風情にはなるべき理なれ。謂をあらはすは言葉なり。さるほどに音曲は体なり、風情は用なり。然れば音曲よりはたらきの生ずるは順なり、はたらきにて音曲をするは逆なり。諸道諸事において、順逆とこそ下るべけれ、逆順とはあるべからず。返々音曲の言葉のたよりをもて、風体を彩り給ふべきなり。これ音曲はたらき一心になる稽古なり。さるほどに能を書くところに、また工夫あり。音曲よりはたらきを生ぜさせんが為、書くところをば風情を本に書くべし。風情を本に書きて、さてその言葉を謡ふときには、風情おのづから生ずべし。然れば書くところをば風情を先だてて、しかも謡のかかりよきやうに嗜むべし。さて当座の芸能にいたるときは、また音曲を先とすべし。かやうに嗜みて劫入りぬれば、謡ふも風情、舞ふも音曲になりて、万曲一心たる達者となるべし。これまた作者の功名なり。
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風姿花伝・第七 別紙口伝この口伝に花を知ること、先づ仮令、花の咲くを見てよろづに花とたとへ始めん理をわきまふべし。抑、花といふに、万木千草において四季折節に咲くものなれば、その時を得てめづらしき故にもてあそぶなり。申楽も、人の心にめづらしきと知るところ、すなはちおもしろき心なり。いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比あればめづらしきなり。能も、住する所なきを先づ花と知るべし。住せずして余の風体に移ればめづらしきなり。但し様あり。めづらしきといへばとて、世になき風体をし出だすにてはあるべからず。花伝に出だすところの条々を悉く稽古し終りて、さて申楽をせんときに、その物数を用々にしたがひて取り出だすべし。花と申すも、よろづの草木において、いづれか四季折節の時の花の外にめづらしき花のあるべき。そのごとくに、ならひおぼえつる品々をきはめぬれば、時折節の当世を心得て、時の人の好みの品によりてその風体を取り出だす。これ、時の花の咲くを見んがごとし。花と申すも、こぞ咲きし種なり。能ももと見し風体なれども、物数をきはめぬれば、その数を尽すほど久し。久しくて見れば、まためづらしきなり。そのうへ、人の好みもいろいろにして、音曲、ふるまひ、物まね、所々に変りてとりどりなれば、いづれの風体をも残しては叶ふまじきなり。然れば、物数をきはめ尽したらん仕手は、初春の梅より秋の菊の花の咲きはつるまで、一年中の花の種を持ちたらんがごとし。いづれの花なりとも、人の望時によりて取り出だすべし。物数をきはめずは、時によりて花を失ふことあるべし。たとへば、春の花の比過ぎて、夏の草の花を賞翫せんずる時分に、春の花の風体ばかりを得たらん仕手が、夏草の花はなくて、過ぎし春の花をまたもちて出たらんは、時の花にあふべしや。これにて知るべし。ただ花は、見る人の心にめづらしきが花なり。然れば、花伝の花の段に、物数をきはめて工夫を尽して後、花の失せぬ所をば知るべしとあるは、この口伝なり。されば、花とて別にはなきものなり。物数を尽して工夫を得て、めづらしき感を心に得るが花なり。花は心、種はわざと書けるもこれなり。物まねの鬼の段に、鬼ばかりをよくせん者は、鬼のおもしろき所をも知るまじきとも申したるなり。物数を尽して、まためづらしくし出だしたらんは、めづらしき所花なるべきほどにおもしろかるべし。余の風体はなくて、鬼ばかりをする上手と思はば、よくしたりとは見ゆるとも、めづらしき心あるまじければ、見所に花はあるべからず。巌に花の咲かんがごとしと申したるも、鬼をば強くおそろしく瞻を消すやうにするならでは、およその風体なし。これ巌なり。花といふは、余の風体を残さずして幽玄至極の上手と人の思ひなれたるところに、思ひの外に鬼をすれば、めづらしく見ゆるところ、これ花なり。然れば、鬼ばかりをせんずる仕手は、巌ばかりにて花はあるべからず。
