風姿花伝 / 第一 年来稽古条々
この比はまたあまりの大事にて稽古多からず先づ声変りぬれば第一の花失せたり体も腰高になればかかり失せて過ぎし比の声もさかりに花やかにやすかりし時分の移りに手立はたと変りぬれば気を失ふ結句見物衆もをかしげなる気色見えぬればはづかしさと申し彼是ここにて退屈するなりこの比の稽古にはただ指をさして人に笑はるるともそれをばかへり見ずうちにて声のとどかん調子にて宵あかつきの声をつかひ心中には願力をおこして一期の境ここなりと生涯にかけて能を捨てぬより外は稽古あるべからずここにて捨つればそのまま能は止まるべし惣じて調子は声によるといへども黄鐘 盤渉までを用ふべし調子にさのみかかれば身なりに癖出来るものなりまた声も年よりて損ずる相なり
書き下し
この比はまた、あまりの大事にて稽古多からず。先づ声変りぬれば、第一の花失せたり。体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎし比の声もさかりに花やかに、やすかりし時分の移りに、手立はたと変りぬれば、気を失ふ。結句、見物衆もをかしげなる気色見えぬれば、はづかしさと申し、彼是ここにて退屈するなり。この比の稽古には、ただ指をさして人に笑はるるとも、それをばかへり見ず、うちにて声のとどかん調子にて、宵あかつきの声をつかひ、心中には願力をおこして、一期の境ここなりと、生涯にかけて能を捨てぬより外は稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。惣じて調子は声によるといへども、黄鐘、盤渉までを用ふべし。調子にさのみかかれば、身なりに癖出来るものなり。また声も年よりて損ずる相なり。
現代語訳
この十七、八歳の頃はまた、たいへん重要でありながら稽古が思うにまかせない時期である。まず声変わりすれば、第一の花(声の美しさ)が失われる。体も腰高になって姿の魅力も失せ、以前は声も盛んに花やかで容易だった時期から一転、やり方ががらりと変わってしまうので、気力を失う。挙句、見物人も物足りなげな様子を見せるので、恥ずかしいと感じ、あれこれとここで嫌気がさすのである。この頃の稽古では、たとえ人に指さして笑われても、それを気にせず、無理なく届く調子で、宵にも暁にも声を使い、心の中には強い願い(願力)を起こして、一生の分かれ目はここだと、生涯をかけて能を捨てないという以外に稽古の道はない。ここでやめれば、そのまま能は終わってしまう。総じて調子は声に合わせるとはいえ、黄鐘・盤渉(高めの音域)までは用いるべきだ。調子にばかりこだわると、体つきに癖ができるものだ。また声も年とともに損なわれる相である。