風姿花伝 / 第二 物学条々
凡そ女かかり若き仕手の嗜みに似合ふ事なりさりながらこれ一大事なり先づ仕立見ぐるしければさらに見所なし女御更衣などの似事はたやすくその御ふるまひを見ることなければよくよくうかがふべし衣袴の着やうすべてわたくしならず尋ぬべしただ世の常の女かかりは常に見なるる事なればげにもたやすかるべしただ衣小袖のいでたちは大方の体よしよしとあるまでなり舞 白拍子または物狂などの女かかり扇にてもあれかざし(花ノエダナンドナリ)にてもあれいかにもいかにも弱々と持ち定めずして持つべし衣袴なんどをも長々と踏みくくみて腰膝はすぐに身はたをやかなるべし貌のもちやう仰向は見目わろく見ゆ俯向はうしろかたちわろしさて頸持も強くもてば女に似ずいかにもいかにも袖のながき物を着て手さきをも見すべからずされば仕立を嗜めとはかかりをよく見せむとなりいづれの物まねなりとも仕立わるくてはよかるべきかなれども殊更女かかり仕立をもて本とす
書き下し
凡そ女かかり、若き仕手の嗜みに似合ふ事なり。さりながら、これ一大事なり。先づ仕立見ぐるしければ、さらに見所なし。女御更衣などの似事は、たやすくその御ふるまひを見ることなければ、よくよくうかがふべし。衣袴の着やう、すべてわたくしならず尋ぬべし。ただ世の常の女かかりは、常に見なるる事なれば、げにもたやすかるべし。ただ衣小袖のいでたちは、大方の体よしよしとあるまでなり。舞・白拍子または物狂などの女かかり、扇にてもあれ、かざし(花ノエダナンドナリ)にてもあれ、いかにもいかにも弱々と、持ち定めずして持つべし。衣袴なんどをも長々と踏みくくみて、腰膝はすぐに、身はたをやかなるべし。貌のもちやう、仰向は見目わろく見ゆ。俯向はうしろかたちわろし。さて頸持も強くもてば女に似ず。いかにもいかにも袖のながき物を着て、手さきをも見すべからず。されば仕立を嗜めとは、かかりをよく見せむとなり。いづれの物まねなりとも、仕立わるくてはよかるべきか。なれども殊更女かかり、仕立をもて本とす。
現代語訳
おおよそ女方は、若い役者が稽古するのにふさわしい役である。とはいえ、これも大変重要である。まず扮装が見苦しければ、まったく見どころがなくなる。女御・更衣といった高貴な女性の物まねは、そのふるまいを実際に見る機会が容易にないので、よくよく尋ね確かめるべきである。衣や袴の着方も、自己流でなくすべて人に尋ねて学ぶべきだ。ただ、世間並みの女方はいつも見慣れているので、なるほど容易であろう。着物や小袖の装いも、だいたいの姿がよいと見える程度でよい。舞・白拍子または物狂などの女方は、扇であれ、挿頭(花の枝など)であれ、どこまでも弱々しく、しっかり握りしめずに持つべきである。衣や袴なども長々と踏み込むように着て、腰と膝はまっすぐに保ち、身体はしなやかであるべきだ。顔のもち方は、仰向くと見た目が悪く見える。うつむくと後ろ姿が悪い。また首を強く立てると女に似ない。どこまでも袖の長い衣を着て、手先を見せないようにすべきである。だから「扮装に心を配れ」というのは、姿全体をよく見せようということである。どの物まねでも扮装が悪くてよいはずはないが、とりわけ女方は扮装を基本とするのである。
解説
この章句が説くこと
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風姿花伝・第二 物学条々物まねの品々、筆に尽しがたし。さりながら、この道の肝要なれば、その品々をいかにもいかにも嗜むべし。凡そ何事をも残さずよく似せんが本意なり。然れどもまた、事によりて濃き淡きを知るべし。先づ国王大臣より始めたてまつりて、公家の御たたずまひ、武家の御進退は、及ぶべきところにあらざれば、十分ならんことかたし。さりながら、よくよく言葉を尋ね、品を求めて、見所の御意見を待つべきものなり。その外、上職の品々、花鳥風月の事態、いかにもいかにもこまかにすべし。田夫野人の事にいたりては、さのみにこまかに賤しげなるわざをば似すべからず。仮令、樵夫・草刈・炭焼・塩汲なんどの風情にもなりつべきわざをば、こまかに似すべきか。それよりなほくはしからん下職をば、さのみには似すまじきなり。これ上方の御目に見ゆべからず。若し見えば、あまりに賤しくておもしろき所あるべからず。このあてがひをよくよく心得べし。似事の人体によりて浅深あるべきなり。
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風姿花伝・第二 物学条々凡そこの物まねは、鬼かかりなり。なにとなく怒れるよそほひあれば、神体によりて鬼がかりにならんも、くるしかるまじ。但し、はたと変れる本意あり。神は舞かかりの風情によろし。鬼には更に舞かかりのたよりあるまじ。神をば、いかにも神体によろしきやうにいでたちて、気たかく、殊更出物ならでは神といふことはあるまじければ、衣裳をかざりて、衣文をつくろひてすべし。
