風姿花伝 / 第七 別紙口伝
一 この別紙の口伝当芸において家の大事一代一人の相伝なりたとひ一子たりといふとも不器量の者には伝ふべからず家家にあらずつづくをもて家とす人人にあらず知るをもて人とすといへりこれ万徳了達の妙花をきはむるところなるべし
書き下し
一、この別紙の口伝、当芸において家の大事、一代一人の相伝なり。たとひ一子たりといふとも、不器量の者には伝ふべからず。「家家にあらず、つづくをもて家とす。人人にあらず、知るをもて人とす」といへり。これ、万徳了達の妙花をきはむるところなるべし。
現代語訳
一、この別紙の口伝は、我が芸(能)において一家の最も大切な奥義であり、一代に一人だけへ伝える相伝である。たとえ実の子であっても、器量のない者には伝えてはならない。「家というのは血筋があれば家なのではなく、芸が受け継がれてこそ家である。人というのは、ただ人であれば人なのではなく、道を知ってこそ人である」と言われている。これこそ、あらゆる徳を会得し尽くした、この上ない花を極める境地であろう。
解説
この一節は、第七別紙口伝の相伝についての心得を示します。世阿弥は、この花の奥義を一家の最重要の秘伝とし、一代に一人だけへ伝える「一子相伝」だと宣言します。しかし血筋があればよいのではなく、実の子でも器量のない者には伝えるなと厳しく戒めます。「家家にあらず、つづくをもて家とす。人人にあらず、知るをもて人とす」——家とは芸が受け継がれてこそ家であり、人とは道を知ってこそ人だ、という言葉は本書で最も有名な一節の一つです。第七別紙口伝の結びに近く、芸の継承のあるべき姿を示す重要な段です。現代でも、地位や血縁だけで役割を継がせるのではなく、それにふさわしい能力と理解を持つ者にこそ受け継がせるべきだ、という考えは、事業承継や技術伝承の場面で今なお通じます。形式ではなく実質を重んじる、世阿弥の峻厳な後継者観がここに表れています。
この章句が説くこと
一子相伝家の大事不器量つづくをもて家とす知るをもて人とす妙花
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