風姿花伝 / 第二 物学条々
これまた一体の物なりよくすれどもおもしろき所稀なりさのみにはすまじきなり但し源平などの名のある人の事を花鳥風月につくりよせて能よければなによりもまたおもしろしこれ殊に花やかなる所ありたしこれ体なる修羅の狂ひはたらきは鬼のふるまひになるなりまたは舞の手にもなるなりそれも曲舞かかりならばすこし舞かかりの手づかひよろしかるべし弓胡籙をたづさへて打物をもて厳とすその持ちやうつかひやうをよくよくうかがひてその本意をはたらくべし相構へて鬼のはたらきまた舞の手になる所を用心すべし
書き下し
これまた一体の物なり。よくすれども、おもしろき所稀なり。さのみにはすまじきなり。但し、源平などの名のある人の事を、花鳥風月につくりよせて、能よければ、なによりもまたおもしろし。これ殊に花やかなる所ありたし。これ体なる修羅の狂ひはたらきは、鬼のふるまひになるなり。または舞の手にもなるなり。それも曲舞かかりならば、すこし舞かかりの手づかひよろしかるべし。弓胡籙をたづさへて、打物をもて厳とす。その持ちやうつかひやうをよくよくうかがひて、その本意をはたらくべし。相構へて、鬼のはたらき、また舞の手になる所を用心すべし。
現代語訳
これもまた一つの型の役である。うまく演じても面白いところが稀である。だからむやみに演じないほうがよい。ただし、源平など名のある武将のことを、花鳥風月の趣に作り寄せて、曲がよければ、何よりも面白い。これはとりわけ華やかなところが欲しい。この型の修羅の狂い動く所作は、ともすると鬼のふるまいになってしまう。あるいは舞の手にもなる。それも曲舞(くせまい)風であれば、少し舞らしい手づかいをするのがよいだろう。弓や胡籙(やなぐい・矢を入れる具)を携え、打ち物(太刀)を持って装いとする。その持ち方・使い方をよくよく尋ね学んで、その役の本意を表すべきである。くれぐれも、鬼の所作や、ただの舞の手になってしまうところを用心すべきである。
解説
修羅(戦死した武将の亡霊)役の心得です。世阿弥は、修羅はうまく演じても面白さが出にくく、むやみに演じるものではないとしつつ、源平の名将を花鳥風月の趣に作り寄せた佳曲なら格別に面白いと言います。注意点は、修羅の狂い動く所作が鬼のふるまいや単なる舞の手に流れやすいこと。弓・胡籙・太刀などの武具の扱いをよく学び、役の本意を表せと説きます。後の修羅能(二番目物)の源流を示す一節で、荒々しさの中の華やかさと品格の両立が眼目です。現代でも、激しさを表現する際に粗雑な動きや型通りの所作へ流れず、本質を保つ難しさに通じます。何を演じるかだけでなく、隣接する型との境目を意識する大切さを教えます。
この章句が説くこと
修羅源平花鳥風月曲舞武具鬼のふるまひ
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