福沢諭吉小品集 / 人生の楽事・第3段
之を喩えば熟眠、夢方に酣なるのとき、面にザブリと冷水を注がれたるが如く、殺風景とも苦痛とも形容の詞あるべからず。世間一般の人は左程に思わざるべけれども、唯学者にして始めてこの苦痛の苦味を知るべきのみ。今日の実際に於て政治家に哲学者なく、新聞記者に物理学の専門家少なく、開業医師に学医稀にして、説法僧に善知識を見ざるも、自から偶然に非ず。左れば今この学思の妨害を除て専一ならしめんとするには、学者に衣食の資を給して物外に安心せしむるの一法あるのみにして、窃にその方法を案ずるに、法律規則を以て組織したる政府の筋には固より依頼すべからず。今の不学なる俗政府の俸給などに衣食し、俗物に交わり、俗言を聞き、甚だしきはその俗物の干渉を被り、催促を受けながら、学事を研究せんとするが如き、その無益たるは云うまでもなく、仮令い或は世間有志者の発意を以て私に資金を給せんとする者あるも、そのこれを給するや公共の為めにも私の為めにも近く実利益を期するが如き胸算にては、本来の目的に齟齬するものなり。老生が真実の目的を申せば、爰に一種の研究所を設けて、凡そ五、六名乃至十名の学者を撰び、之に生涯安心の生計を授けて学事の外に顧慮する所なからしめ、且その学問上に研究する事柄もその方法も本人の思うがまゝに一任して傍より喙を容れず、その成績の果して能く人を利するか利せざるかを問わざるのみか、寧ろ今の世に云う実利益に遠きものを択んでその理を究め、之を究めて之に達せざるも可なり、之が為めに金を費して全く無益に属するも可なり、その人の一生涯に成らざれば半途にして第二世に遺すも可なり、或はその人が病気の時に休息するは勿論、無病にても気分に進まざる時は業を中止すべし、勤るも怠るも都て勝手次第にして、俗に云えば学者を飼放し又飼殺しにすることなり。
書き下し
之を喩えば熟眠、夢方に酣なるのとき、面にザブリと冷水を注がれたるが如く、殺風景とも苦痛とも形容の詞あるべからず。世間一般の人は左程に思わざるべけれども、唯学者にして始めてこの苦痛の苦味を知るべきのみ。今日の実際に於て政治家に哲学者なく、新聞記者に物理学の専門家少なく、開業医師に学医稀にして、説法僧に善知識を見ざるも、自から偶然に非ず。左れば今この学思の妨害を除て専一ならしめんとするには、学者に衣食の資を給して物外に安心せしむるの一法あるのみにして、窃にその方法を案ずるに、法律規則を以て組織したる政府の筋には固より依頼すべからず。今の不学なる俗政府の俸給などに衣食し、俗物に交わり、俗言を聞き、甚だしきはその俗物の干渉を被り、催促を受けながら、学事を研究せんとするが如き、その無益たるは云うまでもなく、仮令い或は世間有志者の発意を以て私に資金を給せんとする者あるも、そのこれを給するや公共の為めにも私の為めにも近く実利益を期するが如き胸算にては、本来の目的に齟齬するものなり。老生が真実の目的を申せば、爰に一種の研究所を設けて、凡そ五、六名乃至十名の学者を撰び、之に生涯安心の生計を授けて学事の外に顧慮する所なからしめ、且その学問上に研究する事柄もその方法も本人の思うがまゝに一任して傍より喙を容れず、その成績の果して能く人を利するか利せざるかを問わざるのみか、寧ろ今の世に云う実利益に遠きものを択んでその理を究め、之を究めて之に達せざるも可なり、之が為めに金を費して全く無益に属するも可なり、その人の一生涯に成らざれば半途にして第二世に遺すも可なり、或はその人が病気の時に休息するは勿論、無病にても気分に進まざる時は業を中止すべし、勤るも怠るも都て勝手次第にして、俗に云えば学者を飼放し又飼殺しにすることなり。
現代語訳
