福沢諭吉小品集 / 日本男子論・第11段
男女にして一度びこれを犯すときは、既に夫婦の大倫を破り、恕の道を忘れて情を痛ましめたるものにして、敬愛の誠はこの時限りに断絶せざるを得ず。仮令えあるいは種々様々の事情によりて外面の美を装うことなきにあらずといえども、一点の瑕瑾、以て全璧の光を害して家内の明を失い、禍根一度び生じて、発しては親子の不和となり、変じては兄弟姉妹の争いとなり、なお天下後世を謀れば、一家の不徳は子々孫々と共に繁殖して、遂に社会公徳の根本を薄弱ならしむるに至るべし。故に云く、多妻多男の法は今世を挙げて今人の玩弄物に供するの覚悟なれば可なりといえども、天下を万々歳の天下として今人をして後世に責任あらしめんとするときは、我輩は一時の要用便利を以て天下後世の大事に易うること能わざる者なり。
書き下し
男女にして一度びこれを犯すときは、既に夫婦の大倫を破り、恕の道を忘れて情を痛ましめたるものにして、敬愛の誠はこの時限りに断絶せざるを得ず。仮令えあるいは種々様々の事情によりて外面の美を装うことなきにあらずといえども、一点の瑕瑾、以て全璧の光を害して家内の明を失い、禍根一度び生じて、発しては親子の不和となり、変じては兄弟姉妹の争いとなり、なお天下後世を謀れば、一家の不徳は子々孫々と共に繁殖して、遂に社会公徳の根本を薄弱ならしむるに至るべし。故に云く、多妻多男の法は今世を挙げて今人の玩弄物に供するの覚悟なれば可なりといえども、天下を万々歳の天下として今人をして後世に責任あらしめんとするときは、我輩は一時の要用便利を以て天下後世の大事に易うること能わざる者なり。
現代語訳
男女がひとたびこれを犯すときは、すでに夫婦の大倫を破り、恕の道を忘れて情を痛ませたものであり、敬愛の誠はこのときを限りに断絶せざるをえない。たとえ種々様々な事情によって外面の美を装うことがないわけではないにしても、一点の傷が全き玉の光を害して家内の明るさを失い、禍根がひとたび生じれば、発しては親子の不和となり、変じては兄弟姉妹の争いとなり、さらに天下後世を考えれば、一家の不徳は子々孫々とともに繁殖し、ついに社会の公徳の根本を薄弱にするに至る。だから言う、多妻多夫の法は、今の世を挙げて今の人のもてあそび物に供する覚悟ならよいけれども、天下を万々歳の天下として、今の人に後世への責任を持たせようとするなら、我々は一時の必要・便利をもって天下後世の大事と取り換えることはできない者である。
解説
この章句が説くこと
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第12段男女両性の関係は至大至重のものにして、夫婦同室の約束を結ぶときは、これを人の大倫と称し、社会百福の基、また百不幸の源たるの理由は、前に陳べたる所を以て既に明白なりとして、さて古今世界の実際において、両性のいずれかこの関係を等閑にして大倫を破るもの多きやと尋ぬれば、常に男性にありと答えざるを得ず。西洋文明の諸国においても皆然らざるはなきその中についても、日本の如きは最も甚だしきものにして、古来の習俗、一男多妻を禁ぜざるの事実を見ても、大概を窺い見るべし。西洋文明国の男女は果たして潔清なりやというに、決して然らず、極端について見れば不潔の甚だしきもの多しといえども、その不潔を不潔としてこれを悪み賤しむの情は日本人よりも甚だしくして、輿論の厳重なることはとても日本国の比にあらず。故に、かの国々の男子が不品行を犯すは、初めよりその不品行なるを知り、あたかも輿論に敵して窃かにこれを犯すことなれば、その事はすべて人間の大秘密に属して、言う者もなく聞く者もなく、事実の有無にかかわらず外面の美風だけはこれを維持してなお未だ破壊に至らずといえども、不幸なるは我が日本国の旧習俗にして、事の起源は今日、得て詳らかにするに由なしといえども、古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子なく家名の断絶する法律さえ行われたるほどの次第にて、頻りに子を生むの要用を感じ、その目的を達するには多妻法より便利なるものなきが故に、ここにおいてか妾を畜うの風を成したるものの如し。天理の議論などはともかくも、家名を重んずるの習俗に制せられて、止むを得ず妾を畜うの場合に至りしは無理もなきことにして、またこれ一国の一主義として恕すべきに似たれども、天下後世これより生ずる所の弊害は、実に筆紙にも尽し難きものあり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第13段さなきだに人類の情慾は自ずから禁じ難きものなるに、ここに幸いにも子孫相続云々の一主義あることなれば、この義を拡めていかなる事か行わるべからざらんや。