福翁自伝 / 老余の半生・行路変化多し(2)
コリャ面白い、この勢に乗じて更に大に西洋文明の空気を吹込み、全国の人心を根底から転覆して、絶遠の東洋に一新文明国を開き、東に日本、西に英国と、相対して後れを取らぬようになられないものでもないと、茲に第二の誓願を起して、扨身に叶う仕事は三寸の舌、一本の筆より外に何もないから、身体の健康を頼みにして専ら塾務を務め、又筆を弄び、種々様々の事を書き散らしたのが西洋事情以後の著訳です。一方には大勢の学生を教育し、又演説などして所思を伝え、又一方には著書飜訳、随分忙しい事でしたが、是れも所謂万分一を勉める気でしょう。所で顧みて世の中を見れば堪え難いことも多いようだが、一国全体の大勢は改進々歩の一方で、次第々々に上進して、数年の後その形に顕われたるは、日清戦争など官民一致の勝利、愉快とも難有いとも云いようがない。命あればこそコンな事を見聞するのだ、前に死んだ同志の朋友が不幸だ、アヽ見せて遣りたいと、毎度私は泣きました。実を申せば日清戦争何でもない。唯是れ日本の外交の序開きでこそあれ、ソレほど喜ぶ訳けもないが、その時の情に迫まれば夢中にならずには居られない。凡そコンな訳けで、その原因は何処に在るかと云えば、新日本の文明富強は都て先人遺伝の功徳に由来し、吾々共は丁度都合の宜い時代に生れて祖先の賜を唯貰うたようなものに違いはないが、兎に角に自分の願に掛けて居たその願が、天の恵み、祖先の余徳に由て首尾能く叶うたことなれば、私の為めには第二の大願成就と云わねばならぬ。
新字:コリャ面白い、この勢に乗じて更に大に西洋文明の空気を吹込み、全国の人心を根底から転覆して、絶遠の東洋に一新文明国を開き、東に日本、西に英国と、相対して後れを取らぬようになられないものでもないと、茲に第二の誓願を起して、扨身に叶う仕事は三寸の舌、一本の筆より外に何もないから、身体の健康を頼みにして専ら塾務を務め、又筆を弄び、種々様々の事を書き散らしたのが西洋事情以後の著訳です。一方には大勢の学生を教育し、又演説などして所思を伝え、又一方には著書翻訳、随分忙しい事でしたが、是れも所謂万分一を勉める気でしょう。所で顧みて世の中を見れば堪え難いことも多いようだが、一国全体の大勢は改進々歩の一方で、次第々々に上進して、数年の後その形に顕われたるは、日清戦争など官民一致の勝利、愉快とも難有いとも云いようがない。命あればこそコンな事を見聞するのだ、前に死んだ同志の朋友が不幸だ、アヽ見せて遣りたいと、毎度私は泣きました。実を申せば日清戦争何でもない。唯是れ日本の外交の序開きでこそあれ、ソレほど喜ぶ訳けもないが、その時の情に迫まれば夢中にならずには居られない。凡そコンな訳けで、その原因は何処に在るかと云えば、新日本の文明富強は都て先人遺伝の功徳に由来し、吾々共は丁度都合の宜い時代に生れて祖先の賜を唯貰うたようなものに違いはないが、兎に角に自分の願に掛けて居たその願が、天の恵み、祖先の余徳に由て首尾能く叶うたことなれば、私の為めには第二の大願成就と云わねばならぬ。
書き下し
コリャ面白い、この勢に乗じて更に大に西洋文明の空気を吹込み、全国の人心を根底から転覆して、絶遠の東洋に一新文明国を開き、東に日本、西に英国と、相対して後れを取らぬようになられないものでもないと、茲に第二の誓願を起して、扨身に叶う仕事は三寸の舌、一本の筆より外に何もないから、身体の健康を頼みにして専ら塾務を務め、又筆を弄び、種々様々の事を書き散らしたのが西洋事情以後の著訳です。一方には大勢の学生を教育し、又演説などして所思を伝え、又一方には著書飜訳、随分忙しい事でしたが、是れも所謂万分一を勉める気でしょう。所で顧みて世の中を見れば堪え難いことも多いようだが、一国全体の大勢は改進々歩の一方で、次第々々に上進して、数年の後その形に顕われたるは、日清戦争など官民一致の勝利、愉快とも難有いとも云いようがない。