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風憲忠告 / 自律苐一

士而律身,固不可以不嚴也。然有官守者,則當嚴於士焉;有言責者,又當嚴於有官守者焉。盖執法之臣,將以紏姦繩惡,以肅中外,以正紀綱,自律不嚴,何以服眾?夫所謂嚴,如處子之居室,一行一住,一語一嘿,必語禮法,厥德乃全;跬步有違,則人人得而訾之。苟挾權怙勢,惟殖己私:或巧規子錢,或盜行塩帖,或荒躭麯蘖,或私用親属,或田獵不時,或宴遊無度,或潛托有司之事,或妄興不急之工,或曠官苐而弗居,或縱家人而不撿。於斯數者而有一焉,皆足為風憲之累。近年南北富民多起宅以居勢要,因濟己私,既有官舍,則不必居於彼矣夫 朝廷以中臺為肅政,御史為監察,以憲司為廉訪者,政欲弭姦貪,戢侵擾,開誠布公,俾所属知所法也。今而若是,牧民之吏將焉法哉?且他人有犯,輕則吾得而言之,又重吾得聞於 上而僇之;己之所犯,其孰得而發哉?恃人不敢發,日甚一日,將如臺察何?將如天理何?故余備載其然,俾為憲司者,有則改之,無則益知所以自重。

新字:士而律身,固不可以不厳也。然有官守者,則当厳於士焉;有言責者,又当厳於有官守者焉。盖執法之臣,将以紏姦縄悪,以粛中外,以正紀綱,自律不厳,何以服眾?夫所謂厳,如処子之居室,一行一住,一語一嘿,必語礼法,厥徳乃全;跬歩有違,則人人得而訾之。苟挟権怙勢,惟殖己私:或巧規子銭,或盗行塩帖,或荒躭麯蘖,或私用親属,或田猟不時,或宴遊無度,或潜托有司之事,或妄興不急之工,或曠官苐而弗居,或縦家人而不撿。於斯数者而有一焉,皆足為風憲之累。近年南北富民多起宅以居勢要,因済己私,既有官舎,則不必居於彼矣夫 朝廷以中台為粛政,御史為監察,以憲司為廉訪者,政欲弭姦貪,戢侵擾,開誠布公,俾所属知所法也。今而若是,牧民之吏将焉法哉?且他人有犯,軽則吾得而言之,又重吾得聞於 上而僇之;己之所犯,其孰得而発哉?恃人不敢発,日甚一日,将如台察何?将如天理何?故余備載其然,俾為憲司者,有則改之,無則益知所以自重。

書き下し

士にして身を律するは固より厳ならざるべからざるなり。然れども官守有る者は則ち当に士より厳なるべし。言責有る者は又当に官守有る者より厳なるべし。蓋し執法の臣は将に姦を紏(ただ)し悪を縄(ただ)し、以て中外を粛にし、以て紀綱を正さんとす。自律厳ならずんば、何を以て衆を服せしめん。夫れ所謂厳とは、処子の室に居るが如く、一行一住、一語一嘿、必ず禮法を語り、厥の徳乃ち全し。跬歩(きほ)違う有れば、則ち人人得てこれを訾(そし)る。苟しくも権を挾み勢を怙(たの)み、惟だ己が私を殖(ふ)やさば、或いは巧みに子銭を規(はか)り、或いは盗みて塩帖を行い、或いは荒(あら)く麯蘖(きょくげつ)に躭(ふけ)り、或いは私かに親属を用い、或いは田猟時ならず、或いは宴遊度無く、或いは潜かに有司の事を托し、或いは妄りに不急の工を興し、或いは官苐(かんてい)を曠(むな)しくして居らず、或いは家人を縦(ほしいまま)にして撿(かんが)えず。斯の数者に於て一有らば、皆風憲の累たるに足る。近年南北の富民多く宅を起して以て勢要に居らしめ、因りて己が私を済(な)す。既に官舎有れば、則ち必ずしも彼に居らざるなり。夫れ朝廷、中台を以て粛政と為し、御史を監察と為し、憲司を以て廉訪と為す者は、政(まつりごと)姦貪を弭(や)め侵擾を戢(おさ)め、開誠布公にして、所属をして法とする所を知らしめんと欲すればなり。今にして是くの若くんば、牧民の吏将に焉くにか法とらん。且つ他人罪を犯す有らば、軽ければ則ち吾得てこれを言い、又重ければ吾上に聞せしめてこれを僇(りく)す。己の犯す所は其れ孰か得てこれを発せん。人を恃みて敢えて発せざること日に一日より甚だし。将に台察を如何せんとするか。将に天理を如何せんとするか。故に余備さにその然るを載せ、憲司たる者をして有らば則ちこれを改め、無くば益(ますます)自重する所以を知らしむ。

