福翁自伝 / 一身一家経済の由来・武器売却を勧む
夫れから段々話が進んで来た所で、私は一つ注文を出した。今云う通り禄も身分も元の通りにして置くが宜かろう、ソレは宜しいが、茲に一つ忠告したいことがある。今この中津藩には小銃もあれば大砲もあり、武を以て国を立てようと云うその趣はチャンと見えて居るが、併し今の藩士とこの藩に在る武器で以て果して戦争が出来るかドウか、私はドウも出来なかろうと思う、左れば今日只今長州の人がズッと暴れ込めば長州に従わなければならぬ、又薩州の兵が攻来れば之にも抵抗することが出来ないから薩州に従わなければならぬ、誠に心配な話である、之を私が言葉を設けて評すれば、弱藩罪なし武器災をなすと云わねばならぬ、ダカラ寧そこの鉄砲を皆売て仕舞いたい、見れば大砲は何れもクルップだ、これを売れば三千五千或は一万円になるかも知れぬから、一切売て仕舞て昔の琉球見たようになって仕舞うが宜い、爾うして置て長州から政めて来たら、ヘイ/\、又薩摩から遣て来たら、ヘイ/\、斯う為ようとか、アヽ為ようとか云えば、ドウか長州に行て直に話をして下さい、又長州ならドウか薩州に行て直談を頼むと云て、一切の面倒を他に嫁して、此方はドウでも宜いと、斯う云う仕向けが宜かろう、そうした所で殺しもしなければ捕縛して行きもしないから爾う云うようにしたい、そうして一方に於てはドウしてもこの世の中は文明開化になるに極てるから、学校を拵えて文明開化の何物たるを藩中の少年子弟に知らせると云う方針を執るが一番大事である、扨爾う云う方針を執るとして、武器を廃して仕舞えば、余り割合が宜過ぎるようだが、ソコには斯う云うことがある、今私は東京の事情を察するに、新政府は陸海軍を大に改革しようとして金がなくて困て居る、ソコで一片の願書なり届書なり認めて出して見るが宜しい、その次第はこの中津藩は武備を廃したる為めに年々何万円と云う余計な金がある、この金を納めましょうから政府の方でドウでも為すって下さいと斯う云えば、海陸軍では大に悦ぶ、政府の身になって見れば、この諸藩三百の大名が各々色変りの武器を作り色変りの兵を備えて置くその始末に堪まるものじゃない、ドウしたッて一様にしたいと云うのは、コリャ政府の政略に於て有るに極た訳けではないか、然るに此処ではクルップの鉄砲だ、隣ではアームストロングの大砲だ、イヤ彼処では仏蘭西の小銃、此方は和蘭から昔し輸入したゲベルを持て居ると云うような、日本国中千種万様の兵備では、政府に於てイザ事と云ても戦争が出来そうにもしない、ソレよりかその金を納むるが宜い、爾うすれば独り政府が悦ぶのみならずして、中津藩も誠に安楽になる、所謂一挙両全の策であるから爾う遣りなさいと云た。
書き下し
夫れから段々話が進んで来た所で、私は一つ注文を出した。今云う通り禄も身分も元の通りにして置くが宜かろう、ソレは宜しいが、茲に一つ忠告したいことがある。今この中津藩には小銃もあれば大砲もあり、武を以て国を立てようと云うその趣はチャンと見えて居るが、併し今の藩士とこの藩に在る武器で以て果して戦争が出来るかドウか、私はドウも出来なかろうと思う、左れば今日只今長州の人がズッと暴れ込めば長州に従わなければならぬ、又薩州の兵が攻来れば之にも抵抗することが出来ないから薩州に従わなければならぬ、誠に心配な話である、之を私が言葉を設けて評すれば、弱藩罪なし武器災をなすと云わねばならぬ、ダカラ寧そこの鉄砲を皆売て仕舞いたい、見れば大砲は何れもクルップだ、これを売れば三千五千或は一万円になるかも知れぬから、一切売て仕舞て昔の琉球見たようになって仕舞うが宜い、爾うして置て長州から政めて来たら、ヘイ/\、又薩摩から遣て来たら、ヘイ/\、斯う為ようとか、アヽ為ようとか云えば、ドウか長州に行て直に話をして下さい、又長州ならドウか薩州に行て直談を頼むと云て、一切の面倒を他に嫁して、此方はドウでも宜いと、斯う云う仕向けが宜かろう、そうした所で殺しもしなければ捕縛して行きもしないから爾う云うようにしたい、そうして一方に於てはドウしてもこの世の中は文明開化になるに極てるから、学校を拵えて文明開化の何物たるを藩中の少年子弟に知らせると云う方針を執るが一番大事である、扨爾う云う方針を執るとして、武器を廃して仕舞えば、余り割合が宜過ぎるようだが、ソコには斯う云うことがある、今私は東京の事情を察するに、新政府は陸海軍を大に改革しようとして金がなくて困て居る、ソコで一片の願書なり届書なり認めて出して見るが宜しい、その次第はこの中津藩は武備を廃したる為めに年々何万円と云う余計な金がある、この金を納めましょうから政府の方でドウでも為すって下さいと斯う云えば、海陸軍では大に悦ぶ、政府の身になって見れば、この諸藩三百の大名が各々色変りの武器を作り色変りの兵を備えて置くその始末に堪まるものじゃない、ドウしたッて一様にしたいと云うのは、コリャ政府の政略に於て有るに極た訳けではないか、然るに此処ではクルップの鉄砲だ、隣ではアームストロングの大砲だ、イヤ彼処では仏蘭西の小銃、此方は和蘭から昔し輸入したゲベルを持て居ると云うような、日本国中千種万様の兵備では、政府に於てイザ事と云ても戦争が出来そうにもしない、ソレよりかその金を納むるが宜い、爾うすれば独り政府が悦ぶのみならずして、中津藩も誠に安楽になる、所謂一挙両全の策であるから爾う遣りなさいと云た。
現代語訳
