福翁自伝 / 老余の半生・人間の慾に際限なし
左れば私は自分の既往を顧みれば遺憾なきのみか愉快な事ばかりであるが、扨人間の慾には際限のないもので、不平を云わすればマダ/\幾らもある。外国交際又は内国の憲法政治などに就て其れ是れと云う議論は政治家の事として差置き、私の生涯の中に出来して見たいと思う所は、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に愧かしくないようにする事と、仏法にても耶蘇教にても孰れにても宜しい、之を引立てゝ多数の民心を和らげるようにする事と、大に金を役じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにする事と、凡そこの三ヶ条です。人は老しても無病なる限りは唯安閑としては居られず、私も今の通りに健全なる間は身に叶う丈けの力を尽す積です。 福翁自伝 終
書き下し
左れば私は自分の既往を顧みれば遺憾なきのみか愉快な事ばかりであるが、扨人間の慾には際限のないもので、不平を云わすればマダ/\幾らもある。外国交際又は内国の憲法政治などに就て其れ是れと云う議論は政治家の事として差置き、私の生涯の中に出来して見たいと思う所は、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に愧かしくないようにする事と、仏法にても耶蘇教にても孰れにても宜しい、之を引立てゝ多数の民心を和らげるようにする事と、大に金を役じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにする事と、凡そこの三ヶ条です。人は老しても無病なる限りは唯安閑としては居られず、私も今の通りに健全なる間は身に叶う丈けの力を尽す積です。 福翁自伝 終
現代語訳
そんなわけで、私は自分の過去を顧みれば、遺憾がないばかりか愉快なことばかりですが、さて人間の欲には際限のないもので、不満を言わせればまだまだいくらでもあります。外国との交際や国内の憲法政治などについて、あれこれ議論することは政治家のことに任せて差し置き、私の生涯の中でできるならやってみたいと思うことは、全国の男女の気品を次第に高尚に導いて、真に文明の名に恥じないようにすること、仏法でもキリスト教でも、どちらでもよいので、これを引き立てて多数の民心を和らげるようにすること、大いに金を使って、有形無形の高尚な学理を研究させるようにすること、およそこの三か条です。人は老いても病気がない限りは、ただのんびりとしてはいられず、私も今のとおり健全なうちは、身に叶うだけの力を尽くすつもりです。 福翁自伝 終
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・老余の半生・仕官を嫌う由縁私の生涯は終始替ることなく、少年時代の辛苦、老後の安楽、何も珍らしいことはない。今の世界に人間普通の苦楽を嘗めて、今日に至るまで大に愧ることもなく大に後悔することもなく、心静に月日を送りしは、先ず以て身の仕合せと云わねばならぬ。所で世間は広し、私の苦楽を遠方から見て色々に評論し色々に疑う者もありましょう。就中私がマンザラの馬鹿でもなく政治の事も随分知て居ながら、遂に政府の役人にならぬと云うは可笑しい、日本社会の十人は十人、百人は百人、皆立身出世を求めて役人にこそなりたがるその処に、福澤が一人これをいやがるのは不審だと、蔭で窃に評論する計りでない、現に直接に私に向て質問する者もある。啻に日本人ばかりでない、知己の外国人も私の進退を疑い、何故政府に出て仕事をせぬか、政府の好地位に立て思う事を行えば、名誉にも為り金にも為り、面白いではないかと、米国人などは毎度勧めに来たことがあるけれども、私は唯笑て取合わぬ。ソコで維新の当分は政府の連中が私を評して佐幕家の一人と認め、彼れは旧幕府に操を立てゝ新政府に仕官せぬ者である、将軍政治を悦んで王政を嫌う者である、古来、革命の歴史に前朝の遺臣と云う者があるが、福澤もその遺臣を気取て、物外に瓢然として居ながら心中無限の不平を抱いて居るに違いない、心に不平があれば新政府の為めに宜いことは考えない、油断のならぬ奴だなんて、種々様々な想像を運らして居る者の多いのは、私も大抵知て居る。