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福沢諭吉小品集 / 日本男子論・第10段

これらの点より見れば、夫婦同室は決して面白きものにあらず。独身なれば、親戚朋友の附合もただ一方にして余計の心配なく、衣食住の物とて自分一人の気に任せて不自由なく、病気も一身の病気にして他人の病を憂うるに及ばざるに、ただ夫婦の約束したるがために、あたかも一生の苦労を二重にしたる姿となり、一人にして二人前の勤めを勤むるの責に当たるは不利益なるが如くなれども、およそ人間世界において損益苦楽は常に相伴うの約束にして、俗にいわゆる丸儲けなるものはなきはずなり。故に夫婦家に居て互いに苦労を共にするは、一方において二重の苦労に似たれども、その苦労の代りには一人の快楽を二人の間に共にして、即ち二重の快楽なれば、つまり損亡とてはなくして苦楽相償い、平均してなお余楽あるものと知るべし。 されば夫婦家に居るは必ずしも常に快楽のみに浴すべきものにあらず、苦楽相平均して幸いに余楽を楽しむものなれども、栄枯無常の人間世界に居れば、不幸にしてただ苦労にのみ苦しむこともあるべき約束なりと覚悟を定めて、さて一夫多妻、一婦多男は、果たして天理に叶うか、果たして人事の要用、臨時の便利にして害なきものかと尋ぬるに、我輩は断じて否と答えざるを得ず。天の人を生ずるや男女同数にして、この人類は元一対の夫婦より繁殖したるものなれば、生々の起原に訴うるも、今の人口の割合に問うも、多妻多男は許すべからず。然らば人事の要用、臨時の便利において如何というに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人に玩弄せしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事繁多なれば一時夫婦の離れ居ることもあり、また時としては病気災難等の事も少なからず。これらの時に当たっては夫婦一対に限らず、一夫衆婦に接し、一婦衆男に交わるも、木石ならざる人情の要用にして、臨時非常の便利なるべしといえども、これは人生に苦楽相伴うの情態を知らずして、快楽の一方に着眼し、いわゆる丸儲けを取らんとする自利の偏見にして、今の社会を害するのみならず、また後世のために謀りて許すべからざる所のものなり。

書き下し

これらの点より見れば、夫婦同室は決して面白きものにあらず。独身なれば、親戚朋友の附合もただ一方にして余計の心配なく、衣食住の物とて自分一人の気に任せて不自由なく、病気も一身の病気にして他人の病を憂うるに及ばざるに、ただ夫婦の約束したるがために、あたかも一生の苦労を二重にしたる姿となり、一人にして二人前の勤めを勤むるの責に当たるは不利益なるが如くなれども、およそ人間世界において損益苦楽は常に相伴うの約束にして、俗にいわゆる丸儲けなるものはなきはずなり。故に夫婦家に居て互いに苦労を共にするは、一方において二重の苦労に似たれども、その苦労の代りには一人の快楽を二人の間に共にして、即ち二重の快楽なれば、つまり損亡とてはなくして苦楽相償い、平均してなお余楽あるものと知るべし。 されば夫婦家に居るは必ずしも常に快楽のみに浴すべきものにあらず、苦楽相平均して幸いに余楽を楽しむものなれども、栄枯無常の人間世界に居れば、不幸にしてただ苦労にのみ苦しむこともあるべき約束なりと覚悟を定めて、さて一夫多妻、一婦多男は、果たして天理に叶うか、果たして人事の要用、臨時の便利にして害なきものかと尋ぬるに、我輩は断じて否と答えざるを得ず。天の人を生ずるや男女同数にして、この人類は元一対の夫婦より繁殖したるものなれば、生々の起原に訴うるも、今の人口の割合に問うも、多妻多男は許すべからず。然らば人事の要用、臨時の便利において如何というに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人に玩弄せしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事繁多なれば一時夫婦の離れ居ることもあり、また時としては病気災難等の事も少なからず。これらの時に当たっては夫婦一対に限らず、一夫衆婦に接し、一婦衆男に交わるも、木石ならざる人情の要用にして、臨時非常の便利なるべしといえども、これは人生に苦楽相伴うの情態を知らずして、快楽の一方に着眼し、いわゆる丸儲けを取らんとする自利の偏見にして、今の社会を害するのみならず、また後世のために謀りて許すべからざる所のものなり。

現代語訳

これらの点から見れば、夫婦が同じ部屋にいるのは決して面白いものではない。独身ならば、親戚・朋友の付き合いもただ一方だけで余計な心配がなく、衣食住の物も自分一人の気に任せて不自由がなく、病気も一身の病気で他人の病を憂えるには及ばないのに、ただ夫婦の約束をしたために、あたかも一生の苦労を二重にしたような姿になり、一人で二人前の勤めを果たす責任を負うのは不利益のようだが、およそ人間世界において損益苦楽は常に連れ添う約束であり、俗にいう丸儲けというものはないはずである。だから夫婦が家にいて互いに苦労を共にするのは、一方では二重の苦労に似ているが、その苦労の代わりに一人の快楽を二人で共にして、つまり二重の快楽なのだから、結局は損失はなく苦楽が相償い、平均してなお余楽があるものと知るべきである。 だから夫婦が家にいるのは必ずしも常に快楽ばかりに浸れるものではなく、苦楽が相平均して幸いに余楽を楽しむものだが、栄枯無常の人間世界にいれば、不幸にしてただ苦労にのみ苦しむこともあるという約束だと覚悟を定めて、さて一夫多妻・一婦多夫は、果たして天理にかなうか、果たして人事の必要、臨時の便利で害のないものかと尋ねれば、我々は断じて否と答えざるをえない。天が人を生むとき男女は同数であり、この人類はもと一対の夫婦から繁殖したものだから、生々の起源に訴えても、今の人口の割合に問うても、多妻多夫は許せない。それなら人事の必要、臨時の便利ではどうかというと、人間世界の歳月を短いものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人にもてあそばせて悔いがないとするなら、多妻多夫の必要・便利もあるだろう。世事が繁多なので一時夫婦が離れ離れになることもあり、また時には病気や災難などの事も少なくない。これらの時には、夫婦一対に限らず、一夫が多くの婦人に接し、一婦が多くの男に交わるのも、木石ではない人情の必要であって、臨時非常の便利であるに違いないけれども、これは人生に苦楽が連れ添う実情を知らずに、快楽の一方だけに着眼し、いわゆる丸儲けを取ろうとする自利の偏見であって、今の社会を害するばかりでなく、また後世のためを謀っても許せないものである。

解説

福沢は、夫婦は一見すると苦労が二重だが、快楽も二重になり、収支は釣り合って余楽があると述べ、そのうえで一夫多妻や一婦多夫を天理に反するとして断じて退けます。人間世界に丸儲けはないという損益の見方が、論の中心にあります。「丸儲けを狙う自利の偏見」という指摘は、短期の便利で長期の信頼を失う組織の判断ミスにも当てはまります。福沢の議論は当時の価値観の上に立っている点を踏まえ、損得の見方だけを取り出して読めます。

この章句が説くこと

苦楽相伴う丸儲けはない一夫多妻天理自利の偏見後世への責任

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