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福沢諭吉小品集 / 物理学の要用・第3段

儒者が地獄極楽の仏説を証拠なきものなりとて排撃しながら、自家においては、数百年のその間、降雨の一理をだに推究したる者なし。雨は天より降るといい、あるいは雲凝りて雨となるというのみにして、蒸発の理と数とにいたりては、かつてその証拠を求むるを知らざりしなり。朝夕水を用いてその剛軟を論じながら、その水は何物の集まりて形をなしたるものか、その水中に何物を混じ何物を除けば剛水となり、また軟水となるかの証拠を求めず、重炭酸加爾幾は水に混合してその性を剛ならしめ、鉄瓶等の裏面に附着する水垢と称するものは、たいてい皆この加爾幾なりとの理は、これを度外におきて推究したる者あるを聞かず。今日にありても儒者の教に養育しられたる者は、これらの談を聴きて瑣末の事なりと思うべけれども、決して然らず。 欧州近時の文明は皆、この物理学より出でざるはなし。彼の発明の蒸汽船車なり、鉄砲軍器なり、また電信瓦斯なり、働の成跡は大なりといえども、そのはじめは錙朱の理を推究分離して、ついにもって人事に施したる者のみ。その大を見て驚くなかれ、その小を見て等閑に附するなかれ。大小の物、皆偶然に非ざるなり。人にして物理に暗く、ただ文明の物を用いてその物の性質を知らざるは、かの馬が飼料を喰うて、その品の性質を知らず、ただその口に旨きものはこれを取りて、然らざるものはこれを捨つるに異ならず。 然りといえども、馬はなお、その物の毒性なるか良性なるかを弁ずるの能力を有す。然るに今の世の不学の徒は、汽車に乗りて汽の理をしらず、電信を用いて電気の性質を知らず、はなはだしきは自身の何物たるを知らずして、摂生の法を誤る者あり。なおはなはだしきは、医は意なりと公言して、医術は憶測に出ずるものかと誤まり認め、無稽の漢薬を服して自得する者あり。その愚の極度にいたりては、売薬をなめて万病を医せんと欲する者あり。上等社会にしてその知識の卑しきこと、実に驚くに堪えたり。 ひっきょう物理を度外視するの罪にして、あるいは人にして馬に若かずと評せらるるも、これに答うるの辞なかるべし。我が慶応義塾において初学を導くにもっぱら物理学をもってして、あたかも諸課の予備となすも、けだしこれがためなり。なお、その教則の事については他日陳述するところのものあるべし。

書き下し

儒者が地獄極楽の仏説を証拠なきものなりとて排撃しながら、自家においては、数百年のその間、降雨の一理をだに推究したる者なし。雨は天より降るといい、あるいは雲凝りて雨となるというのみにして、蒸発の理と数とにいたりては、かつてその証拠を求むるを知らざりしなり。朝夕水を用いてその剛軟を論じながら、その水は何物の集まりて形をなしたるものか、その水中に何物を混じ何物を除けば剛水となり、また軟水となるかの証拠を求めず、重炭酸加爾幾は水に混合してその性を剛ならしめ、鉄瓶等の裏面に附着する水垢と称するものは、たいてい皆この加爾幾なりとの理は、これを度外におきて推究したる者あるを聞かず。今日にありても儒者の教に養育しられたる者は、これらの談を聴きて瑣末の事なりと思うべけれども、決して然らず。 欧州近時の文明は皆、この物理学より出でざるはなし。彼の発明の蒸汽船車なり、鉄砲軍器なり、また電信瓦斯なり、働の成跡は大なりといえども、そのはじめは錙朱の理を推究分離して、ついにもって人事に施したる者のみ。その大を見て驚くなかれ、その小を見て等閑に附するなかれ。大小の物、皆偶然に非ざるなり。人にして物理に暗く、ただ文明の物を用いてその物の性質を知らざるは、かの馬が飼料を喰うて、その品の性質を知らず、ただその口に旨きものはこれを取りて、然らざるものはこれを捨つるに異ならず。 然りといえども、馬はなお、その物の毒性なるか良性なるかを弁ずるの能力を有す。然るに今の世の不学の徒は、汽車に乗りて汽の理をしらず、電信を用いて電気の性質を知らず、はなはだしきは自身の何物たるを知らずして、摂生の法を誤る者あり。なおはなはだしきは、医は意なりと公言して、医術は憶測に出ずるものかと誤まり認め、無稽の漢薬を服して自得する者あり。その愚の極度にいたりては、売薬をなめて万病を医せんと欲する者あり。上等社会にしてその知識の卑しきこと、実に驚くに堪えたり。 ひっきょう物理を度外視するの罪にして、あるいは人にして馬に若かずと評せらるるも、これに答うるの辞なかるべし。我が慶応義塾において初学を導くにもっぱら物理学をもってして、あたかも諸課の予備となすも、けだしこれがためなり。なお、その教則の事については他日陳述するところのものあるべし。