妻を離別するも可なり、妾を畜うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾随時随意にこれを取替え引替うるもまた可なり。人事の変遷、長き歳月を経る間には、子孫相続の主義はただに口実として用いらるるのみならず、早く既にその主義をも忘却し、一男にして衆婦人に接するは、あたかも男子に授けられたる特典の姿となり、以て人倫不取締の今日に至りしは、国民一家の不幸に止まらず、その禍は引いて天下に及ぼし、一家の私徳先ず紊れて社会交際の公徳を害し、立国の大本、動揺せざらんと欲するも得べからず。故に今日の日本男子にして内行の修まらざる者は、単に自家子孫の罪人のみにあらず、社会中の一人として、今の天下に対しまた後世に対して、その罪免るべからざるものなり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第10段これらの点より見れば、夫婦同室は決して面白きものにあらず。独身なれば、親戚朋友の附合もただ一方にして余計の心配なく、衣食住の物とて自分一人の気に任せて不自由なく、病気も一身の病気にして他人の病を憂うるに及ばざるに、ただ夫婦の約束したるがために、あたかも一生の苦労を二重にしたる姿となり、一人にして二人前の勤めを勤むるの責に当たるは不利益なるが如くなれども、およそ人間世界において損益苦楽は常に相伴うの約束にして、俗にいわゆる丸儲けなるものはなきはずなり。故に夫婦家に居て互いに苦労を共にするは、一方において二重の苦労に似たれども、その苦労の代りには一人の快楽を二人の間に共にして、即ち二重の快楽なれば、つまり損亡とてはなくして苦楽相償い、平均してなお余楽あるものと知るべし。 されば夫婦家に居るは必ずしも常に快楽のみに浴すべきものにあらず、苦楽相平均して幸いに余楽を楽しむものなれども、栄枯無常の人間世界に居れば、不幸にしてただ苦労にのみ苦しむこともあるべき約束なりと覚悟を定めて、さて一夫多妻、一婦多男は、果たして天理に叶うか、果たして人事の要用、臨時の便利にして害なきものかと尋ぬるに、我輩は断じて否と答えざるを得ず。天の人を生ずるや男女同数にして、この人類は元一対の夫婦より繁殖したるものなれば、生々の起原に訴うるも、今の人口の割合に問うも、多妻多男は許すべからず。然らば人事の要用、臨時の便利において如何というに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人に玩弄せしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事繁多なれば一時夫婦の離れ居ることもあり、また時としては病気災難等の事も少なからず。これらの時に当たっては夫婦一対に限らず、一夫衆婦に接し、一婦衆男に交わるも、木石ならざる人情の要用にして、臨時非常の便利なるべしといえども、これは人生に苦楽相伴うの情態を知らずして、快楽の一方に着眼し、いわゆる丸儲けを取らんとする自利の偏見にして、今の社会を害するのみならず、また後世のために謀りて許すべからざる所のものなり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第27段「日本男子論」の一編、その言既に長く、真正面より男子の品行を責めて一毫も仮さず、水も洩らさぬほどに論じ詰めたることなれば、世間無数疵持つ身の男子はあたかも弱点を襲われて遁るるに路なく、ただその心中に謂らく、内行の不取締、醜といわるれば醜なれども、詐偽・破廉恥にはあらず、また我が一身の有様は自ずから人に語るべからざる都合もあることなるに、斯くまでに酷言せずともなどといささか不平もありながら、さりとて何と答弁の辞もなくして甚だ苦しきことなるべし。我輩これを知らざるにあらずといえども、およそ今の日本国人として、現在の愉快、後世子孫の幸福は、何を以て最とするやと尋ねたらば、独立の体面を維持して日本国の栄名を不朽に伝うるのほかなかるべし。而してこの体面と栄名とを張るにいささかにても益すべきものはこれを採り、害すべきものはこれを除かんとするもまた、日本国民の身においてまさに然るべき至情なるべし。されば絶対の理論においては、人間世界の善悪邪正をいかなるものぞと論究して未だ定まらざるほどの次第なれば、まして男女の内行に関し、一夫一婦法と多妻多男法と、いずれか正、いずれか邪なる、固より明断し難しといえども、開闢以来の実験に拠り、また今日の文明説に従うときは、一家の私のため一国の公のために、多妻多男法は一夫一婦法の善きに若かず。