これをたとえれば、熟睡して夢がまさにたけなわのとき、顔にザブリと冷水を注がれたようなもので、殺風景とも苦痛とも、形容する言葉がありません。世間一般の人はそれほどには思わないでしょうが、ただ学者になってはじめて、この苦痛の苦さを知るのです。今日の実際で、政治家に哲学者がなく、新聞記者に物理学の専門家が少なく、開業医に学識ある医者が稀で、説法の僧に優れた善知識を見ないのも、おのずから偶然ではありません。そこで、いまこの学問と思索の妨害を除いて専一にさせようとするなら、学者に衣食の資を給して、世俗の外で安心させる一つの方法があるだけです。ひそかにその方法を考えるに、法律規則で組織された政府の筋には、もとより頼れません。今の学問のない俗な政府の俸給などで衣食し、俗物と交わり、俗言を聞き、甚だしいときはその俗物の干渉を受け、催促を受けながら、学問を研究しようとするのは、その無益なことは言うまでもなく、たとえ、あるいは世間の有志者の発意で、私的に資金を給しようとする者があっても、これを給するのに、公共のためにも私のためにも、近い実利益を期待するような胸算用では、本来の目的に食い違うものです。私の真の目的を申し上げれば、ここに一種の研究所を設け、およそ五、六名から十名の学者を選んで、これに生涯安心できる生計を授けて、学問のほかに心配するところがないようにし、かつその学問上に研究する事柄もその方法も本人の思うままに任せて、傍から口を出さず、その成果が人を利するかどうかを問わないばかりか、むしろ今の世でいう実利益から遠いものを選んでその理を究め、これを究めて達しなくてもよく、そのために金を費やしてまったく無益に終わってもよく、その人の一生で成らなければ途中で第二世に遺してもよく、あるいはその人が病気のときに休息するのはもちろん、無病でも気分が進まないときは仕事を中止してよく、勤めるも怠るもすべて勝手次第で、俗にいえば、学者を飼い放しにまた飼い殺しにすることです。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・人生の楽事・第4段斯の如くすれば万事不取締にして迚も実効を奏することなしと思う者こそ多かるべけれども、元来学者の学を好むは酒客の酒に於けるが如くにして、傍より之を制すべからざるのみか、自から禁ずること能わざる所のものなれば、所謂飼放しはその勉強を促すの方便にして、俗界に喋々する規則取締等こそ真に学思を妨るの害物なりと知るべし。凡そこの辺の趣向にしたらば、日本の学者も始めて能くその本色を現わして辛苦勉励、心身の力を尽し、遂に造化の秘密を摘発して世界中の物理学に新面目を開くこともあるべし。試に実際の費用を概算するに、十名の学者に一年千二百円を給して共計一万二千円(この種の学者は世間に交際も少なく、衣食住の辺幅を張らんとするが如き俗念もなく、物外に独立して他を顧みざること恰も仙人の如き者なれば、一年の生計千二百円にて十分なるべし)。この外に一名に付き毎年凡そ二、三百円を生命保険に掛けて死後の安心を得せしむるの要もあれば、学者の身に費すもの凡そ一万五千円として、他は研究の費用なり。その高は際限なきことなれども、仮に先ず三万五千円とすれば、両様合して五万円を毎年消費する勘定なり。或は右の如く計画しても、十名中に死する者もあらん、又は中途にして研究所を脱する者もあらん、又は不徳義にして怠る者もあらんなれども、十名共に全璧ならんことを望むは有情の世界に無理なる注文にこそあれば、十中の五にても三にても、前後節を改めずして確乎たる者あれば以て足るべし。一人の学力能く全世界を動かすの例あり。期する所は唯その学問の高尚深遠に在るのみ。
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福沢諭吉小品集・人生の楽事・第2段この時に当り一意専心、物理を探究して、造化の秘密を開くは人間無上の快楽にして、王公の富貴栄華も羨むに足らず。之を眼下に見てその生活の卑俗なるを憐むと同時に、自家の空想を逞うし、例えば動植物生々の理、地球の組織又その天体との関係、化学の働は果して何れの辺にまで達すべきや、宇宙勢力の原則は果して既に定まりたるや否や、など仔細に之を思えば千百の疑問際限あるべからず。満目恰も造化の秘密に囲まれて唯人智の浅弱を嘆ずるのみなれども、いよ/\進んでいよ/\深きに達し、曽て底止する所を知らざるも亦是れ人生の約束なれば、勇を鼓して知見の区域を拡め、恰も化翁と境を争うは是れぞ学者の本領なりと深く信じて之を疑わず、殊に我日本国人の性質を見るに、西洋文明の新事を知りしは輓近のことなれども、知識の教育練磨は千百年来生々の遺伝に存して、新事の理を解するに苦しまざるのみか、起首原造の天資に乏しからずして、洋学開始以来単に西洋を学ぶの時代は既に経過し、今は学問場裡に彼我併立の勢を成して、今後我学者の勉る所は唯彼れに対して先鞭を着るに在るのみ。