風姿花伝 / 第二 物学条々
老人の物まねこの道の大事なり能の位やがてよそ目にあらはるる事なればこれ第一の大事なり凡そ能をよきほどきはめたる仕手も老いたる姿は得ぬ人多したとへば賤しき物まねの態物なんどの翁形は大方老々としてしとやかなればさのみ大事なし冠 直衣 烏帽子 かり絹の老人の姿 人体けだかからでは賤なり相応すべからず稽古の劫入りて位のぼらでは似合ふべからずまた花なくはおもしろきことあるまじ凡そ老人のたちふるまひ老いぬればとて腰膝をかがめ身をつむれば花失せて古様に見ゆるなりさるほどにおもしろき所稀なりただ大方いかにもいかにもそぞろにてしとやかにたちふるまふべし殊更老人の舞かかり無上の大事なり花はありて年寄と見ゆる公案くはしく口伝あり習ふべしただ老木に花の咲かんごとし
書き下し
老人の物まね、この道の大事なり。能の位、やがてよそ目にあらはるる事なれば、これ第一の大事なり。凡そ能をよきほどきはめたる仕手も、老いたる姿は得ぬ人多し。たとへば、賤しき物まねの態物なんどの翁形は、大方老々としてしとやかなれば、さのみ大事なし。冠・直衣・烏帽子・かり絹の老人の姿、人体けだかからでは賤なり、相応すべからず。稽古の劫入りて、位のぼらでは似合ふべからず。また花なくは、おもしろきことあるまじ。凡そ老人のたちふるまひ、老いぬればとて腰膝をかがめ、身をつむれば、花失せて古様に見ゆるなり。さるほどに、おもしろき所稀なり。ただ大方、いかにもいかにもそぞろにて、しとやかにたちふるまふべし。殊更老人の舞かかり、無上の大事なり。花はありて年寄と見ゆる公案、くはしく口伝あり、習ふべし。ただ老木に花の咲かんごとし。
現代語訳
老人の物まねは、この道の重大事である。役者の芸位がそのまま見た目に現れてしまうので、これが第一の大事である。おおよそ、能をひととおり究めた役者でも、老人の姿をものにできない者が多い。たとえば、身分の低い物まねや脇役の翁の姿などは、だいたい年老いてしとやかであれば、それほど難しくはない。だが、冠・直衣・烏帽子・狩衣を着た高貴な老人の姿は、人柄が気高くなければ卑しく見え、役に釣り合わない。稽古の年功を積んで芸位が上がらなければ似合わないのである。また、花(魅力)がなければ面白いところもない。おおよそ老人の立ち居振る舞いは、年老いたからといって腰や膝をかがめ、身を縮めると、花が失せて古臭く見えてしまう。だから面白いところが出にくいのだ。ただ全体に、どこまでもゆったりと、しとやかに振る舞うべきである。とりわけ老人の舞は、この上ない大事である。花がありながらも老人と見える工夫は、詳しい口伝があるので習うべきだ。まさに、老木に花が咲くようなものである。
解説
この章句が説くこと
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、物まねに似せぬ位あるべし。物まねきはめて、その物にまことになり入りぬれば、似せんと思ふ心なし。さるほどに、おもしろき所ばかりを嗜めば、などか花なかるべき。たとへば、老人の物まねならば、得たらん上手の心には、ただ素人の老人が風流延年なんどに身をかざりて舞ひかなでんがごとし。もとよりおのが身年寄ならば、年寄に似せんと思ふ心あるべからず。ただそのときの物まねの人体ばかりをこそ嗜むべけれ。また、老人の花はありて、年寄と見ゆる口伝といふは、先づ善悪、老したる風情をば心にかけまじきなり。抑、舞はたらきと申すは、よろづに楽の拍手にあはせて足を踏み、手をさしひき、振風情を拍子にあててするものなり。年よりぬれば、その拍子のあて所、太鼓、謡、つづみの頭よりはちちと遅く、足を踏み手をもさしひき、およその振風情をも拍子に少し後るるやうにあるものなり。この故実、なによりも年寄の形木なり。このあてがひばかりを心中にもちて、その外をば、ただ世の常にいかにもいかにも花やかにすべし。先づ仮令、年寄の心には、何事をも若くしたがるものなり。さりながら、力なく五体も重く耳も遅ければ、心はゆけども、ふるまひのかなはぬなり。この理を知ること、まことの物まねなり。わざをば、年寄の望のごとく若き風情をすべし。これ、年寄の若き事をうらやむ心風情を学ぶにてはなしや。年寄はいかに若ふるまひをするとも、この拍手におくるることは、力なくかなはぬ理なり。年寄の若ふるまひ、めづらしき理なり。老木に花の咲かんがごとし。