現代語訳

士たる者が身を律することは、もとより厳しくないわけにはいかない。まして官職を守る者はさらに士より厳しくあるべきであり、言論の責任を負う者(諫官)は、官職を守る者よりもさらに厳しくあるべきである。それは、法を執行する臣下は姦悪を正し、朝廷の内外を粛正し、綱紀を正そうとする立場だからである。自分を律することが厳しくなければ、どうして人々を心服させることができようか。いわゆる「厳しさ」とは、未婚の娘が部屋に籠っているかのように、一挙一動、一言一黙にいたるまで必ず礼法にのっとることであり、そうしてはじめてその徳は全うされる。わずかな歩みにも違反があれば、人々はこれを非難する。もし権勢を頼みにひたすら私腹を肥やせば――あるいは巧みに高利貸しを営み、あるいは塩の許可証を不正に流通させ、あるいは酒に溺れ、あるいは私的に親族を用い、あるいは時節を外れて狩猟し、あるいは節度なく遊興し、あるいはひそかに役所の仕事を人に託し、あるいはみだりに急がぬ土木を起こし、あるいは官職を空にして出仕せず、あるいは家人をほしいままにして取り締まらない――これらのうち一つでもあれば、みな風憲官の恥辱となるに十分である。近年、南北の富民の多くが邸宅を構えて権勢家を住まわせ、それによって自分の私利をはかっている。すでに官舎があるのだから、必ずしもそうした邸宅に住む必要はないはずである。そもそも朝廷が中台を粛政とし、御史を監察とし、憲司を廉訪としているのは、姦悪と貪欲をやめさせ、侵害や騒擾をおさめ、誠意を尽くして公正を示し、部下に従うべき法を知らしめようとするためである。それなのに今このようであれば、民を治める役人はいったい何を手本とすればよいのか。しかも他人が罪を犯せば、軽ければ自分がこれを指摘し、重ければ上に報告して罰することができる。しかし自分自身が犯した罪は、いったい誰がこれを暴くというのか。人に頼って告発されないことが日に日にひどくなれば、台察(監察の職)をどうするというのか、天理をどうするというのか。それゆえ私はこれらの事情をつぶさに記し、風憲官たる者に、当てはまることがあれば改め、なければますます自重する理由を知ってもらいたいのである。

解説

風憲忠告の冒頭を飾るこの章は、監察官が他者を律する前にまず自らを律すべきことを説く。官職の重さに応じて要求される厳しさの水準が段階的に上がるという論理は明快であり、とりわけ法を執行し人を裁く立場にある者ほど、私生活の些細な逸脱――蓄財、縁故の濫用、公務の私物化――が信用の崩壊に直結すると警告する。他人の罪は指摘できても自分の罪は誰も指摘できないという鋭い指摘は、権力を持つ者が陥りやすい「監督されない監督者」の危うさを突いている。現代の管理職やコンプライアンス責任者にとっても、部下を律する権限を持つ者ほど自らの行動に高い基準を課す必要があるという教訓は色褪せない。監視する側が監視されないという構造そのものが腐敗の温床になり得るからである。

この章句が説くこと

自律風憲綱紀

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