風姿花伝 / 第三 問答条々
凡そ家を守り芸を重んずるによて亡父の申し置きし事どもを心底にとどめて大概を録する所世のそしりを忘れて道の廃れんことを思ふによりて全他人の才覚に及ぼさんとにはあらずただ子孫の庭訓を残すのみなり風姿花伝条々 以上于時応永七年庚辰卯月十三日 従五位下左衛門大夫秦元清書
書き下し
凡そ家を守り芸を重んずるによて、亡父の申し置きし事どもを心底にとどめて、大概を録する所、世のそしりを忘れて、道の廃れんことを思ふによりて、全他人の才覚に及ぼさんとにはあらず、ただ子孫の庭訓を残すのみなり。風姿花伝条々、以上。于時応永七年庚辰卯月十三日、従五位下左衛門大夫秦元清書。
現代語訳
およそ家を守り、芸を重んじるがゆえに、亡き父(観阿弥)が言い残した事どもを心の底にとどめて、その大要を書き記すもの。世の非難を忘れ、この道が廃れることを憂えるためであって、まったく他人に及ぼそうとするのではない。ただ子孫への庭訓(家庭の教え)として残すのみである。風姿花伝条々、以上。時に応永七年(一四〇〇年)庚辰、卯月十三日、従五位下左衛門大夫・秦元清(世阿弥)記す。
解説
この一節は、風姿花伝の上巻(問答条々まで)を締めくくる奥書(結句)です。世阿弥は、家と芸を守るために、亡き父・観阿弥が言い残した教えを書き留めるのだと執筆の動機を明かします。世間の非難を恐れず、この道が廃れることを憂え、他人に広めるためではなく、ただ子孫への庭訓(家庭の教え)として残すのだと述べます。応永七年(一四〇〇年)の年記と、世阿弥の本名である秦元清の署名が添えられ、本書が一族相伝の秘伝書であったことを物語ります。技芸を家として継承する中世芸能のあり方を示す、貴重な記録です。優れた知恵や技術を次代へどう伝え残すかという継承の問題は、現代の組織や家業にも通じます。自らの学びを言葉にして遺すことの意味を、この短い奥書は静かに教えてくれます。
この章句が説くこと
奥書観阿弥世阿弥秦元清庭訓相伝
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