命あればこそコンな事を見聞するのだ、前に死んだ同志の朋友が不幸だ、アヽ見せて遣りたいと、毎度私は泣きました。実を申せば日清戦争何でもない。唯是れ日本の外交の序開きでこそあれ、ソレほど喜ぶ訳けもないが、その時の情に迫まれば夢中にならずには居られない。凡そコンな訳けで、その原因は何処に在るかと云えば、新日本の文明富強は都て先人遺伝の功徳に由来し、吾々共は丁度都合の宜い時代に生れて祖先の賜を唯貰うたようなものに違いはないが、兎に角に自分の願に掛けて居たその願が、天の恵み、祖先の余徳に由て首尾能く叶うたことなれば、私の為めには第二の大願成就と云わねばならぬ。
現代語訳
これは面白い。この勢いに乗じて、さらに大いに西洋文明の空気を吹き込み、全国の人心を根底から転覆して、はるか遠い東洋に新しい文明国を開き、東に日本、西に英国と、相対して後れを取らないようにならないものでもない、と、ここに第二の誓願を起こしました。さて、身に叶う仕事は三寸の舌と一本の筆のほかに何もないので、身体の健康を頼みにして、もっぱら塾の務めに励み、また筆を弄んで、さまざまなことを書き散らしたものが、西洋事情以後の著訳です。一方では大勢の学生を教育し、また演説などして所思を伝え、もう一方では著書や翻訳をと、ずいぶん忙しいことでしたが、これもいわゆる万分の一を勤める気持ちでしょう。 ところで、顧みて世の中を見れば堪えがたいことも多いようですが、一国全体の大勢は改進進歩の一方で、次第に上り進み、数年の後その形に表れたのは、日清戦争など、官民一致の勝利で、愉快とも、ありがたいとも言いようがありません。命があればこそこんなことを見聞きするのだ、先に死んだ同志の友人は不幸だ、ああ見せてやりたいと、毎度私は泣きました。実を言えば、日清戦争は何でもない。ただ日本の外交の序の口にすぎず、それほど喜ぶわけもありませんが、その時の情に迫られれば夢中にならずにはいられません。おおよそこんなわけで、その原因はどこにあるかと言えば、新日本の文明の富強は、すべて先人から遺伝した功徳に由来するもので、私たちは、ちょうど都合のよい時代に生まれて、祖先の賜物をただもらったようなものに違いはありませんが、とにかく自分が願をかけていたその願が、天の恵み、祖先の余徳によって首尾よく叶ったことなので、私にとっては第二の大願成就と言わねばなりません。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・老余の半生・行路変化多し(1)回顧すれば六十何年、人生既往を想えば恍として夢の如しとは毎度聞く所であるが、私の夢は至極変化の多い賑かな夢でした。旧小藩の小士族、窮屈な小さい箱の中に詰込まれて、藩政の楊枝を以て重箱の隅をほじくるその楊枝の先きに掛た少年が、ヒョイと外に飛出して故郷を見捨るのみか、生来教育された漢学流の教をも打遣て西洋学の門に入り、以前に変た書を読み、以前に変った人に交わり、自由自在に運動して、二度も三度も外国に往来すれば考は段々広くなって、旧藩は扨置き日本が挟く見えるようになって来たのは、何と賑かな事で大きな変化ではあるまいか。或はその間に艱難辛苦など述立てれば大造のようだが、咽元通れば熱さ忘れると云うその通りで、艱難辛苦も過ぎて仕舞えば何ともない。貧乏は苦しいに違いないが、その貧乏が過ぎ去た後で昔の貧苦を思出して何が苦しいか、却て面白いくらいだから、私は洋学を修めて、その後ドウやら斯うやら人に不義理をせず頭を下げぬようにして、衣食さえ出来れば大願成就と思て居た処に、又図らずも王政維新、いよ/\日本国を開て本当の開国となったのは難有い。幕府時代に私の著わした西洋事情なんぞ、出版の時の考には、天下にコンなものを読む人が有るか無いか夫れも分らず、仮令い読んだからとて之を日本の実際に試みるなんて固より思いも寄らぬことで、一口に申せば西洋の小説、夢物語の戯作くらいに自から認めて居たものが、世間に流行して実際の役に立つのみか、新政府の勇気は西洋事情の類でない、一段も二段も先きに進んで思切た事を断行して、アベコベに著述者を驚かす程のことも折々見えるから、ソコで私も亦以前の大願成就に安んじて居られない。
