風姿花伝 / 第二 物学条々
これはこの道にありながら稀なればさのみの稽古入るべからず仮令荘厳の僧正并に僧綱等はいかにも威儀を本としてけだかき所を学ぶべしそれ以下の 法体 遁世 修行の身にいたりては抖櫢を本とすればいかにも思ひ入りたる姿かかり肝要たるべし但し賦物によりて思ひの外の手数の入ることもあるべし
書き下し
これはこの道にありながら、稀なれば、さのみの稽古入るべからず。仮令、荘厳の僧正并に僧綱等は、いかにも威儀を本として、けだかき所を学ぶべし。それ以下の法体・遁世・修行の身にいたりては、抖櫢を本とすれば、いかにも思ひ入りたる姿かかり肝要たるべし。但し、賦物によりて思ひの外の手数の入ることもあるべし。
現代語訳
これは能の道にありながらも、演じる機会が稀なので、それほど稽古を積む必要はない。たとえば、威儀を整えた僧正や僧綱などの高僧は、あくまで格式ある立ち居を基本として、気高いところを学ぶべきである。それより下の、法体・遁世・修行の身の僧にいたっては、修行に打ち込む苦行の姿を基本とするので、いかにも一途に思いつめた姿・風情が肝要である。ただし、曲の題材によっては、思いのほか多くの所作が必要になることもあるだろう。
解説
法師(僧侶)役の心得を説く短い一節です。演じる機会が稀なので稽古の比重は軽くてよいとしつつ、高位の僧正・僧綱は威儀を正し気高さを学び、それ以下の遁世・修行の僧は苦行に打ち込む一途な姿を本意とせよと、身分に応じた演じ分けを説きます。総説で述べた「品位に応じた写実」を僧という役に当てはめた内容です。ただし曲の題材によっては所作が増えることもあると補足します。現代でも、同じ職種や立場でも階層や状況によって佇まいは異なり、それを的確に写し分ける観察眼が説得力を生みます。役柄を一括りにせず細かく見極める姿勢への示唆といえます。
この章句が説くこと
法師僧正・僧綱威儀抖櫢遁世賦物
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