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風姿花伝 / 第二 物学条々

これ殊更大和の物なり一大事なり凡そ怨霊憑物などの鬼はおもしろきたよりあればやすしあひしらひを目がけてこまかに足手をつかひて物がしらを本にしてはたらけばおもしろきたよりありまことの冥途の鬼よく学べばおそろしきあひだおもしろき所更になしまことはあまりの大事のわざなればこれをおもしろくする者稀なるか先づ本意は強くおそろしかるべし弱きとおそろしきはおもしろき心には変れり抑鬼の物まね大なる大事ありよくせんにつけておもしろかるまじき道理ありおそろしき所本意なりおそろしき心とおもしろきとは黒白のちがひなりされば鬼のおもしろき所あらん仕手はきはめたる上手とも申すべきかさりながら鬼神をよくせん者は殊更花を知らぬ仕手なるべしされば若き仕手の鬼はよくしたりとは見ゆれどもおもしろからぬ理あり鬼ばかりをよくせん者は鬼もおもしろかるまじき道理あるべきかくはしく習ふべしただ鬼のおもしろからん嗜み巌に花の咲かんがごとし

書き下し

これ殊更大和の物なり。一大事なり。凡そ怨霊憑物などの鬼は、おもしろきたよりあればやすし。あひしらひを目がけて、こまかに足手をつかひて、物がしらを本にしてはたらけば、おもしろきたよりあり。まことの冥途の鬼、よく学べば、おそろしきあひだ、おもしろき所更になし。まことはあまりの大事のわざなれば、これをおもしろくする者稀なるか。先づ本意は、強くおそろしかるべし。弱きとおそろしきは、おもしろき心には変れり。抑、鬼の物まね、大なる大事あり。よくせんにつけて、おもしろかるまじき道理あり。おそろしき所本意なり。おそろしき心とおもしろきとは、黒白のちがひなり。されば、鬼のおもしろき所あらん仕手は、きはめたる上手とも申すべきか。さりながら、鬼神をよくせん者は、殊更花を知らぬ仕手なるべし。されば、若き仕手の鬼はよくしたりとは見ゆれども、おもしろからぬ理あり。鬼ばかりをよくせん者は、鬼もおもしろかるまじき道理あるべきか。くはしく習ふべし。ただ鬼のおもしろからん嗜み、巌に花の咲かんがごとし。

現代語訳

これはとりわけ大和猿楽(観世の座)の得意とする役で、大変な大事である。おおよそ怨霊や憑き物などの鬼は、面白くする手がかりがあるので容易である。相手役への対応をねらって、細かく手足を使い、頭の動きを基本にして働けば、面白くする手がかりがある。だが、本物の冥途の鬼は、よく似せて学ぶと、恐ろしいばかりで面白いところはまったくない。実のところあまりに難しい役なので、これを面白く演じられる者は稀であろう。まず本意としては、強く恐ろしくあるべきだ。だが「弱い」と「恐ろしい」とは、面白さという観点からは逆になる。そもそも鬼の物まねには大きな難点がある。うまく演じるほど面白くなくなるという道理があるのだ。恐ろしいのが本意である。しかし恐ろしさと面白さとは、白黒ほどに正反対のものである。だから、鬼に面白いところを出せる役者は、究極の名手と言えよう。とはいえ、鬼神をうまく演じる者は、たいてい花を知らない役者である。だから、若い役者の鬼はうまく見えても、面白くない理由がある。鬼ばかりをうまく演じる者は、その鬼さえ面白くならない道理があるのだろう。詳しく習うべきである。ただ、鬼を面白く見せる工夫は、まさに巌(岩)に花が咲くようなものである。

解説

鬼の役を論じる一節で、世阿弥芸論の逆説がよく表れています。怨霊や憑き物の鬼は演じやすい一方、本物の冥途の鬼を忠実に写すと恐ろしいばかりで面白みが消える、と説きます。恐ろしさが本意でありながら、恐ろしさと面白さは白黒のように相反する——だから鬼に面白さを出せる役者は究極の名手だと言います。有名な結び「巌に花の咲かんがごとし」は、堅く恐ろしいものに花を咲かせる至難を象徴します。大和猿楽が得意とした鬼を、あえて逆説的に難事と位置づける点が印象的です。現代でも、強烈さや正確さを追うほど魅力が失われる領域があり、そこに味わいを添える力こそ真の熟達だという洞察に通じます。

この章句が説くこと

大和の物怨霊・憑物恐ろしさと面白さ巌に花

この一句を、あなたの毎日に。

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