風姿花伝 / 第五 奥義
一 この寿福増長の嗜みと申せばとてひたすら世間の理にかかりて若し欲心に住せばこれ第一道の廃るべき因縁なり道の為の嗜みには寿福増長あるべし寿福の為の嗜みには道まさに廃るべし道廃らば寿福おのづから滅すべし正直延命にして世上万徳の妙花を開く因縁なりと嗜むべし凡そ花伝の中年来稽古より始めてこの条々を注すところ全く自力より出づる才覚ならず幼少以来亡父の力を得て人となりしより二十余年が間目にふれ耳に聞き置きしままその風を受けて道の為家の為これを作するところわたくしにあらんものか于時応永第九之暦暮春二日馳筆畢 世阿 在判
書き下し
一、この寿福増長の嗜みと申せばとて、ひたすら世間の理にかかりて、若し欲心に住せば、これ第一、道の廃るべき因縁なり。道の為の嗜みには、寿福増長あるべし。寿福の為の嗜みには、道まさに廃るべし。道廃らば、寿福おのづから滅すべし。正直延命にして、世上万徳の妙花を開く因縁なりと嗜むべし。凡そ花伝の中、年来稽古より始めて、この条々を注すところ、全く自力より出づる才覚ならず。幼少以来、亡父の力を得て、人となりしより、二十余年が間、目にふれ耳に聞き置きしまま、その風を受けて、道の為家の為、これを作するところ、わたくしにあらんものか。于時応永第九之暦暮春二日、馳筆畢。世阿、在判。
現代語訳
一、この寿福増長のための心がけと言うからといって、ひたすら世間の損得の理屈にとらわれて、もし欲心に執着するならば、これこそ第一に、芸道が廃れる原因である。道のための心がけには、幸福と繁栄(寿福増長)がおのずと伴うはずだ。しかし寿福(金銭や名声)のための心がけであれば、道はまさに廃れてしまう。道が廃れれば、寿福もおのずと消え去ってしまう。正直で心正しく命を全うして、世の中のあらゆる徳という素晴らしい花を開かせる因縁である、という心構えで励むべきである。そもそも『花伝』の中で、長年の稽古から始めてこれらの条々を書き記したところは、まったく自分ひとりの才覚から出たものではない。幼少のころから亡父(観阿弥)の力を得て一人前になってから、二十余年の間、目にふれ耳に聞いて心にとどめたそのままに、父の芸風を受け継いで、道のため家のためにこれを著したのであって、どうして私の私意によるものであろうか(いや、私意ではない)。時に応永九年(一四〇二年)三月二日、筆を走らせ書き終えた。世阿。花押あり。
解説
この章句が説くこと
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