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福翁自伝・雑記・独立敢て新事例を開く(1)私の考は塾に少年を集めて原書を読ませる計りが目的ではない。如何様にもしてこの鎖国の日本を開て西洋流の文明に導き、富国強兵以て世界中に後れを取らぬようにしたい。左りとて唯これを口に言うばかりでなく、近く自分の身より始めて、仮初めにも言行齟齬しては済まぬ事だと、先ず一身の私を慎しみ、一家の生活法を謀り、他人の世話にならぬようにと心掛けて、扨一方に世の中を見て文明改進の為めに施して見たいと思う事があれば、世論に頓着せず思切て試みました。例えば前にも申した通り、学生から授業料の金を取立てる事なり、武士の魂と云う双刀を棄てゝ丸腰になる事なり、演説の新法を人に説て之を実地に施す事なり、又は著訳書に古来の文章法を破て平易なる通俗文を用うる事なり、凡そ是等は当時の古風家に嫌われる事であるが、幸に私の著訳は世間の人気に役じて渇する者に水を与え、大旱に夕立のしたようなもので、その売れたことは実に驚く程の数でした。時節の悪いときに、ドンな文章家ドンな学者が何を著述したって何を飜訳したって、私の出版書のように売れよう訳けはない。畢竟私の才力がエライと云うよりも、時節柄がエラかったのである。又その時代の学者達が筆不調法であったか、馬鹿に青雲熱に浮かされて身の程を知らず時勢を見ることを知らなかったか、マアそのくらいの事だと思われる。兎にも角にも著訳書が私の身を立て家を成す唯一の基本になって、ソレで私塾を開ても、生徒から僅ばかりの授業料を掻集めて私の身に着けるようなケチな事をせずに、全く教師等の所得にすることが出来たその上に、折々私の財嚢から金を出して塾用を弁ずることも出来ました。 所で私の性質は全体放任主義と云おうか、又は小慾にして大無慾とでも云おうか、塾の事に就て朝夕心を用いて一生懸命、些細の事まで種々無量に心配しながら、又一方ではこの塾にブラサガッて居る身ではない、是非とも慶應義塾を永久に遺して置かなければならぬと云う義務もなければ名誉心もないと、初めから安心決定して居るから、随て世の中に怖いものがない。同志の後進生と相談して思う通りに事を行えば、塾中自から独立の気風を生じて世間の反りに合わぬことも多いのと、又一つには私が政治社会に出ることを好まずに在野の身でありながら、口もあれば筆もあるから颯々と言論して、時としてはその言論が政府の癪に障ることもあろう。実を云えば私は政府に対して不平はない、役人達の以前が、無鉄砲な攘夷家であろうとも、人を困らせた奴であろうとも、一切既往を云わず、唯今日の文明主義に変化して開国一偏に国事を経営して呉れゝば遺憾なしと思えども、何かの気まぐれに官民とか朝野とか忌に区別を立てゝ、私塾を疏外し邪魔にして、甚だしきは之を妨げんなんとケチな事をされたのには少々困りました。今これを云えば話も長し言葉も穢くなるから抜きにして、近年帝国議会の開設以来は官辺の風も大に改まりて、余り酷い事はない。何れ遠からぬ中に双方打解けるように成るでしょう。