所が斯く評せらるゝ前朝の遺臣殿は、久しい以前から前朝の門閥制度、鎖国主義に愛想をつかして、維新の際に幕府の忠臣義士が盛んに忠義論を論じて佐幕の気焔を吐て脱走までする時に、私は強て議論もせず、脱走連中に知て居る者があれば、余計な事をするな、負けるから罷にしろと云て止めて居た位だから、福澤を評するに前朝の遺臣論も勘定が合わぬ。前朝の遺臣と云えば維新の時に幕府の忠臣義士こそ丁度適当の嵌役なれども、この忠臣義士は前朝に忠義の一役を勤めて何時の間にか早替り、第二の忠義役を勤めて第二の忠臣義士となって居るから、是れも遺臣と云われぬ。その遺臣論は姑く擱き、私の身の進退は、前に申す通り、維新の際に幕府の門閥制度、鎖国主義が腹の底から嫌だから佐幕の気がない。左ればとて勤王家の挙動を見れば、幕府に較べてお釣りの出る程の鎖国攘夷、固よりコンな連中に加勢しようと思いも寄らず、唯ジッと中立独立と説を極めて居ると、今度の新政府は開国に豹変した様子で立派な命令は出たけれども、開国の名義中、鎖攘タップリ、何が何やら少しも信ずるに足らず、東西南北何れを見ても共に語るべき人は一人もなし、唯独りで身に叶う丈けの事を勤めて開国一偏、西洋文明の一天張りでリキンで居る内に、政府の開国論が次第々々に真成のものになって来て、一切万事改進ならざるはなし、所謂文明駸々乎として進歩するの世の中になったこそ実に有り難い仕合せで、実に不思議な事で、云わば私の大願も成就したようなものだから、最早や一点の不平は云われない。
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福翁自伝・老余の半生・行路変化多し(1)回顧すれば六十何年、人生既往を想えば恍として夢の如しとは毎度聞く所であるが、私の夢は至極変化の多い賑かな夢でした。旧小藩の小士族、窮屈な小さい箱の中に詰込まれて、藩政の楊枝を以て重箱の隅をほじくるその楊枝の先きに掛た少年が、ヒョイと外に飛出して故郷を見捨るのみか、生来教育された漢学流の教をも打遣て西洋学の門に入り、以前に変た書を読み、以前に変った人に交わり、自由自在に運動して、二度も三度も外国に往来すれば考は段々広くなって、旧藩は扨置き日本が挟く見えるようになって来たのは、何と賑かな事で大きな変化ではあるまいか。或はその間に艱難辛苦など述立てれば大造のようだが、咽元通れば熱さ忘れると云うその通りで、艱難辛苦も過ぎて仕舞えば何ともない。貧乏は苦しいに違いないが、その貧乏が過ぎ去た後で昔の貧苦を思出して何が苦しいか、却て面白いくらいだから、私は洋学を修めて、その後ドウやら斯うやら人に不義理をせず頭を下げぬようにして、衣食さえ出来れば大願成就と思て居た処に、又図らずも王政維新、いよ/\日本国を開て本当の開国となったのは難有い。幕府時代に私の著わした西洋事情なんぞ、出版の時の考には、天下にコンなものを読む人が有るか無いか夫れも分らず、仮令い読んだからとて之を日本の実際に試みるなんて固より思いも寄らぬことで、一口に申せば西洋の小説、夢物語の戯作くらいに自から認めて居たものが、世間に流行して実際の役に立つのみか、新政府の勇気は西洋事情の類でない、一段も二段も先きに進んで思切た事を断行して、アベコベに著述者を驚かす程のことも折々見えるから、ソコで私も亦以前の大願成就に安んじて居られない。
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福翁自伝・王政維新・本藩に対して功名心なし既に心に決定して居れば、藩に居て功名心と云うものは更らにない、立身出世して高い身分になって錦を故郷に着て人を驚かすと云うような野心は少しもないのみか、私にはその錦が却て恥かしくて着ることが出来ない。グヅ/″\云えば唯この藩を出て仕舞う丈けの事だと云うのが若い時からの考えで、人にこそ云わね、私の心では眼中藩なしと斯う安心を極めて居ましたので、夫れから長崎に行き大阪に出て修業して居るその中に、藩の御用で江戸に呼ばれて藩中の子弟を教うると云うことをして居ながらも、藩の政庁に対しては誠に淡泊で、長い歳月の間只の一度も建白なんと云うことをしたことはない。能く世間にある事で、イヤどうも藩政を改革して洋学を盛にするが宜いとか、兵制を改革するが宜いとか云うことは書生の能く遣ることだ、けれども私に限り只の一度も云出したことがない。ソレと同時に自分の立身出世を藩に向て求めたことがない。ドウ云うように身分を取立てゝ貰いたい、ドウ云うようにして禄を増して貰いたいと云うような事は、陰にも陽にもどんな事があっても藩の長老に内願などしたことがない。