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風姿花伝・第二 物学条々物まねの品々、筆に尽しがたし。さりながら、この道の肝要なれば、その品々をいかにもいかにも嗜むべし。凡そ何事をも残さずよく似せんが本意なり。然れどもまた、事によりて濃き淡きを知るべし。先づ国王大臣より始めたてまつりて、公家の御たたずまひ、武家の御進退は、及ぶべきところにあらざれば、十分ならんことかたし。さりながら、よくよく言葉を尋ね、品を求めて、見所の御意見を待つべきものなり。その外、上職の品々、花鳥風月の事態、いかにもいかにもこまかにすべし。田夫野人の事にいたりては、さのみにこまかに賤しげなるわざをば似すべからず。仮令、樵夫・草刈・炭焼・塩汲なんどの風情にもなりつべきわざをば、こまかに似すべきか。それよりなほくはしからん下職をば、さのみには似すまじきなり。これ上方の御目に見ゆべからず。若し見えば、あまりに賤しくておもしろき所あるべからず。このあてがひをよくよく心得べし。似事の人体によりて浅深あるべきなり。
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風姿花伝・第一 年来稽古条々この比よりの手立、大方変るべし。たとひ天下にゆるされ、能に得法したりとも、それにつけても、よき脇の仕手を持つべし。能はさがらねども、力なくやうやう年闌けゆけば、身の花もよそ目の花も失するなり。先づすぐれたらむ美男は知らず、よきほどの人も、直面の申楽は年よりては見えぬものなり。さるほどに、この一方は欠けたり。この比よりは、さのみにこまかなる物まねをばすまじきなり。大方似合ひたる風体を、安々と骨を折らで、脇の仕手に花をもたせて、あひしらひのやうに少々とすべし。たとひ脇の仕手なからんにつけても、いよいよこまかに身をくだく能をばすまじきなり。なにとしても、よそ目花なし。若しこの比まで失せざらん花こそ、まことの花にてはあるべけれ。それは、五十近くまで失せざらむ花をもちたる仕手ならば、四十以前に天下の名望を得つべし。たとひ天下のゆるされを得たらん仕手なりとも、さやうの上手は殊に我身を知るべければ、猶々脇の仕手を嗜み、さのみに身をくだきて、難の見ゆべき能をばすまじきなり。かやうに我身を知る、心得たる人の心なるべし。
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風姿花伝・第五 奥義凡そ能の名望を得ること、品々多し。上手は、目利かずの心に相かなふことかたし。下手は、目利の眼にあふことなし。下手にて目利の眼にかなはぬは、不審あるべからず。上手の、目利かずの心にあはぬこと、これは目利かずの眼の及ばぬところなれども、得たる上手にて工夫あらん仕手ならば、また目利かずの眼にもおもしろしと見るやうに、能をすべし。この工夫と達者とをきはめたらん仕手をば、花をきはめたるとや申すべき。されば、この位にいたらん仕手をば、いかに年よりたるとも、若き花に劣ることあるべからず。されば、この位を得たらん上手こそ、天下にもゆるされ、また遠国田舎の人までも、あまねくおもしろしとは見るべけれ。この工夫を得たらん仕手は、和州へも江州へも、若しは田楽の風体までも、人の好み望みによりて、いづれにもわたる上手なるべし。この嗜みの本意を顕さんが為、風姿花伝を作するなり。かやうに申せばとて、我風体の形木のおろそかならむは、殊に殊に能の命あるべからず。これ弱き仕手なるべし。我風体の形木をきはめてこそ、あまねき風体をも知りたるにてはあるべけれ。あまねき風体を心にかけんとて、我形木に入らざらむ仕手は、わが風体を知らぬのみならず、よその風体をも、たしかにはまして知るまじきなり。されば、能弱くて久しく花はあるべからず。久しく花のなからんは、いづれの風体をも知らぬに同じかるべし。然れば花伝の花の段に、物数を尽し工夫をきはめて後、花の失せぬ所をば知るべしといへり。
