風姿花伝 / 第二 物学条々
この道の第一のおもしろづくの芸能なり物狂の品々多ければこの一道に得たらん達者は十方へわたるべしくり返しくり返し公案のいるべき嗜みなり仮令憑物の品々 神 仏 生霊 死霊の咎めなどはその憑物の体を学べばやすくたよりあるべし親にわかれ子をたづね夫にすてられ妻におくるるかやうの思ひに狂乱する物狂一大事なりよきほどの仕手も心に分けずしてただ一ぺんに狂ひはたらくほどに見る人の感もなし思ひ故の物狂をばいかにも物思ふ気色を本意にあてて狂ふ所を花にあてて心を入れて狂へば感もおもしろき見所もさだめてあるべしかやうなる手柄にて人を泣かするところあらば無上の上手と知るべしこれを心底によくよく思ひ分くべし凡そ物狂のいでたち似合ひたるやうにいでたつべきこと是非なしさりながらとても物狂に事よせて時によりてなにとも花やかにいでたつべし時の花をかざしにすべしまたいふ物まねなれども心得べき事あり物狂は憑物の本意を狂ふといへども女物狂などに或は修羅 闘諍 鬼神などの憑く事 これなによりもわるきことなり憑物の本意をせんとて女姿にて怒りぬれば見所にあはず女かかり本意にすれば憑物の道理なしまた男物狂に女などの寄らんこともこれ同じ了簡なるべし所詮これ体なる能をばせぬが秘事なり能つくる人の了簡なき故なりさりながらこの道に長じたらん書手のさやうにあはぬ事をさのみに書くことはあるまじこの公案をもつこと秘事なりまた直面の物狂能をきはめてならでは十分にはあるまじきなり貌気色をそれになさねば物狂に似ず得たる所なくて貌気色を変ゆれば見られぬ所あり物まねの奥義とも申しつべし大事の申楽などには初心の人斟酌すべし直面の一大事物狂の一大事二色を一心になしておもしろき所を花にあてんこといかほどの大事ぞやよくよく稽古あるべし
書き下し
この道の第一のおもしろづくの芸能なり。物狂の品々多ければ、この一道に得たらん達者は、十方へわたるべし。くり返しくり返し、公案のいるべき嗜みなり。仮令、憑物の品々、神・仏・生霊・死霊の咎めなどは、その憑物の体を学べば、やすくたよりあるべし。親にわかれ、子をたづね、夫にすてられ、妻におくるる、かやうの思ひに狂乱する物狂、一大事なり。よきほどの仕手も、心に分けずして、ただ一ぺんに狂ひはたらくほどに、見る人の感もなし。思ひ故の物狂をば、いかにも物思ふ気色を本意にあてて、狂ふ所を花にあてて、心を入れて狂へば、感もおもしろき見所もさだめてあるべし。かやうなる手柄にて、人を泣かするところあらば、無上の上手と知るべし。これを心底によくよく思ひ分くべし。凡そ物狂のいでたち、似合ひたるやうにいでたつべきこと是非なし。さりながら、とても物狂に事よせて、時によりてなにとも花やかにいでたつべし。時の花をかざしにすべし。またいふ、物まねなれども心得べき事あり。物狂は憑物の本意を狂ふといへども、女物狂などに、或は修羅・闘諍・鬼神などの憑く事、これなによりもわるきことなり。憑物の本意をせんとて、女姿にて怒りぬれば見所にあはず。女かかり本意にすれば、憑物の道理なし。また男物狂に女などの寄らんことも、これ同じ了簡なるべし。所詮、これ体なる能をばせぬが秘事なり。能つくる人の了簡なき故なり。さりながら、この道に長じたらん書手の、さやうにあはぬ事をさのみに書くことはあるまじ。この公案をもつこと秘事なり。また直面の物狂能を、きはめてならでは十分にはあるまじきなり。貌気色をそれになさねば物狂に似ず。得たる所なくて貌気色を変ゆれば、見られぬ所あり。物まねの奥義とも申しつべし。大事の申楽などには、初心の人斟酌すべし。直面の一大事、物狂の一大事、二色を一心になして、おもしろき所を花にあてんこと、いかほどの大事ぞや。よくよく稽古あるべし。
現代語訳
これは能の道で第一に面白さを狙う芸である。物狂にはさまざまな種類が多いので、この一芸に習熟した役者は、あらゆる役に通じることができる。繰り返し繰り返し工夫を凝らして稽古すべきものである。たとえば、憑き物の種類、神・仏・生霊・死霊のたたりなどは、その憑いたものの姿を学べば、容易に演じる手がかりがある。だが、親と別れ、子を捜し、夫に捨てられ、妻に先立たれる、そうした思いのために狂乱する物狂こそ、大変な難事である。かなりの役者でも、その心情を演じ分けず、ただ一様に狂い舞うので、見る人の感動もない。物思いゆえの物狂は、あくまで物思う様子を本意として演じ、狂うところを花(見どころ)として、心を込めて狂えば、感動も面白い見どころもきっと生まれるはずだ。このような手柄で観客を泣かせることができれば、この上ない名手と知るべきである。これを心の底からよくよく考え分けるべきだ。おおよそ物狂の扮装は、役柄に似合うように装うのが当然である。とはいえ、物狂にかこつけて、時と場合によっては何かと華やかに装うのがよい。その時々の花を挿頭にすべきである。さらに言えば、物まねとはいえ心得るべきことがある。物狂は憑いたものの本意になって狂うといっても、女の物狂などに、修羅・闘諍・鬼神などが憑くという趣向、これは何より悪い。憑き物の本意を出そうとして女の姿で怒れば見どころに合わず、女らしさを本意にすれば憑き物の道理が立たない。また男の物狂に女の霊などが憑くのも、同じ考えで避けるべきである。要するに、こうした無理な曲は作らないのが秘事である。それは能を作る人の工夫が足りないせいなのだ。とはいえ、この道に熟達した作者なら、そのような釣り合わないものをむやみに書くことはあるまい。この分別を持つことが秘事である。また、直面の物狂の能は、芸を究めてからでなければ十分にはできない。顔つきをその役にしなければ物狂に似ないが、芸の心得もなく表情を変えれば見苦しいところが出る。これは物まねの奥義とも言えよう。重要な申楽などでは、初心者はこの役を遠慮すべきである。直面という難事、物狂という難事、この二つを一つの心で兼ね演じ、面白いところを花とすることは、どれほどの大事であろうか。よくよく稽古すべきである。