ソコで江戸に参てからも、本藩の様子を見れば種々な事を試みて居る。兵制で申せば西洋流の操練を採用したことがある。けれども私はソレを宜いと云て誉めもしなければ悪いと云て止めたこともなし、又或は大に漢学を盛にすると云て頻りに学校の改革などを企てたこともある。或は兵制は甲州流が宜いと云て法螺の貝を吹て藩中で調練をしたこともある。ソレも私は只目前に見て居るばかりで、善いとも悪いとも一寸とも云たことがない。或時に家老の隠居があって、大層政治論の好きな人で、私が家老の家に行たらば、その隠居が、ドウも公武の間が甚だ穏かでない、全体どうも近衛様が爾うも有りそうもない事だとか、或は江戸の御老中が詰らないとか云うような慷慨談を頻りに云て居る。爾う云われると私も何か云いそうな事だ、所が私は決して云わない。如何にも爾うでしょう、ソリャ成程近衛様も爾うだろう、御老中も爾うだろうが、扨ソレが実地になると傍観者の思うようにはならぬもので、近くはこの奥平様の屋敷でも、マダして宜いこともあるだろう、為なくて宜いこともあるだろう、傍観者から之を見たらば嘸堪え難いことに思うでありましょうけれども、当局の御家老の身になって見れば又爾う思う通りに行かないもので、矢張り今の通りより外に仕様がない。余り人の事を批評しても詰らぬ事です。私は一体そんな事に就ては何を議論しようとも思わぬと云て、少しも相手にならなかった。
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福翁自伝・老余の半生・行路変化多し(2)コリャ面白い、この勢に乗じて更に大に西洋文明の空気を吹込み、全国の人心を根底から転覆して、絶遠の東洋に一新文明国を開き、東に日本、西に英国と、相対して後れを取らぬようになられないものでもないと、茲に第二の誓願を起して、扨身に叶う仕事は三寸の舌、一本の筆より外に何もないから、身体の健康を頼みにして専ら塾務を務め、又筆を弄び、種々様々の事を書き散らしたのが西洋事情以後の著訳です。一方には大勢の学生を教育し、又演説などして所思を伝え、又一方には著書飜訳、随分忙しい事でしたが、是れも所謂万分一を勉める気でしょう。所で顧みて世の中を見れば堪え難いことも多いようだが、一国全体の大勢は改進々歩の一方で、次第々々に上進して、数年の後その形に顕われたるは、日清戦争など官民一致の勝利、愉快とも難有いとも云いようがない。命あればこそコンな事を見聞するのだ、前に死んだ同志の朋友が不幸だ、アヽ見せて遣りたいと、毎度私は泣きました。実を申せば日清戦争何でもない。唯是れ日本の外交の序開きでこそあれ、ソレほど喜ぶ訳けもないが、その時の情に迫まれば夢中にならずには居られない。凡そコンな訳けで、その原因は何処に在るかと云えば、新日本の文明富強は都て先人遺伝の功徳に由来し、吾々共は丁度都合の宜い時代に生れて祖先の賜を唯貰うたようなものに違いはないが、兎に角に自分の願に掛けて居たその願が、天の恵み、祖先の余徳に由て首尾能く叶うたことなれば、私の為めには第二の大願成就と云わねばならぬ。
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福翁自伝・老余の半生・独立の手本を示さんとす(1)第四には、勤王佐幕など云う喧しい議論は差置き、維新政府の基礎が定まると、日本国中の士族は無論、百姓の子も町人の弟も、少しばかり文字でも分る奴は皆役人になりたいと云う。仮令い役人にならぬでも、兎に角に政府に近づいて何か金儲でもしようと云う熱心で、その有様は臭い物に蠅のたかるようだ。全国の人民、政府に依らねば身を立てる処のないように思うて、一身独立と云う考は少しもない。偶ま外国修業の書生などが帰て来て、僕は畢生独立の覚悟で政府仕官は思いも寄らぬ、なんかんと鹿爪らしく私方へ来て満腹の気焔を吐く者は幾らもある。私は最初から当てにせずに宜い加減に聞流して居ると、その独立先生が久しく見えぬ。スルと後に聞けばその男はチャンと何省の書記官に為り、運の好い奴は地方官になって居ると云うような風で、何も之を咎めるではない、人々の進退はその人の自由自在なれども、全国の人が唯政府の一方を目的にして外に立身の道なしと思込んで居るのは、畢竟漢学教育の余弊で、所謂宿昔青雲の志と云うことが先祖以来の遺伝に存して居る一種の迷である。