かつ今日の世界は西洋文明の風に吹かれてこれに抵抗すべからざるの時勢なれば、文明の風に多妻多男を嫌忌して、そのこれを嫌忌するの成跡は甚だ美にして、今日の人の家を成し国を立つるに最も適当し、これに反するものは必ず害を被りて免るべからざること、既に明らかなれば、理論上の正邪はともかくも、一国人民として自国自家のために、決して軽んずべからざるの大義にして、即ち我輩がいかなる事情に逢うも、断乎として一毫をも仮さざる由縁なり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第14段主人の内行修まらざるがために、一家内に様々の風波を起こして家人の情を痛ましめ、以てその私徳の発達を妨げ、不孝の子を生じ、不悌不友の兄弟姉妹を作るは、固より免るべからざるの結果にして、怪しむに足らざる所なれども、ここに最も憐れむべきは、家に男尊女卑の悪習を醸して、子孫に圧制卑屈の根性を成さしむるの一事なり。男子の不品行は既に一般の習慣となりて、人の怪しむ者なしというといえども、人類天性の本心において、自ら犯すその不品行を人間の美事として誇る者はあるべからず。否百人は百人、千人は千人、皆これを心の底に愧じざるものなし。内心にこれを愧じて外面に傲慢なる色を装い、磊落なるが如く無頓着なるが如くにして、強いて自ら慰むるのみなれども、俗にいわゆる疵持つ身にして、常に悠々として安心するを得ず。その家人と共に一家に眠食して団欒たる最中にも、時として禁句に触れらるることあれば、その時の不愉快は譬えんに物なし。無心の小児が父を共にして母を異にするの理由を問い、隣家には父母二人に限りて吾が家に一父二、三母あるは如何などと、不審を起こして詰問に及ぶときは、さすが鉄面皮の乃父も答うるに辞なく、ただ黙して冷笑するか顧みて他を言うのほかなし。即ちその身の弱点にして、小児の一言、寸鉄腸を断つものなり。既にこの弱点あれば常にこれを防禦するの工風なかるべからず。その策如何というに、朝夕主人の言行を厳重正格にして、家人を視ること他人の如くし、妻妾児孫をして己れに事うること奴隷の主君におけるが如くならしめ、あたかも一家の至尊には近づくべからず、その忌諱には触るべからず、俗にいえば殿様旦那様の御機嫌は損ずべからずとして、上下尊卑の分を明らかにし、例の内行禁句の一事に至りては、言の端にもこれをいわずして、家内、目を以てするの家風を養成すること最も必要にして、この一策は取りも直さず内行防禦の胸壁とも称すべきものなり。
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福沢諭吉小品集・日本男子論・第25段日本国民既に耶蘇教に入りたる者あり、なお未だ入らざる者ありといえども、その入ると入らざるとはただ宗教上の儀式にして、日本帝国決して不徳の国にあらず、耶蘇教国独り徳国にあらず、いやしくも数千年の国を成して人事の秩序を明らかにし、以て東海に独立したるものにして、立国根本の道徳なくして叶うべきや、耶蘇の教義果たして美にして立国に要用なりとならば、我が日本国には耶蘇の名のほかに無名の耶蘇教民あることならんなどと、百方に言葉を尽して弁論すれば、また自ずからその意を解して釈然たる者なきにあらざれども、その談論時として男女関係の事に及び、日本の男子は多妻を許されてこれを咎むるものなく、ただに法律に問わざるのみならず習俗の禁ぜざる所なれば、社会の上流良家の主人と称する者にても、公然この醜行を犯して愧ずるを知らず、即ち人生居家の大倫を紊りたるものにして、随って生ずる所の悪事は枚挙に遑あらず、その余波引いて婚姻の不取締となり、容易に結婚して容易に離婚するの原因となり、親子の不和となり、兄弟の喧嘩となり、これを要するに日本国には未だ真実の家族なきものというも可なり、家族あらざれば国もまたあるべからず、日本は未だ国を成さざるものなりなど、口を極めて攻撃せらるるときは、我輩も心の内には外国人の謬見妄漫を知らざるにあらず、我が徳風斯くまでに壊れたるにあらず、我が家族悉皆然るにあらず、外人の眼の達せざる所に道徳あり家族あり、その美風は西洋の文明国人をしてかえって赤面せしむるもの少なからず、以て家を治め以て社会を維持するその事情は云々、その証拠は云々と語らんとすれども、何分にも彼らが今日の実証を挙げて正面より攻撃するその論鋒に向かっては、残念ながら一着を譲らざるを得ず。遂に西洋人に仮すに我を軽侮するの資を以てして、彼らをして我に対して同等の観をなさしめざるに至りしは、千歳の遺憾、無窮に忘るべからざる所のものなり。
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