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風姿花伝・第二 物学条々この道の第一のおもしろづくの芸能なり。物狂の品々多ければ、この一道に得たらん達者は、十方へわたるべし。くり返しくり返し、公案のいるべき嗜みなり。仮令、憑物の品々、神・仏・生霊・死霊の咎めなどは、その憑物の体を学べば、やすくたよりあるべし。親にわかれ、子をたづね、夫にすてられ、妻におくるる、かやうの思ひに狂乱する物狂、一大事なり。よきほどの仕手も、心に分けずして、ただ一ぺんに狂ひはたらくほどに、見る人の感もなし。思ひ故の物狂をば、いかにも物思ふ気色を本意にあてて、狂ふ所を花にあてて、心を入れて狂へば、感もおもしろき見所もさだめてあるべし。かやうなる手柄にて、人を泣かするところあらば、無上の上手と知るべし。これを心底によくよく思ひ分くべし。凡そ物狂のいでたち、似合ひたるやうにいでたつべきこと是非なし。さりながら、とても物狂に事よせて、時によりてなにとも花やかにいでたつべし。時の花をかざしにすべし。またいふ、物まねなれども心得べき事あり。物狂は憑物の本意を狂ふといへども、女物狂などに、或は修羅・闘諍・鬼神などの憑く事、これなによりもわるきことなり。憑物の本意をせんとて、女姿にて怒りぬれば見所にあはず。女かかり本意にすれば、憑物の道理なし。また男物狂に女などの寄らんことも、これ同じ了簡なるべし。所詮、これ体なる能をばせぬが秘事なり。能つくる人の了簡なき故なり。さりながら、この道に長じたらん書手の、さやうにあはぬ事をさのみに書くことはあるまじ。この公案をもつこと秘事なり。また直面の物狂能を、きはめてならでは十分にはあるまじきなり。貌気色をそれになさねば物狂に似ず。得たる所なくて貌気色を変ゆれば、見られぬ所あり。物まねの奥義とも申しつべし。大事の申楽などには、初心の人斟酌すべし。直面の一大事、物狂の一大事、二色を一心になして、おもしろき所を花にあてんこと、いかほどの大事ぞや。よくよく稽古あるべし。
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風姿花伝・第二 物学条々これは凡そ各別の事なれば、定めて稽古すべき形木もなし。ただ肝要いでたちなるべし。また面をも、同じ人と申しながら、模様の変りたらんを被て、一体異相したるやうに風体をもつべし。劫入りたる仕手に似合ふものなり。返々、いでたちを唐様にするならでは手立なし。なにとしても音曲もはたらきも、唐様といふ事は、まことに似せたりともおもしろくもあるまじき風体なれば、ただ一模様得んまでなり。この異相したると申す事など、かりそめながら諸事にわたる公案なり。何事か異相してかよかるべきか。なれども凡そ唐様をば、なにとか似すべきなれば、常のふるまひに風体変れば、なにとなく唐びたるやうによそ目に見なせば、やがてそれになるなり。これらは故実の心得なり。大方、物まねの条々以上。この外こまかなる事、紙筆にのせがたし。さりながら、凡そこの条々よくよくきはめたらむ人は、おのづからこまかなる事をも心得べし。
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風姿花伝・第二 物学条々これまた大事なり。凡そもとより俗の身なれば、やすかりぬべき事なれども、ふしぎに能の位あがらねば、直面は見られぬものなり。先づこれは、仮令その物その物によりて学ばむこと是非なし。面色をば似すべき道理もなきを、常の貌に変へて貌気色をつくろふことあり、さらに見られぬものなり。ふるまひ風情をば、その物に似すべし。貌気色をば、いかにもいかにもおのれなりに、つくろはですぐにもつべし。
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風姿花伝・第二 物学条々老人の物まね、この道の大事なり。能の位、やがてよそ目にあらはるる事なれば、これ第一の大事なり。凡そ能をよきほどきはめたる仕手も、老いたる姿は得ぬ人多し。たとへば、賤しき物まねの態物なんどの翁形は、大方老々としてしとやかなれば、さのみ大事なし。冠・直衣・烏帽子・かり絹の老人の姿、人体けだかからでは賤なり、相応すべからず。稽古の劫入りて、位のぼらでは似合ふべからず。また花なくは、おもしろきことあるまじ。凡そ老人のたちふるまひ、老いぬればとて腰膝をかがめ、身をつむれば、花失せて古様に見ゆるなり。さるほどに、おもしろき所稀なり。ただ大方、いかにもいかにもそぞろにて、しとやかにたちふるまふべし。殊更老人の舞かかり、無上の大事なり。花はありて年寄と見ゆる公案、くはしく口伝あり、習ふべし。ただ老木に花の咲かんごとし。