実に日本国の一大快事なれども、唯こゝに遺憾なるはその学者をして一意専心ならしむるの手段に就て意の如くならざるもの多きの一事なり。如何なる学者にてもその身匏瓜にあらざれば衣食の計なきを得ず。然るに生計は人生に最も煩わしくして、学者の思想を妨ること之より甚だしきものあるべからず。独坐沈思、宇宙無辺の大より物質微塵の細に至るまで、その理を案じその働を察し、乍ち得たるが如くにして又乍ち失い、恍として身躬からその身の在る処を忘れ、一心不乱、耳目鼻口の官能も殆んど中止の姿を呈したるその最中に、突然家計塩噌の急に促され、金銭受授の俗談に叫ばるゝが如きありては、思想の連鎖一時に断絶して又旧に復するを得ず。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第22段(我が輩かつていえらく、打候聴候は察病にもっとも大切なるものなれども、医師の聴機穎敏ならずして必ず遺漏あるべきなれば、この法を研究するには、盲人の音学に精しき者を撰びて、まず健全なる肺臓心臓等の動声を聴かしめ、次第に患者変常のときに試みて、その音を区別せしめたらば、従前医師の耳にて五種に分ちたるものも、盲人の耳にはその一種中を細別して二、三類に分つこともあるべし。すなわち従前の察病法五様なりしものが、五に三を乗じて十五様の手掛りをうべし。この試験、はたして有効のものならば、医学部には必ず音学をもって一課となし、青年学生の聴機穎敏なる時に及びて、これに慣れしめざるべからず。あるいはその俊英なる者は、打候聴候をもって専門の業となして、これを用うるも可ならん。けだし医学の秘密は、これらの注意によりて発明することもあらんと信ず。) ひとり医学のみならず、理学なり、また文学なり、学者をして閑を得せしめ、また、したがって相当の活計あらしむるときは、その学者は決して懶惰無為に日月を消する者に非ず、生来の習慣、あたかも自身の熱心に刺衝せられて、勉強せざるをえず。而してその勉強の成跡は発明工風にして、本人一個の利益に非ず、日本国の学問に富を加えて、国の栄誉に光を増すものというべし。また、著述書の如きも、近来、世に大部の著書少なくして、ただその種類を増し、したがって発兌すれば、したがって近浅の書多しとは、人のあまねく知るところなるが、その原因とて他にあらず、学者にして幽窓に沈思するのいとまを得ざるがためなり。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第23段けだし意味深遠なる著書は読者の縁もまた遠くして、発兌の売買上に損益相償うを得ず、これを流行近浅の雑書に比すれば、著作の心労は幾倍にして、所得の利益は正しくその割合に少なし。大著述の世に出でざるも偶然に非ざるなり。いずれも皆、学問上には憂うべきの大なるものにして、その憂の原因は学者の身に閑なくして家に恒産なきがためなり。ゆえに今、帝室より私学校を保護するに、かねて、学者の篤志なるものを撰び、これに年金をあたえて、その生涯安身の地位を得せしめたらば、おのずから我が学問社会の面目を改めて、日新の西洋諸国に並立し、日本国の学権を拡張して、鋒を海外に争うの勢にいたるべきなり。 財政の一方より論ずれば、常式の官職もなきものへ毎年若干の金をあたうるは不経済にも似たれども、常式の官員とて必ずしも事実今日の政務に忙わしくする者のみに非ず。政府中に散官なるものありて、その散官の中には学者も少なからず。 たとい、あるいは散官ならざるも、生来文事をもってあたかもその人の体格を組織したる人物は、これを政事に用いてその用をなすに足らず。学者はこれに事を諮問するに適して、これに事を任するに不便利なり。かかる人物を政府の区域中に入れて、その不慣なる衣冠をもって束縛するよりも、等しく銭をあたうるならば、これを俗務外に安置して、その生計を豊にし、その精神を安からしむるに若かず。元老院中二、三の学者あるも、その議事これがために色を添うるに非ず。