風姿花伝 / 第三 問答条々
問常の批判にも萎れたると申すことありいかやうなるところぞや答これ殊に記すに及ばずその風情あらはれまじさりながらまさしく萎れたる風体はあるものなりこれもただ花によりての風情なりよくよく案じて見るに稽古にもふるまひにも及びがたし花をきはめたらば知るべきかさればあまねく物まねごとになしとも一方の花をきはめたらん人は萎れたる所をも知ることあるべし然ればこの萎れたると申すこと花よりもなほ上の事にも申しつべし但し花なくては萎れ所無役なりされば湿りたるになるべし花の萎れたらんこそおもしろけれ花咲かぬ草木の萎れたらんはなにかおもしろかるべきされば花をきはめんこと一大事なるにそのうへとも申すべきことなれば萎れたる風体返々大事なりさるほどに辞にも申しがたし古歌にいふうすぎりのまがきの花の朝湿り 秋はゆふべと誰かいひけむかやうなる風体にてやあるべき心中にあてて公案すべし
書き下し
問、常の批判にも萎れたると申すことあり。いかやうなるところぞや。答、これ殊に記すに及ばず。その風情あらはれまじ。さりながら、まさしく萎れたる風体はあるものなり。これもただ花によりての風情なり。よくよく案じて見るに、稽古にもふるまひにも及びがたし。花をきはめたらば知るべきか。されば、あまねく物まねごとになしとも、一方の花をきはめたらん人は、萎れたる所をも知ることあるべし。然れば、この萎れたると申すこと、花よりもなほ上の事にも申しつべし。但し花なくては、萎れ所無役なり。されば湿りたるになるべし。花の萎れたらんこそおもしろけれ。花咲かぬ草木の萎れたらんは、なにかおもしろかるべき。されば花をきはめんこと一大事なるに、そのうへとも申すべきことなれば、萎れたる風体返々大事なり。さるほどに、辞にも申しがたし。古歌にいふ、うすぎりのまがきの花の朝湿り、秋はゆふべと誰かいひけむ。かやうなる風体にてやあるべき。心中にあてて公案すべし。
現代語訳
問い。世間の批判(評)にも萎れたるということがある。どういうところか。答え。これは特に書き記すには及ばない。その風情は言葉では現しがたい。とはいえ、まさしく萎れた芸風はあるものだ。これもただ花によっての風情である。よくよく考えてみるに、稽古やふるまいでは及びがたい。花を究めたなら分かるだろうか。だから、たとえ広く物まねの芸ができなくても、一方の花を究めた人は、萎れた所も知ることがあるだろう。とすれば、この萎れたるということは、花よりもさらに上の事だとも言えよう。ただし花がなくては、萎れる所も役に立たない。だから花のない萎れは、ただ湿っぽく沈んだものになってしまう。花が萎れたのこそ面白い。花の咲かない草木が萎れたのは、何が面白かろうか。だから花を究めることが一大事であるのに、そのさらに上とも言うべきことであるから、萎れた芸風は返す返す大事である。そういうわけで、言葉でも表しがたい。古歌に言う、薄霧の籬(まがき)の花の朝湿り、秋は夕べと誰が言ったのだろう。こうした風情であろうか。心の中に当てはめて工夫すべきだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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風姿花伝・第三 問答条々問、この勝負においてこれに大いなる不審あり。はや劫入りたる仕手の、しかも名人なるに、ただ今の若仕手の立合に勝つことあり。これ不審なり。答、これこそ先に申しつる、三十以前の時分の花なれ。ふるき仕手ははや花失せて、古様なる時分に、めづらしき花にて勝つことあり。真実の目利は見分くべし。さあらば、目利目利かずの批判の勝負になるべきか。さりながら様あり。五十以来まで花の失せざらんほどの仕手は、いかなる若き花なりとも勝つことはあるまじ。ただこれ、よきほどの上手の花失せたる故に負くることあり。いかなる名木なりとも、花の咲かぬときの木をや見ん。犬桜の一重なりとも、初花色々と咲けるをや見ん。かやうのたとへを思ふときは、一旦の花なりとも立合に勝つは理なり。されば肝要、この道はただ花が能の命なるを、花の失するをも知らず、本の名望ばかりをたのむこと、古仕手の返々のあやまりなり。物数をば似せたりとも、花のあるやうを知らざらんは、花咲かぬときの草木をあつめて見んがごとし。万木千草において、花の色は皆々異なれども、おもしろしと見る心は同じ花なり。物数は少くとも、一向の花をとりきはめたらん仕手は、一体の名望は久しかるべし。されば主の心には随分花ありと思へども、人の目に見ゆる公案なからんは、田舎の花やぶ梅などのいたづらに咲き匂はんがごとし。また同じ上手なりとも、そのうちにて重々あるべし。たとひ随分きはめたる上手名人なりとも、この花の公案なからん仕手は、上手にては通るとも、花は後まではあるまじきなり。公案をきはめたらん上手は、たとひ能はさがるとも、花は残るべし。花だに残らば、おもしろさは一期あるべし。されば、まことの花の残りたる仕手には、いかなる若き仕手なりとも、勝つことはあるまじきなり。