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福翁自伝・老余の半生・仕官を嫌う由縁私の生涯は終始替ることなく、少年時代の辛苦、老後の安楽、何も珍らしいことはない。今の世界に人間普通の苦楽を嘗めて、今日に至るまで大に愧ることもなく大に後悔することもなく、心静に月日を送りしは、先ず以て身の仕合せと云わねばならぬ。所で世間は広し、私の苦楽を遠方から見て色々に評論し色々に疑う者もありましょう。就中私がマンザラの馬鹿でもなく政治の事も随分知て居ながら、遂に政府の役人にならぬと云うは可笑しい、日本社会の十人は十人、百人は百人、皆立身出世を求めて役人にこそなりたがるその処に、福澤が一人これをいやがるのは不審だと、蔭で窃に評論する計りでない、現に直接に私に向て質問する者もある。啻に日本人ばかりでない、知己の外国人も私の進退を疑い、何故政府に出て仕事をせぬか、政府の好地位に立て思う事を行えば、名誉にも為り金にも為り、面白いではないかと、米国人などは毎度勧めに来たことがあるけれども、私は唯笑て取合わぬ。ソコで維新の当分は政府の連中が私を評して佐幕家の一人と認め、彼れは旧幕府に操を立てゝ新政府に仕官せぬ者である、将軍政治を悦んで王政を嫌う者である、古来、革命の歴史に前朝の遺臣と云う者があるが、福澤もその遺臣を気取て、物外に瓢然として居ながら心中無限の不平を抱いて居るに違いない、心に不平があれば新政府の為めに宜いことは考えない、油断のならぬ奴だなんて、種々様々な想像を運らして居る者の多いのは、私も大抵知て居る。所が斯く評せらるゝ前朝の遺臣殿は、久しい以前から前朝の門閥制度、鎖国主義に愛想をつかして、維新の際に幕府の忠臣義士が盛んに忠義論を論じて佐幕の気焔を吐て脱走までする時に、私は強て議論もせず、脱走連中に知て居る者があれば、余計な事をするな、負けるから罷にしろと云て止めて居た位だから、福澤を評するに前朝の遺臣論も勘定が合わぬ。前朝の遺臣と云えば維新の時に幕府の忠臣義士こそ丁度適当の嵌役なれども、この忠臣義士は前朝に忠義の一役を勤めて何時の間にか早替り、第二の忠義役を勤めて第二の忠臣義士となって居るから、是れも遺臣と云われぬ。その遺臣論は姑く擱き、私の身の進退は、前に申す通り、維新の際に幕府の門閥制度、鎖国主義が腹の底から嫌だから佐幕の気がない。左ればとて勤王家の挙動を見れば、幕府に較べてお釣りの出る程の鎖国攘夷、固よりコンな連中に加勢しようと思いも寄らず、唯ジッと中立独立と説を極めて居ると、今度の新政府は開国に豹変した様子で立派な命令は出たけれども、開国の名義中、鎖攘タップリ、何が何やら少しも信ずるに足らず、東西南北何れを見ても共に語るべき人は一人もなし、唯独りで身に叶う丈けの事を勤めて開国一偏、西洋文明の一天張りでリキンで居る内に、政府の開国論が次第々々に真成のものになって来て、一切万事改進ならざるはなし、所謂文明駸々乎として進歩するの世の中になったこそ実に有り難い仕合せで、実に不思議な事で、云わば私の大願も成就したようなものだから、最早や一点の不平は云われない。
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福翁自伝・老余の半生・人間の慾に際限なし左れば私は自分の既往を顧みれば遺憾なきのみか愉快な事ばかりであるが、扨人間の慾には際限のないもので、不平を云わすればマダ/\幾らもある。外国交際又は内国の憲法政治などに就て其れ是れと云う議論は政治家の事として差置き、私の生涯の中に出来して見たいと思う所は、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に愧かしくないようにする事と、仏法にても耶蘇教にても孰れにても宜しい、之を引立てゝ多数の民心を和らげるようにする事と、大に金を役じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにする事と、凡そこの三ヶ条です。人は老しても無病なる限りは唯安閑としては居られず、私も今の通りに健全なる間は身に叶う丈けの力を尽す積です。 福翁自伝 終
