福翁自伝 / 雑記・路傍の人の硬軟を試る(2)
此方はます/\面白くなって、今度は逆に遣て見ようと思付き、又向うから来る奴に向て、「モシモシ憚りながら一寸ものをお尋ね申しますと云うような口調に出掛けて、相替らず下らぬ問答を始め、私は大阪生れで又大阪にも久しく寄留して居たから、その時には大抵大阪の言葉も知て居たから、都て奴の調子に合せてゴテ/\話をすると、奴は私を大阪の町人が掛取にでも行く者と思うたか、中々横風でろくに会釈もせずに颯々と別れて行く、底で今度は又その次ぎの奴に横風をきめ込み、又その次ぎには丁寧に出掛け、一切先方の面色に取捨なく誰でも唯向うから来る人間一匹ずつ一つ置きと極めて遣て見た所が、凡そ三里ばかり歩く間、思う通りに成たが、ソコデ私の心中は甚だ面白くない。如何にも是れは仕様のない奴等だ、誰も彼も小さくなるなら小さくなり、横風ならば横風で可し、斯う何うも先方の人を見て自分の身を伸縮するような事では仕様がない、推して知るべし地方小役人等の威張るのも無理はない、世間に圧制政府と云う説があるが、是れは政府の圧制ではない人民の方から圧制を招くのだ、之を何うして呉れようか、捨てようと云て固より見捨てられる者でない、左ればとて之を導いて俄に教えようもない、如何に百千年来の余弊とは云いながら、無教育の土百姓が唯無闇に人に詫るばかりなら宜しいが、先き次第で驕傲になったり柔和になったり、丸でゴムの人形見るようだ、如何にも頼母しくないと大に落胆したことがあるが、変れば変る世の中で、マアこの節はそのゴム人形も立派な国民と成て学問もすれば商工業も働き、兵士にすれば一命を軽んじて国の為めに水火にも飛込む。福澤が蝙蝠傘一本で如何に士族の仮色を使うても、之に恐るゝ者は全国一人もあるまい。是れぞ文明開化の賜でしょう。
新字:此方はます/\面白くなって、今度は逆に遣て見ようと思付き、又向うから来る奴に向て、「モシモシ憚りながら一寸ものをお尋ね申しますと云うような口調に出掛けて、相替らず下らぬ問答を始め、私は大阪生れで又大阪にも久しく寄留して居たから、その時には大抵大阪の言葉も知て居たから、都て奴の調子に合せてゴテ/\話をすると、奴は私を大阪の町人が掛取にでも行く者と思うたか、中々横風でろくに会釈もせずに颯々と別れて行く、底で今度は又その次ぎの奴に横風をきめ込み、又その次ぎには丁寧に出掛け、一切先方の面色に取捨なく誰でも唯向うから来る人間一匹ずつ一つ置きと極めて遣て見た所が、凡そ三里ばかり歩く間、思う通りに成たが、ソコデ私の心中は甚だ面白くない。如何にも是れは仕様のない奴等だ、誰も彼も小さくなるなら小さくなり、横風ならば横風で可し、斯う何うも先方の人を見て自分の身を伸縮するような事では仕様がない、推して知るべし地方小役人等の威張るのも無理はない、世間に圧制政府と云う説があるが、是れは政府の圧制ではない人民の方から圧制を招くのだ、之を何うして呉れようか、捨てようと云て固より見捨てられる者でない、左ればとて之を導いて俄に教えようもない、如何に百千年来の余弊とは云いながら、無教育の土百姓が唯無闇に人に詫るばかりなら宜しいが、先き次第で驕傲になったり柔和になったり、丸でゴムの人形見るようだ、如何にも頼母しくないと大に落胆したことがあるが、変れば変る世の中で、マアこの節はそのゴム人形も立派な国民と成て学問もすれば商工業も働き、兵士にすれば一命を軽んじて国の為めに水火にも飛込む。福沢が蝙蝠傘一本で如何に士族の仮色を使うても、之に恐るゝ者は全国一人もあるまい。是れぞ文明開化の賜でしょう。
書き下し
此方はます/\面白くなって、今度は逆に遣て見ようと思付き、又向うから来る奴に向て、「モシモシ憚りながら一寸ものをお尋ね申しますと云うような口調に出掛けて、相替らず下らぬ問答を始め、私は大阪生れで又大阪にも久しく寄留して居たから、その時には大抵大阪の言葉も知て居たから、都て奴の調子に合せてゴテ/\話をすると、奴は私を大阪の町人が掛取にでも行く者と思うたか、中々横風でろくに会釈もせずに颯々と別れて行く、底で今度は又その次ぎの奴に横風をきめ込み、又その次ぎには丁寧に出掛け、一切先方の面色に取捨なく誰でも唯向うから来る人間一匹ずつ一つ置きと極めて遣て見た所が、凡そ三里ばかり歩く間、思う通りに成たが、ソコデ私の心中は甚だ面白くない。如何にも是れは仕様のない奴等だ、誰も彼も小さくなるなら小さくなり、横風ならば横風で可し、斯う何うも先方の人を見て自分の身を伸縮するような事では仕様がない、推して知るべし地方小役人等の威張るのも無理はない、世間に圧制政府と云う説があるが、是れは政府の圧制ではない人民の方から圧制を招くのだ、之を何うして呉れようか、捨てようと云て固より見捨てられる者でない、左ればとて之を導いて俄に教えようもない、如何に百千年来の余弊とは云いながら、無教育の土百姓が唯無闇に人に詫るばかりなら宜しいが、先き次第で驕傲になったり柔和になったり、丸でゴムの人形見るようだ、如何にも頼母しくないと大に落胆したことがあるが、変れば変る世の中で、マアこの節はそのゴム人形も立派な国民と成て学問もすれば商工業も働き、兵士にすれば一命を軽んじて国の為めに水火にも飛込む。福澤が蝙蝠傘一本で如何に士族の仮色を使うても、之に恐るゝ者は全国一人もあるまい。是れぞ文明開化の賜でしょう。