現代語訳

儒者が地獄極楽の仏説を証拠のないものとして排撃しながら、自分たちの側では、数百年のあいだ、降雨の一つの理さえ推究した者がいません。雨は天から降るといい、あるいは雲が凝って雨になるというだけで、蒸発の理と数に至っては、これまで証拠を求めることを知りませんでした。朝夕水を使って、その硬さや軟らかさを論じながら、その水が何の物が集まって形をなしたものか、その水中に何を混ぜ何を除けば硬水となり、また軟水となるのかの証拠を求めず、重炭酸カルシウムは水に混合してその性を硬くし、鉄瓶などの内側に付着する水垢というものは、たいていこのカルシウムだ、という理を、度外視して推究した者がいるとは聞きません。今日でも、儒者の教えに育てられた者は、こうした話を聴いて些細なことだと思うでしょうが、決してそうではありません。 ヨーロッパの近年の文明はすべて、この物理学から出ないものはありません。あの発明の蒸気船や汽車、鉄砲や武器、また電信やガスも、働きの成果は大きいといえども、そもそもの始まりはごくわずかな理を推究し分離して、ついにそれを人事に施したものにすぎません。その大きさを見て驚くな、その小ささを見て等閑に付すな。大小の物はみな偶然ではありません。人が物理に暗く、ただ文明の物を用いてその物の性質を知らないのは、あの馬が飼料を食べても、その品の性質を知らず、ただ口に旨いものはこれを取り、そうでないものは捨てるのと変わりません。 しかし、馬はなお、その物が毒性か良性かを弁別する能力を持っています。ところが今の世の不学の徒は、汽車に乗っても汽の理を知らず、電信を用いても電気の性質を知らず、はなはだしくは自分自身が何物であるかを知らないで、養生の法を誤る者がいます。さらにはなはだしくは、医は意なりと公言して、医術は憶測から出るものかと誤って認め、根拠のない漢方薬を服して自ら得心する者がいます。その愚の極みに至っては、売薬を舐めて万病を治そうとする者がいます。上流社会でありながらその知識の卑しいことは、実に驚くほどです。 結局、物理を度外視する罪であって、人でありながら馬に及ばないと評されても、これに答える言葉はないでしょう。わが慶応義塾で初学者を導くのにもっぱら物理学によって、いわば諸課の予備とするのも、思うにこのためです。なお、その教則のことについては他日陳述するところがあるでしょう。

解説

儒者は仏教の迷信を退けながら、雨の仕組みや水の硬軟といった身近な現象を調べようとしなかった、と福沢は批判します。西洋文明の大きな成果も小さな原理の探究から生まれたのだから、小事を侮るなというのです。便利な物を使うだけで仕組みを知らないのは、馬が飼料を食べるのと同じだという痛烈な比喩もあります。現代でも、システムやAIを使いこなしながら、その性質や限界を知らないまま判断してしまうことがあります。仕組みを知ることが判断の質をどう変えるかを考える手がかりになります。

この章句が説くこと

物理学降雨水の硬軟西洋文明馬売薬

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