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風姿花伝・第七 別紙口伝一、能に十体を得べきこと。十体を得たらん仕手は、同じ事をひとまはりひとまはりづつするとも、その一通りの間久しかるべければ、めづらしかるべし。十体を得たらん人は、そのうちの故実工夫にては、ももいろにもわたるべし。先づ五年三年のうちに一ぺんづつも、めづらしくし替ふるやうならんずるあてがひをもつべし。これは大きなる安立なり。または一年のうち、四季折節をも心にかくべし。また、日をかさねたる申楽、一日のうちは申すに及ばず、風体の品々を色どるべし。かやうに、大綱より始めてちちとある事までも、自然自然に心にかくれば、一期花は失せまじきなり。またいふ、十体を知らんよりは、年々去来の花を忘るべからず。年々去来の花とは、たとへば、十体とは物まねの品々なり。年々去来とは、幼かりし時のよそほひ、初心の時分のわざ、手盛のふるまひ、年よりての風体、この時分時分のおのれと身にありし風体を、皆当芸に一度にもつことなり。あるときは児若族能かと見え、あるときは年ざかりの仕手かとおぼえ、またはいかほども臈たけて劫入りたるやうに見えて、同じ主とも見えぬやうに能をすべし。これすなはち、幼少のときより老後までの芸を一度にもつ理なり。さるほどに、年々さりきたる花とはいへり。但し、この位にいたれる仕手、上代末代に見も聞きも及ばず。亡父の若ざかりの能こそ、臈たけたる風体殊に得たりけるなど聞き及びしか。四十有余の時分よりは見なれし事なればうたがひなし。自然居士の物まね、高座の上にてのふるまひを、時の人十六七の人体に見えしなんど沙汰ありしなり。これはまさしく人も申し身にも見たりし事なれば、この位に相応したりし達者かとおぼえしなり。かやうに、若き時分には行末の年々去来の風体を得、年よりては過ぎし方の風体を身に残す仕手、二人とも見も聞きも及ばざりしなり。されば、初心よりのこの方の芸能の品々を忘れずして、そのときどき用々にしたがひて取り出だすべし。若くては年よりの風体、年よりてはさかりの風体を残すこと、めづらしきにあらずや。然れば、芸能の位あがれば、過ぎし風体をしすてしすて忘るること、ひたすら花の種を失ふなるべし。その時々にありし花のままにて、種なければ、手折れる花の枝のごとし。種あらば、年々時々の比になどかあはざらん。ただ返々、初心を忘るべからず。されば、常の批判にも、若き仕手をば、はやくあがりたる、劫入りたるなどほめ、年よりたるをば、若やぎたるなど批判するなり。これめづらしき理ならずや。十体のうちを彩らば、百色にもなるべし。そのうへに、年々去来の品々を一身当芸にもちたらんは、いかほどの花ぞや。
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風姿花伝・第二 物学条々これまた大事なり。凡そもとより俗の身なれば、やすかりぬべき事なれども、ふしぎに能の位あがらねば、直面は見られぬものなり。先づこれは、仮令その物その物によりて学ばむこと是非なし。面色をば似すべき道理もなきを、常の貌に変へて貌気色をつくろふことあり、さらに見られぬものなり。ふるまひ風情をば、その物に似すべし。貌気色をば、いかにもいかにもおのれなりに、つくろはですぐにもつべし。