現代語訳
こちらはますます面白くなって、今度は逆にやってみようと思いつき、また向こうから来る者に向かって、「もしもし、恐れながら、ちょっとものをお尋ね申します」というような口調で出かけ、相変わらずくだらない問答を始めました。私は大阪生まれで、また大阪にも長く寄留していたので、そのころは大阪の言葉も大抵知っていましたから、すべて相手の調子に合わせてごてごてと話すと、相手は私を大阪の町人が掛け取りにでも行く者と思ったのか、なかなか横柄で、ろくに会釈もせず、さっさと別れて行きます。そこで今度はまたその次の者に横柄をきめこみ、またその次には丁寧に出る。相手の顔色を一切取捨せず、誰でも向こうから来る人間をひとりずつ、一つ置きと決めてやってみたところ、およそ三里ばかり歩く間、思ったとおりになりましたが、そのとき私の心中はまことに面白くありません。いかにもこれは仕様のない奴らだ、誰も彼も小さくなるなら小さくなり、横柄なら横柄で通せばいい。こう先方の人を見て自分の身を伸び縮みさせるようでは仕方がない。推して知るべし、地方の小役人らが威張るのも無理はない。世間に圧制政府という説があるが、これは政府の圧制ではなく、人民のほうから圧制を招くのだ。これをどうしてやろうか。捨てようといって、もとより見捨てられるものではない。さればといって、導いて急に教えようもない。いかに百千年来の弊害とはいえ、無教育の土百姓がただむやみに人に詫びるばかりならまだしも、相手次第で驕り高ぶったり柔和になったり、まるでゴムの人形のようだ。いかにも頼もしくないと、大いに落胆したことがあります。しかし変われば変わる世の中で、この節はそのゴム人形も立派な国民となり、学問もすれば商工業にも働き、兵士にすれば命を軽んじて国のために水火にも飛び込みます。福沢が蝙蝠傘一本でどれほど士族の仮面を使っても、これを恐れる者は全国に一人もないでしょう。これこそ文明開化のたまものです。
解説
この章句が説くこと
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福翁自伝・雑記・路傍の人の硬軟を試る(1)夫れから又斯う云う面白い事がありました。明治四年の頃でした。摂州三田藩の九鬼と云う大名は兼て懇意の間柄で、一度は三田に遊びに来いと云う話もあり、私もその節病後の身で有馬の温泉にも行て見たし、かた/″\先ず大阪まで出掛けて、大阪から三田まで凡そ十五里、途中名塩に一泊する積りにして、ソコで大阪に行けば何時でも緒方の家を訪問しないことはない、故先生は居ないでも未亡夫人が私を子のようにして愛して呉れるから、大阪に着くと取敢えず緒方に行て、三田に遊び有馬に行くことなども話しました所が、私は病後でどうも歩けそうにない、駕籠を貸して遣ろうと云われるので、その駕籠をつらせて大阪を出立した。頃は旧暦の三、四月、誠に好い時候で、私はパッチを穿て羽織か何か着て蝙蝠傘を持て、駕籠に乗て行くつもりであったが、少し歩いて見るとなか/\歩ける。「コリャ駕籠は要らぬ、駕籠屋、先へ行け、乃公は一人で行くからと云て、たった一人で供もなければ連れもない、話相手がなくて面白くない所から、何でも人に逢うて言葉を交えて見たいと思い、往来の向うから来る百姓のような男に向て道を聞たら、そのとき私の素振りが何か横風で、むかしの士族の正体が現われて言葉も荒らかったと見える、するとその百姓が誠に丁寧に道を数えて呉れてお辞儀をして行く、こりゃ面白いと思い、自分の身を見れば持て居るものは蝙蝠傘一本きりで何にもない、も一度遣て見ようと思うて、その次ぎに来る奴に向て怒鳴り付け、「コリや待て、向うに見える村は何と申す村だ、シテ村の家数は凡そ何軒ある、あの瓦屋の大きな家は百姓か町人か、主人の名は何と申すなどゝ下らぬ事をたゝみ掛けて士族丸出しの口調で尋ねると、その奴は道の側に小さくなって恐れながら御答申上げますと云うような様子だ。
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