海陸軍中一、二の文人あるも、戦場の勝敗に関すべきに非ず。あるいは学者文人に諮問の要もあらば、その時にしたがいてこれに問うこと、はなはだ易し。国の大計より算すれば、年金の法、決して不経済ならざるなり。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第21段帝室はすでに日本私立学校の保護者たり。なおこの上に望むところは、天下の学者を撰びて、これに特別の栄誉と年金とをあたえて、その好むところの学芸を脩めしむることなり。近年、西洋において学芸の進歩はことに迅速にして、物理の発明に富むのみならず、その発明したるものを、人事の実際に施して実益を取るの工風、日に新たにして、およそ工場または農作等に用うる機関の類はむろん、日常の手業と名づくべき灌水・割烹・煎茶・点灯の細事にいたるまでも、悉皆学問上の主義にもとづきて天然の原則を利用することを勉めざるはなし。これを要するに、近年の西洋は、すでに学理研究の時代を経過して、方今は学理実施の時代といいて可ならんか。これを形容していえば、軍人が兵学校を卒業して正に戦場に向いたる者の如し。 これに反して我が日本の学芸は、十数年来大いに進歩したりというといえども、未だ卒業せざるのみならず、あたかも他国の調練を調練するものにして、未だ戦場の実地に臨まず。物理、新たに発明するを得ず、その実施の時代にいたるには前途なお遥かなりというべし。たとえば医学の如きは、日本にてその由来も久しく、したがってその術も他の諸科に超越するものなれども、今日の有様を見れば、西洋の日新を逐うて、つねに及ばざるの嘆をまぬかれず。数百年の久しき、日本にて医学上の新発明ありしを聞かざるのみならず、我が国に固有の難病と称する脚気の病理さえ、なお未だ詳明するを得ず。ひっきょう我が医学士の不智なるに非ず、自家の学術を研究せんとして、その時と資金とを得ざるがためなり。 わずかに医学の初歩を学び得るときは、あるいは官途に奉職し、あるいは開業して病家に奔走し、奉職、開業、必ずしも医士の本意に非ざるも、糊口の道なきをいかんせん。口を糊せんとすれば、学を脩むるの閑なし、学を脩めんとすれば、口を糊するを得ず。一年三百六十日、脩学、半日の閑を得ずして身を終るもの多し。道のために遺憾なりというべし。
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福沢諭吉小品集・学問の独立・第11段されば今日この禍を未然に防ぐは、実に焦眉の急にして、決して怠るべからざるものならん。その法いかにして可ならんというに、我が輩の持論は、今の文部省または工部省の学校を、本省より分離して一旦帝室の御有となし、さらにこれを民間の有志有識者に附与して、共同私有私立学校の体をなさしめ、帝室より一時巨額の金円を下附せられて永世保存の基本を立るか、また、年々帝室の御分量中より、学事保護のためにとて定額を賜わるか、二様の内いかようにもすべきなれども、一時下附の法もはなはだ難事に非ず。 たとえば、目今、本省にてその直轄学校のために費すところ、毎年五十万円なれば、資金五百万円を一時に下附してその共同の私有金となし、この金をもって実価五百万円の公債証書を買うて、これを政府に預け、年々およそ五十万円の利子を収領すべし。名は五百万円を下附すというも、その実は現金を受授するに非ず、大蔵省中貯蓄の公債証書に記名を改るのみ。また、この大金を人民に下附するとはいえども、その人の私に恵与するに非ざるはむろんにして、私の字に冠するに共同の字をもってすれば、もとより一個人の私すべからざるや明らかなり。 私立学校はすでに五百万円の資金を得て、維持の法はなはだやすし。ここにおいてなお、全国の碩学にして才識徳望ある人物を集めて、つねに学事の会議を開き、学問社会の中央局と定めて、文書学芸の全権を授け、教育の方法を議し、著書の良否を審査し、古事を探索し、新説を研究し、語法を定め、辞書を編成する等、百般の文事を一手に統轄し、いっさい政府の干渉を許さずして、あたかも文権の本局たるべし。
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