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福翁自伝・王政維新・教育の方針は数理と独立(1)畢竟私がこの日本に洋学を盛にして、如何でもして西洋流の文明富強国にしたいと云う熱心で、その趣は慶應義塾を西洋文明の案内者にして、恰も東道の主人と為り、西洋流の一手販売、特別エゼントとでも云うような役を勤めて、外国人に頼まれもせぬ事を遣て居たから、古風な頑固な日本人に嫌われたのも無理はない。元来私の教育主義は自然の原則に重きを置て、数と理とこの二つのものを本にして、人間万事有形の経営は都てソレから割出して行きたい。又一方の道徳論に於ては、人生を万物中の至尊至霊のものなりと認め、自尊自重苟も卑劣な事は出来ない、不品行な事は出来ない、不仁不義、不忠不孝ソンな浅ましい事は誰に頼まれても、何事に切迫しても出来ないと、一身を高尚至極にし所謂独立の点に安心するようにしたいものだと、先ず土台を定めて、一心不乱に唯この主義にのみ心を用いたと云うその訳けは、古来東洋西洋相対してその進歩の前後遅速を見れば、実に大造な相違である。双方共々に道徳の教もあり、経済の議論もあり、文に武におの/\長所短所ありながら、扨国勢の大体より見れば富国強兵、最大多数、最大幸福の一段に至れば、東洋国は西洋国の下に居らればならぬ。国勢の如何は果して国民の教育より来るものとすれば、双方の教育法に相違がなくてはならぬ。ソコで東洋の儒教主義と西洋の文明主義と比較して見るに、東洋になきものは、有形に於て数理学と、無形に於て独立心と、この二点である。彼の政治家が国事を料理するも、実業家が商売工業を働くも、国民が報国の念に富み、家族が団欒の情に濃なるも、その大本を尋れば自から由来する所が分る。近く論ずれば今の所謂立国の有らん限り、遠く思えば人類のあらん限り、人間万事、数理の外に逸することは叶わず、独立の外に依る所なしと云うべきこの大切なる一義を、我日本国に於ては軽く視て居る。是れでは差向き国を開て西洋諸強国と肩を並べることは出来そうにもしない。全く漢学教育の罪であると深く自から信じて、資本もない不完全な私塾に専門科を設けるなどは迚も及ばぬ事ながら、出来る限りは数理を本にして教育の方針を定め、一方には独立論の主義を唱えて、朝夕一寸した話の端にもその必要を語り、或は演説に説き或は筆記に記しなどしてその方針に導き、又自分にも様々工風して躬行実践を勉め、ます/\漢学が不信仰になりました。今日にても本塾の旧生徒が社会の実地に乗出して、その身分職業の如何に拘らず物の数理に迂闊ならず、気品高尚にして能く独立の趣意を全うする者ありと聞けば、是れが老余の一大楽事です。
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福翁自伝・王政維新・著書飜訳一切独立又維新前後は私が著書飜訳を勉めた時代で、その著訳書の由来は福澤全集の緒言に記してあるから之を略しますが、元来私の著訳は真実私一人の発意で、他人の差図も受けねば他人に相談もせず、自分の思う通りに執筆して、時の漢学者は無論、朋友たる洋学者へ草稿を見せたこともなければ、況して序文題字など頼んだこともない。是れも余り殺風景で、実は当時の故老先生とか云う人に序文でも書かせた方が宜かったか知れないが、私は夫れが嫌いだ。ソンな事かた/″\で、私の著訳書は事実の如何に拘わらず古風な人の気に入る筈はない。ソレでもその書が殊更らに大に流行したのは、文明開国の勢に乗じたことでありましょう。
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