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福翁自伝 / 老余の半生・殻威張の群に入るべからず

従前曾て人に語らず、又語る必要もないから黙て居て、内の妻子も本当に知りますまいが、私の本心に於て何としても仕官が出来られないその真面目を丸出しに申せば、第一、政府がその方針を開国文明と決定して大に国事を改革すると同時に、役人達が国民に対して無暗に威張る、その威張るのも行政上の威厳と云えば自から理由もあるが、実際は爾うでない、唯殻威張をして喜んで居る。例えば位記などは王政維新、文明の政治と共に罷めそうなことを罷めずに、人間の身に妙な金箔を着けるような事をして、日本国中いらざる処に上下貴賤の区別を立てゝ、役人と人民と人種の違うような細工をして居る。既に政府が貴いと云えば政府に入る人も自然に貴くなる、貴くなれば自然に威張るようになる、その威張りは即ち殻威張で、誠に宜しくないと知りながら、何も蚊も自然の勢で、役人の仲間になれば何時の間にか共に殻威張を遣るように成り行く。然かのみならず、自分より下に向て威張れば上に向ては威張られる。鼬こっこ鼠こっこ、実に馬鹿らしくて面白くない。政府に這入りさえせねば馬鹿者の威張るのを唯見物して唯笑て居る計りなれども、今の日本の風潮で、役人の仲間になれば、仮令い最上の好地位に居ても兎に角に殻威張と名づくる醜体を犯さねばならぬ。是れが私の性質に於て出来ない。

新字:従前曽て人に語らず、又語る必要もないから黙て居て、内の妻子も本当に知りますまいが、私の本心に於て何としても仕官が出来られないその真面目を丸出しに申せば、第一、政府がその方針を開国文明と決定して大に国事を改革すると同時に、役人達が国民に対して無暗に威張る、その威張るのも行政上の威厳と云えば自から理由もあるが、実際は爾うでない、唯殻威張をして喜んで居る。例えば位記などは王政維新、文明の政治と共に罷めそうなことを罷めずに、人間の身に妙な金箔を着けるような事をして、日本国中いらざる処に上下貴賤の区別を立てゝ、役人と人民と人種の違うような細工をして居る。既に政府が貴いと云えば政府に入る人も自然に貴くなる、貴くなれば自然に威張るようになる、その威張りは即ち殻威張で、誠に宜しくないと知りながら、何も蚊も自然の勢で、役人の仲間になれば何時の間にか共に殻威張を遣るように成り行く。然かのみならず、自分より下に向て威張れば上に向ては威張られる。鼬こっこ鼠こっこ、実に馬鹿らしくて面白くない。政府に這入りさえせねば馬鹿者の威張るのを唯見物して唯笑て居る計りなれども、今の日本の風潮で、役人の仲間になれば、仮令い最上の好地位に居ても兎に角に殻威張と名づくる醜体を犯さねばならぬ。是れが私の性質に於て出来ない。

書き下し

従前曾て人に語らず、又語る必要もないから黙て居て、内の妻子も本当に知りますまいが、私の本心に於て何としても仕官が出来られないその真面目を丸出しに申せば、第一、政府がその方針を開国文明と決定して大に国事を改革すると同時に、役人達が国民に対して無暗に威張る、その威張るのも行政上の威厳と云えば自から理由もあるが、実際は爾うでない、唯殻威張をして喜んで居る。例えば位記などは王政維新、文明の政治と共に罷めそうなことを罷めずに、人間の身に妙な金箔を着けるような事をして、日本国中いらざる処に上下貴賤の区別を立てゝ、役人と人民と人種の違うような細工をして居る。既に政府が貴いと云えば政府に入る人も自然に貴くなる、貴くなれば自然に威張るようになる、その威張りは即ち殻威張で、誠に宜しくないと知りながら、何も蚊も自然の勢で、役人の仲間になれば何時の間にか共に殻威張を遣るように成り行く。然かのみならず、自分より下に向て威張れば上に向ては威張られる。鼬こっこ鼠こっこ、実に馬鹿らしくて面白くない。政府に這入りさえせねば馬鹿者の威張るのを唯見物して唯笑て居る計りなれども、今の日本の風潮で、役人の仲間になれば、仮令い最上の好地位に居ても兎に角に殻威張と名づくる醜体を犯さねばならぬ。是れが私の性質に於て出来ない。

現代語訳

これまで人に語ったことはなく、語る必要もないので黙っていて、家の妻子もおそらく本当には知らないでしょうが、私の本心として、どうしても仕官ができない本当の理由を包み隠さず申せば、第一に、政府がその方針を開国文明と決めて大いに国事を改革すると同時に、役人たちが国民に対してむやみに威張ります。その威張るのも、行政上の威厳といえば自然に理由もありますが、実際はそうではなく、ただ空威張りをして喜んでいるのです。たとえば位階を記す位記などは、王政維新、文明の政治とともにやめそうなものなのにやめず、人間の身に妙な金箔をつけるようなことをして、日本国中の要らないところに上下貴賤の区別を立て、役人と人民とが別の人種のような仕組みを作っています。すでに政府が貴いというなら政府に入る人も自然に貴くなり、貴くなれば自然に威張るようになります。その威張りが空威張りで、まことによろしくないと知りながら、何もかも自然の勢いで、役人の仲間になればいつの間にか共に空威張りをするようになっていきます。そればかりか、自分より下に向かって威張れば、上に向かっては威張られます。鼬ごっこ鼠ごっこで、実にばかばかしく面白くありません。政府に入りさえしなければ、馬鹿者が威張るのをただ見物して笑っていられますが、今の日本の風潮では、役人の仲間になれば、たとえ最上の良い地位にいても、とにかく空威張りという醜態を演じなければなりません。これが私の性質ではできないのです。

解説

仕官しない第一の理由は、役人の空威張りです。福沢が嫌ったのは仕事そのものではなく、位記のような金箔で上下貴賤を作り、下に威張り上に威張られる鼬ごっこ鼠ごっこの構造でした。人はその環境に入ると、知らず知らずその振る舞いに染まる。だから入らないという判断です。明治初期の官尊民卑への批判であり、のちの『学問のすゝめ』の議論とも地続きです。今日の組織でも、肩書きが人の態度を変える場面は多いはず。自分の立場が態度を変えていないか、点検する材料になります。

この章句が説くこと

空威張り官尊民卑位記上下貴賤役人鼬ごっこ

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