風姿花伝 / 第一 年来稽古条々
この比の能さかりのきはめなりここにてこの条々をきはめさとりて堪能になればさだめて天下にゆるされ名望を得つべし若しこの時分に天下のゆるされも不足に名望も思ふほどなくはいかなる上手なりともいまだまことの花をきはめぬ仕手と知るべし若しきはめずは四十より能はさがるべしそれ後の証拠なるべしさるほどにあがるは三十四五までの比さがるは四十以来なり返々この比天下のゆるされを得ずは能をきはめたりと思ふべからずここにてなほ慎むべしこの比は過ぎし方をおぼえまた行先の手立をもさとる時分なりこの比きはめずはこの後天下のゆるされを得んこと返々難かるべし
書き下し
この比の能、さかりのきはめなり。ここにてこの条々をきはめさとりて、堪能になれば、さだめて天下にゆるされ、名望を得つべし。若しこの時分に天下のゆるされも不足に、名望も思ふほどなくは、いかなる上手なりとも、いまだまことの花をきはめぬ仕手と知るべし。若しきはめずは、四十より能はさがるべし。それ後の証拠なるべし。さるほどに、あがるは三十四五までの比、さがるは四十以来なり。返々、この比天下のゆるされを得ずは、能をきはめたりと思ふべからず。ここにてなほ慎むべし。この比は、過ぎし方をおぼえ、また行先の手立をもさとる時分なり。この比きはめずは、この後天下のゆるされを得んこと、返々難かるべし。
現代語訳
この三十四、五歳の頃の能は、盛りの極みである。ここでこれまでの条々を極め悟って芸達者になれば、必ず天下に認められ、名声を得られるはずだ。もしこの時期に天下の許しも十分でなく、名声も思うほどでないなら、どれほどの上手であっても、まだ本物の花を極めていない役者だと知るべきだ。もし極めなければ、四十歳から能は下がっていくだろう。それが後々の証拠となる。だから、上がるのは三十四、五までの頃、下がるのは四十以降である。かえすがえす、この頃に天下の許しを得られなければ、能を極めたと思ってはならない。ここでなおいっそう慎むべきだ。この頃は、過ぎ去った経験を覚え、また将来のやり方をも悟る時期である。この頃に極めなければ、この後で天下の許しを得ることは、かえすがえす難しいだろう。