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に花を知ること、この条々を見るに無上第一なり、肝要なり。またまた不審なり。これなにとして心得べきや。答、この道の奥義をきはむるところなるべし。一大事とも秘事とも、ただこの一道なり。先づ大方、稽古物まねの条々にくはしく見えたり。時分の花、声の花、幽玄の花、かやうの条々は人の目にも見えたれども、そのわざより出来る花なれば、咲く花のごとくなれば、またやがて散る時分あり。されば久しからねば、天下に名望少なし。ただまことの花は、咲く道理も散る道理も人のままなるべし。されば久しかるべし。この理を知らんこと、いかがすべき。若し別紙の口伝にあるべきか。ただわづらはしくは心得まじきなり。先づ七歳より以来、年来稽古の条々、物まねの品々を、よくよく心中にあてて分かちおぼえて、能を尽し工夫をきはめて後、この花の失せぬ所をば知るべし。この物数をきはむる心、すなはち花の種なるべし。されば花を知らんと思はば、先づ種を知るべし。花は心、種はわざなるべし。古人云、心地含㆓諸種㆒、普雨悉皆萌、頓悟㆓花情㆒已、菩提果自成。
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に位の差別を知る事如何。答、これ目利の眼にはやすく見ゆるなり。凡そ位のあがるとは、能の重々の事なれども、ふしぎに十ばかりの能者にも、この位おのれとあがれる風体あり。但し稽古なからむには、おのれとあがる位ありともいたづら事なり。先づ稽古の劫入りて位のあらむは、常のことなり。また生得あがる位とは長なり。嵩と申すは別の事なり。多く人、長と嵩とを同じやうに思ふなり。嵩と申すは、ものものしくせのある形なり。またいふ、嵩は一切にわたる義なり。位長には別の物なり。たとへば、生得幽玄なる所ある、これ上の位か。然れども、さらに幽玄にはなき仕手の、長のあるもあり。これは幽玄ならぬ長なり。また初心の人思ふべし。稽古に上の位を心がけんは、返々かなふまじ。位はいよいよかなはで、あまさへ稽古しける分もさがるべし。所詮、位長のあがらんことは、かくべつの心得ありて得ずしては、大方かなふまじ。また稽古の劫入りて垢落ちぬれば、この位おのれと出来ることあり。稽古とは、音曲、舞、はたらき、物まね、かやうの品々をきはむる形木なり。よくよく工夫して思ふに、幽玄の位は生得の物か、闌けたる位は劫入りたるところか、心中に案をめぐらすべし。
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風姿花伝・第五 奥義凡そ能の名望を得ること、品々多し。上手は、目利かずの心に相かなふことかたし。下手は、目利の眼にあふことなし。下手にて目利の眼にかなはぬは、不審あるべからず。上手の、目利かずの心にあはぬこと、これは目利かずの眼の及ばぬところなれども、得たる上手にて工夫あらん仕手ならば、また目利かずの眼にもおもしろしと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とをきはめたらん仕手をば、花をきはめたるとや申すべき。されば、この位にいたらん仕手をば、いかに年よりたるとも、若き花に劣ることあるべからず。されば、この位を得たらん上手こそ、天下にもゆるされ、また遠国田舎の人までも、あまねくおもしろしとは見るべけれ。この工夫を得たらん仕手は、和州へも江州へも、若しは田楽の風体までも、人の好み望みによりて、いづれにもわたる上手なるべし。この嗜みの本意を顕さんが為、風姿花伝を作するなり。かやうに申せばとて、我風体の形木のおろそかならむは、殊に殊に能の命あるべからず。これ弱き仕手なるべし。我風体の形木をきはめてこそ、あまねき風体をも知りたるにてはあるべけれ。