今この迷を醒まして文明独立の本義を知らせようとするには、天下一人でもその真実の手本を見せたい、亦自からその方針に向う者もあるだろう、一国の独立は国民の独立心から湧て出てることだ、国中を挙げて古風の奴隷根性では迚も国が持てない、出来ることか出来ないことかソンな事に躊躇せず、自分がその手本になって見ようと思付き、人間万事無頓着と覚悟を定めて、唯独立独歩と安心決定したから、政府に依りすがる気もない、役人達に頼む気もない。貧乏すれば金を使わない、金が出来れば自分の勝手に使う。人に交わるには出来る丈けの誠を尽して交わる、ソレでも忌と云えば交わって呉れなくても宜しい。客を招待すれば此方の家風の通りに心を用いて饗応する、その風が嫌いなら来て呉れなくても苦しうない。此方の身に叶う丈けを尽して、ソレから上は先方の領分だ。誉めるなり譏るなり喜ぶなり怒るなり勝手次第にしろ、誉められて左まで歓びもせず、譏られて左まで腹も立てず、いよ/\気が合わねば遠くに離れて附合わぬ計りだ。一切万事、人にも物にもぶら下らずに、云わば捨身になって世の中を渡るとチャンと説を定めて居るから、何としても政府へ仕官などは出来ない。この流儀が果して世の中の手本になって宜い事か、悪い事か、ソレも無頓着だ、宜ければ甚だ宜しい、悪るければソレまでの事だ、その先きまで責任を脊負い込もうとは思いません。
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福翁自伝・雑記・独立敢て新事例を開く(1)私の考は塾に少年を集めて原書を読ませる計りが目的ではない。如何様にもしてこの鎖国の日本を開て西洋流の文明に導き、富国強兵以て世界中に後れを取らぬようにしたい。左りとて唯これを口に言うばかりでなく、近く自分の身より始めて、仮初めにも言行齟齬しては済まぬ事だと、先ず一身の私を慎しみ、一家の生活法を謀り、他人の世話にならぬようにと心掛けて、扨一方に世の中を見て文明改進の為めに施して見たいと思う事があれば、世論に頓着せず思切て試みました。例えば前にも申した通り、学生から授業料の金を取立てる事なり、武士の魂と云う双刀を棄てゝ丸腰になる事なり、演説の新法を人に説て之を実地に施す事なり、又は著訳書に古来の文章法を破て平易なる通俗文を用うる事なり、凡そ是等は当時の古風家に嫌われる事であるが、幸に私の著訳は世間の人気に役じて渇する者に水を与え、大旱に夕立のしたようなもので、その売れたことは実に驚く程の数でした。時節の悪いときに、ドンな文章家ドンな学者が何を著述したって何を飜訳したって、私の出版書のように売れよう訳けはない。畢竟私の才力がエライと云うよりも、時節柄がエラかったのである。又その時代の学者達が筆不調法であったか、馬鹿に青雲熱に浮かされて身の程を知らず時勢を見ることを知らなかったか、マアそのくらいの事だと思われる。兎にも角にも著訳書が私の身を立て家を成す唯一の基本になって、ソレで私塾を開ても、生徒から僅ばかりの授業料を掻集めて私の身に着けるようなケチな事をせずに、全く教師等の所得にすることが出来たその上に、折々私の財嚢から金を出して塾用を弁ずることも出来ました。 所で私の性質は全体放任主義と云おうか、又は小慾にして大無慾とでも云おうか、塾の事に就て朝夕心を用いて一生懸命、些細の事まで種々無量に心配しながら、又一方ではこの塾にブラサガッて居る身ではない、是非とも慶應義塾を永久に遺して置かなければならぬと云う義務もなければ名誉心もないと、初めから安心決定して居るから、随て世の中に怖いものがない。同志の後進生と相談して思う通りに事を行えば、塾中自から独立の気風を生じて世間の反りに合わぬことも多いのと、又一つには私が政治社会に出ることを好まずに在野の身でありながら、口もあれば筆もあるから颯々と言論して、時としてはその言論が政府の癪に障ることもあろう。実を云えば私は政府に対して不平はない、役人達の以前が、無鉄砲な攘夷家であろうとも、人を困らせた奴であろうとも、一切既往を云わず、唯今日の文明主義に変化して開国一偏に国事を経営して呉れゝば遺憾なしと思えども、何かの気まぐれに官民とか朝野とか忌に区別を立てゝ、私塾を疏外し邪魔にして、甚だしきは之を妨げんなんとケチな事をされたのには少々困りました。今これを云えば話も長し言葉も穢くなるから抜きにして、近年帝国議会の開設以来は官辺の風も大に改まりて、余り酷い事はない。何れ遠からぬ中に双方打解けるように成るでしょう。
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