それから次第に話が進んできたところで、私はひとつ注文を出しました。今言うとおり禄も身分も元のままにしておくのがよかろう、それはよろしいが、ここにひとつ忠告したいことがある。今この中津藩には小銃もあれば大砲もあり、武をもって国を立てようというその趣は確かに見えているが、しかし今の藩士とこの藩にある武器で、果たして戦争ができるかどうか、私はとてもできまいと思う。そうなれば今日ただいま長州の人がずっと暴れ込めば長州に従わなければならず、また薩州の兵が攻めてくればこれにも抵抗できないから薩州に従わなければならない。まことに心配な話である。これを私が言葉をつくって評するなら、弱藩に罪なし、武器が災いをなす、と言わねばならない。だからいっそこの鉄砲をみな売ってしまいたい。見れば大砲はどれもクルップだ。これを売れば三千円、五千円、あるいは一万円になるかもしれないから、一切売ってしまって、昔の琉球のようになってしまうのがよい。そうしておいて長州から攻めてきたら、へいへい、また薩摩からやってきたら、へいへい、こうしようとか、ああしようとか言うなら、どうか長州に行って直接話をしてください、また長州ならどうか薩州に行って直談判を頼むと言って、一切の面倒を他に押しつけ、こちらはどうでもよいという対応がよかろう。そうしたところで殺しもしなければ捕縛して行きもしないから、そのようにしたい。そうして一方では、どうしてもこの世の中は文明開化になるに決まっているから、学校をこしらえて文明開化とは何であるかを藩中の少年子弟に知らせるという方針をとるのが一番大事である。さてそういう方針をとるとして、武器を廃してしまえば、あまり割がよすぎるようだが、そこにはこういうことがある。今私は東京の事情を察するに、新政府は陸海軍を大いに改革しようとして金がなくて困っている。そこで一通の願書なり届書なりを書いて出してみるがよろしい。その趣旨は、この中津藩は武備を廃したために毎年何万円という余分な金がある、この金を納めますからどうにでも政府のほうで使ってください、と言えば、海陸軍は大いに喜ぶ。政府の身になってみれば、この諸藩三百の大名がそれぞれ色違いの武器を作り、色違いの兵を備えておくその始末にはたまったものではない。どうしても一様にしたいというのは、政府の政略においてあるに決まっているわけではないか。ところがここではクルップの鉄砲、隣ではアームストロングの大砲、いやあそこではフランスの小銃、こちらはオランダから昔輸入したゲベール銃を持っているというような、日本国中千種万様の兵備では、政府はいざ事が起きても戦争ができそうにもない。それよりその金を納めるのがよい。そうすれば政府が喜ぶだけでなく、中津藩もまことに安楽になる。いわゆる一挙両全の策であるから、そうやりなさいと言いました。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・王政維新・本藩に対して功名心なし既に心に決定して居れば、藩に居て功名心と云うものは更らにない、立身出世して高い身分になって錦を故郷に着て人を驚かすと云うような野心は少しもないのみか、私にはその錦が却て恥かしくて着ることが出来ない。グヅ/″\云えば唯この藩を出て仕舞う丈けの事だと云うのが若い時からの考えで、人にこそ云わね、私の心では眼中藩なしと斯う安心を極めて居ましたので、夫れから長崎に行き大阪に出て修業して居るその中に、藩の御用で江戸に呼ばれて藩中の子弟を教うると云うことをして居ながらも、藩の政庁に対しては誠に淡泊で、長い歳月の間只の一度も建白なんと云うことをしたことはない。能く世間にある事で、イヤどうも藩政を改革して洋学を盛にするが宜いとか、兵制を改革するが宜いとか云うことは書生の能く遣ることだ、けれども私に限り只の一度も云出したことがない。ソレと同時に自分の立身出世を藩に向て求めたことがない。ドウ云うように身分を取立てゝ貰いたい、ドウ云うようにして禄を増して貰いたいと云うような事は、陰にも陽にもどんな事があっても藩の長老に内願などしたことがない。ソコで江戸に参てからも、本藩の様子を見れば種々な事を試みて居る。兵制で申せば西洋流の操練を採用したことがある。けれども私はソレを宜いと云て誉めもしなければ悪いと云て止めたこともなし、又或は大に漢学を盛にすると云て頻りに学校の改革などを企てたこともある。或は兵制は甲州流が宜いと云て法螺の貝を吹て藩中で調練をしたこともある。ソレも私は只目前に見て居るばかりで、善いとも悪いとも一寸とも云たことがない。或時に家老の隠居があって、大層政治論の好きな人で、私が家老の家に行たらば、その隠居が、ドウも公武の間が甚だ穏かでない、全体どうも近衛様が爾うも有りそうもない事だとか、或は江戸の御老中が詰らないとか云うような慷慨談を頻りに云て居る。爾う云われると私も何か云いそうな事だ、所が私は決して云わない。如何にも爾うでしょう、ソリャ成程近衛様も爾うだろう、御老中も爾うだろうが、扨ソレが実地になると傍観者の思うようにはならぬもので、近くはこの奥平様の屋敷でも、マダして宜いこともあるだろう、為なくて宜いこともあるだろう、傍観者から之を見たらば嘸堪え難いことに思うでありましょうけれども、当局の御家老の身になって見れば又爾う思う通りに行かないもので、矢張り今の通りより外に仕様がない。余り人の事を批評しても詰らぬ事です。私は一体そんな事に就ては何を議論しようとも思わぬと云て、少しも相手にならなかった。
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