あまねき風体を心にかけんとて、我形木に入らざらむ仕手は、わが風体を知らぬのみならず、よその風体をも、たしかにはまして知るまじきなり。されば、能弱くて久しく花はあるべからず。久しく花のなからんは、いづれの風体をも知らぬに同じかるべし。然れば花伝の花の段に、物数を尽し工夫をきはめて後、花の失せぬ所をば知るべしといへり。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、こまかなる口伝にいはく、音曲、舞、はたらき、振、風情、これまた同じ心なり。これいつもの風情音曲なれば、さやうにぞあらんずらんと人の思ひなれたるところを、さのみに住せずして、心根に同じ振ながらも、もとよりはかるがると風体を嗜み、いつもの音曲なれども、なほ故実をめぐらして曲を彩り、声色を嗜みて、わが心にも今ほどに執することなしと大事にして、このわざをすれば、見聞く人常よりもなほおもしろしなど、批判にあふことあり。これは見聞く人の為、めづらしき心にあらずや。然れば、同じ音曲風情をするとも、上手のしたらんは別におもしろかるべし。下手はもとよりならひおぼえつる節博士の分なれば、めづらしき思ひなし。上手と申すは、同じ節かかりなれども曲を心得たり。曲といふは節のうへの花なり。同じ上手同じ花のうちにても、無上の公案をきはめたらんは、なほかつ花を知るべし。凡そ音曲にも、節は定まれる形木、曲は上手の物なり。舞にも、手は習へる形木、品かかりは上手の物なり。
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風姿花伝・第七 別紙口伝この口伝に花を知ること、先づ仮令、花の咲くを見てよろづに花とたとへ始めん理をわきまふべし。抑、花といふに、万木千草において四季折節に咲くものなれば、その時を得てめづらしき故にもてあそぶなり。申楽も、人の心にめづらしきと知るところ、すなはちおもしろき心なり。いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比あればめづらしきなり。能も、住する所なきを先づ花と知るべし。住せずして余の風体に移ればめづらしきなり。但し様あり。めづらしきといへばとて、世になき風体をし出だすにてはあるべからず。花伝に出だすところの条々を悉く稽古し終りて、さて申楽をせんときに、その物数を用々にしたがひて取り出だすべし。花と申すも、よろづの草木において、いづれか四季折節の時の花の外にめづらしき花のあるべき。そのごとくに、ならひおぼえつる品々をきはめぬれば、時折節の当世を心得て、時の人の好みの品によりてその風体を取り出だす。これ、時の花の咲くを見んがごとし。花と申すも、こぞ咲きし種なり。能ももと見し風体なれども、物数をきはめぬれば、その数を尽すほど久し。久しくて見れば、まためづらしきなり。そのうへ、人の好みもいろいろにして、音曲、ふるまひ、物まね、所々に変りてとりどりなれば、いづれの風体をも残しては叶ふまじきなり。然れば、物数をきはめ尽したらん仕手は、初春の梅より秋の菊の花の咲きはつるまで、一年中の花の種を持ちたらんがごとし。いづれの花なりとも、人の望時によりて取り出だすべし。物数をきはめずは、時によりて花を失ふことあるべし。たとへば、春の花の比過ぎて、夏の草の花を賞翫せんずる時分に、春の花の風体ばかりを得たらん仕手が、夏草の花はなくて、過ぎし春の花をまたもちて出たらんは、時の花にあふべしや。これにて知るべし。ただ花は、見る人の心にめづらしきが花なり。然れば、花伝の花の段に、物数をきはめて工夫を尽して後、花の失せぬ所をば知るべしとあるは、この口伝なり。されば、花とて別にはなきものなり。物数を尽して工夫を得て、めづらしき感を心に得るが花なり。花は心、種はわざと書けるもこれなり。物まねの鬼の段に、鬼ばかりをよくせん者は、鬼のおもしろき所をも知るまじきとも申したるなり。物数を尽して、まためづらしくし出だしたらんは、めづらしき所花なるべきほどにおもしろかるべし。余の風体はなくて、鬼ばかりをする上手と思はば、よくしたりとは見ゆるとも、めづらしき心あるまじければ、見所に花はあるべからず。巌に花の咲かんがごとしと申したるも、鬼をば強くおそろしく瞻を消すやうにするならでは、およその風体なし。これ巌なり。花といふは、余の風体を残さずして幽玄至極の上手と人の思ひなれたるところに、思ひの外に鬼をすれば、めづらしく見ゆるところ、これ花なり。然れば、鬼ばかりをせんずる仕手は、巌ばかりにて花はあるべからず。