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風姿花伝 / 第四 神祇

一 日本国においては欽明大皇の御宇に大和国泊瀬の河に洪水の折節河上より一つの壺流れくだる三輪の杉の鳥居のほとりにて雲客この壺をとる中に緑子ありかたち柔和にして玉のごとしこれ降人なるが故に内裏に奏聞すその夜御門の御夢に緑子のいはく我はこれ大国秦の始皇の再誕なり日域に機縁ありて今現在すと云々御門奇特におぼしめし殿上にめさる成人にしたがひて才智人に超えて年十五にて大臣の位にのぼる秦の姓をくださる秦といふ文字はたなるが故に秦河勝なり上宮太子天下少し障ありしとき神代仏在所の吉例に任せて六十六番の物まねをかの河勝におほせて同じく六十六番の面を御作にてすなはち河勝にあたへたまふ橘の内裏の紫宸殿にてこれを勤む天下治まり国しづかなり上宮太子末代の為神楽なりしを神といふ字の偏をのけて旁を残し給ふこれ日よみの申なるが故に申楽と名付くすなはちたのしみを申によりてなりまたは神楽を分くればなりかの河勝 欽明 敏達 用明 崇峻 推古 上宮太子に仕へたてまつりこの芸をば子孫に伝へて化人跡を止めぬによりて摂津国難波の浦よりうつぼ船にのりて風にまかせて西海に出づ播磨国坂越の浦につく浦人舟をあけて見れば形人間に変れり諸人に憑き祟りて奇瑞をなすすなはち神と崇めて国豊なり大きに荒るると書きて大荒大明神と名付く今の代に霊験あらたかなり本地毘沙門天王にてまします上宮太子守屋の逆臣をたいらげ給ひしときもかの河勝が神通方便の手にかかりて守屋は失せぬと云々

書き下し

一 日本国においては、欽明大皇の御宇に、大和国泊瀬の河に洪水の折節、河上より一つの壺流れくだる。三輪の杉の鳥居のほとりにて、雲客この壺をとる。中に緑子ありかたち柔和にして玉のごとし。これ降人なるが故に、内裏に奏聞す。その夜御門の御夢に、緑子のいはく、我はこれ大国秦の始皇の再誕なり、日域に機縁ありて今現在すと云々。御門奇特におぼしめし、殿上にめさる。成人にしたがひて才智人に超えて、年十五にて大臣の位にのぼる。秦の姓をくださる。秦といふ文字はたなるが故に、秦河勝なり。上宮太子天下少し障ありしとき、神代仏在所の吉例に任せて、六十六番の物まねをかの河勝におほせて、同じく六十六番の面を御作にて、すなはち河勝にあたへたまふ。橘の内裏の紫宸殿にてこれを勤む。天下治まり国しづかなり。上宮太子末代の為、神楽なりしを、神といふ字の偏をのけて旁を残し給ふ。これ日よみの申なるが故に申楽と名付く。すなはちたのしみを申によりてなり。または神楽を分くればなり。かの河勝、欽明・敏達・用明・崇峻・推古・上宮太子に仕へたてまつり、この芸をば子孫に伝へて、化人跡を止めぬによりて、摂津国難波の浦よりうつぼ船にのりて、風にまかせて西海に出づ。播磨国坂越の浦につく。浦人舟をあけて見れば、形人間に変れり。諸人に憑き祟りて奇瑞をなす。すなはち神と崇めて国豊なり。大きに荒るると書きて、大荒大明神と名付く。今の代に霊験あらたかなり。本地毘沙門天王にてまします。上宮太子守屋の逆臣をたいらげ給ひしときも、かの河勝が神通方便の手にかかりて、守屋は失せぬと云々。

現代語訳

日本国においては、欽明天皇の御代に、大和国泊瀬の河が洪水になった折、川上から一つの壺が流れ下ってきた。三輪の杉の鳥居のあたりで、公卿がこの壺を拾い上げた。中には嬰児がおり、姿は柔和で玉のように美しい。これは天から降ってきた人であるというので、朝廷に奏上した。その夜、帝の御夢に嬰児が現れて言うには、「我は大国・秦の始皇帝の生まれ変わりである。日本の地に縁があって今この世に現れたのだ」と。帝は不思議にお思いになり、殿上にお召しになった。成長するにつれて才智が人並みを超え、十五歳で大臣の位に昇った。秦の姓を賜り、秦は「はた」と読むので秦河勝という。上宮太子(聖徳太子)は、天下に少し乱れがあったとき、神代と仏在所の吉例にならって、六十六番の物まねをこの河勝に命じ、同じく六十六番の面を自らお作りになって河勝にお与えになった。橘の内裏の紫宸殿でこれを演じた。すると天下は治まり、国は静かになった。上宮太子は末代のために、「神楽」の「神」という字の偏(示偏)を除き旁を残された。これは日読みで「申」と読むので「申楽」と名付けたのである。すなわち楽しみを「申(もう)す」ことによるのであり、また「神楽」を分けたものでもある。かの河勝は、欽明・敏達・用明・崇峻・推古の各天皇と上宮太子にお仕え申し上げ、この芸を子孫に伝えて、化人(神の化身)として姿を消さぬために、摂津国難波の浦から空舟に乗り、風にまかせて西海に出た。播磨国坂越の浦に着いた。浦人が舟を開けて見ると、姿は人間とは変わっていた。人々に憑いて祟り、奇瑞をなした。そこで神と崇めたところ国が豊かになった。「大きに荒るる」と書いて大荒大明神と名付けた。今の世にも霊験あらたかである。本地は毘沙門天王であられる。上宮太子が守屋の逆臣を平らげられたときも、この河勝の神通方便の力によって守屋は滅んだのだと伝えられている。

解説

この一節は、申楽の日本における起源を、秦河勝の伝承によって語ります。欽明天皇の代に壺から現れた嬰児が秦始皇帝の再誕として大臣となり、聖徳太子の命で六十六番の物まねと面を授かって天下を鎮めた、という由緒です。さらに「神楽」の字から偏を除いて「申楽」と名付けた語源説や、河勝が空舟で流れ着き大荒大明神となった神話まで含みます。『風姿花伝』第四「神祇」篇の中核をなし、世阿弥は自らの家(大和申楽)の芸を、神代・仏法・聖徳太子・秦河勝へと連なる神聖な系譜に接続します。ここには、自分の仕事や技を、より大きな歴史や理念の流れの中に位置づけることで意味と誇りを得るという発想があります。ルーツを語る力が、芸や組織を支える正統性を生むのです。

この章句が説くこと

秦河勝聖徳太子欽明天皇申楽の語源六十六番大荒大明神

この一句を、あなたの毎日に。

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