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風姿花伝・第五 奥義凡そこの道、和州・江州において風体変れり。江州には、幽玄の境をとりたてて、物まねを次にして、かかりを本とす。和州には、先づ物まねをとりたてて、物数を尽して、しかも幽玄の風体ならんとなり。しかれども、真実の上手は、いづれの風体なりとも、漏れたる所あるまじきなり。一向の風体ばかりをせん者は、まこと得ぬ人のわざなるべし。されば和州の風体、物まね儀理を本として、あるひは長のあるよそほひ、或は怒れるふるまひ、かくのごとくの物数を得たるところと、人も心得、嗜みもこれ専なれども、亡父の名を得しさかり、静が舞の能、嵯峨の大念仏の女物狂の物まね、殊に殊に得たりし風体なれば、天下の褒美名望を得しこと、世もてかくれなし。これ幽玄無上の風体なり。また田楽の風体、殊に各別の事にて、見所も申楽の風体には批判にも及ばぬと、皆々思ひなれたれども、近代にこの道の聖とも聞えし本座の一忠、殊に殊に物数を尽しける中にも、鬼神の物まね、怒れるよそほひ、漏れたる風体なかりけるとこそ承りし。然れば亡父は常々、一忠が事を我風体の師なりと、まさしく申ししなり。されば、ただ人ごとに、或は諍識、或は得ぬ故に、一向の風体ばかりを得て、十体にわたるところを知らで、よその風体を嫌ふなり。これは嫌ふにはあらず、ただかなはぬ諍識なり。されば、かなはぬ故に、一体を身に得たるほどの名望を、一旦は得たれども、久しき花なければ、天下にゆるされず。堪能にて天下のゆるされを得んほどの者は、いづれの風体をするとも、おもしろかるべし。風体形木は面々各々なれども、おもしろき所はいづれにもわたるべし。このおもしろしと見るは花なるべし。これ、和州・江州、または田楽の能にも漏れぬところなり。されば、漏れぬところをもちたる仕手ならでは、天下のゆるされを得んことあるべからず。またいふ、悉く物数をきはめずとも、仮令、十分に七八分きはめたらん上手の、その中に殊に得たる風体を、我門体の形木にしきはめたらむが、しかも工夫あらば、これまた天下の名望を得つべし。さりながら、げには十分に足らぬ所あらば、都鄙上下において、見所の褒貶の沙汰あるべし。
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風姿花伝・第三 問答条々問、文字にあたる風情とは何事ぞや。答、これこまかなる稽古なり。能に諸のはたらきとなる初なり。体配身づかひと申すもこれなり。たとへば、いひ事の文字にまかせて心を遣ふべし。見るといふことには目をつかひ、さすひくなどいふには袖を少しさしひき、聞く音するなどには心をよせ、あらゆる事にまかせて心をちちとつかふは、おのづから振にも風情にもなるなり。第一、身をつかふこと。第二、手をつかふこと。第三、足をつかふことなり。節とかかりによりて、身のふるまひを了簡すべし。これは筆に見えがたし。その時にいたりて見るまま習ふべし。この文字にあたる事を稽古しきはめぬれば、音曲風体一心になるべし。所詮、音曲風体一心になる位、これまた得たる所なり。堪能と申さんもこれなるべし。音曲と風体は二つの心なるを、一心になるほど達者にきはめたらむは、無上第一の上手なるべし。これまことに強き能なるべし。また強き弱き事、多く人紛らかすものなり。能の品のなきをば強きと心得、弱きをば幽玄なりと批判すること、あやまりなり。なにと見るも見弱りのせぬ仕手あるべし。これ強きなり。なにと見るも花やかなる仕手、これ幽玄なり。されば、この文字にあたる道理をしきはめたらんは、音曲風体一心になり、強き、幽玄の境いづれもいづれも、おのづからきはめたる仕手なるべし。