普勧坐禅儀 / 第四段 光陰を虚しく度ること莫れ
冀其參學高流、久習模象勿怪眞龍。精進直指端的之道、尊貴絶學無爲之人。合沓佛佛之菩提、嫡嗣祖祖之三昧。久爲恁麼、須是恁麼、寶藏自開、受用如意。
新字:冀其参学高流、久習模象勿怪真竜。精進直指端的之道、尊貴絶学無為之人。合沓仏仏之菩提、嫡嗣祖祖之三昧。久為恁麼、須是恁麼、宝蔵自開、受用如意。
書き下し
冀はくは其れ参学の高流、久しく模象に習ひて真龍を怪しむこと勿れ。直指端的の道に精進し、絶学無為の人を尊貴し、仏仏の菩提に合沓し、祖祖の三昧を嫡嗣せよ。久しく恁麼なることを為さば、須らく是れ恁麼なるべし。宝蔵自ら開けて、受用如意ならん。
現代語訳
願わくは、参学する優れた人々よ、長く作り物の龍に慣れ親しんで、本物の龍を怪しんではならない。まっすぐに心を指し示す核心の道に精進し、学ぶことを究めて作為のなくなった人を尊び、仏たちの悟りにぴたりと合い、祖師たちの三昧を正しく受け継ぎなさい。長くこのようにし続けるならば、必ずこのようになるだろう。宝の蔵はおのずから開いて、思いのままに受け用いることができるだろう。
解説
模象は、龍の絵や彫り物を好んでいた葉公が本物の龍が現れると逃げ出したという、葉公好龍の故事を踏まえる。坐禅を理念として好みながら、実際に坐ることからは逃げる人への戒めである。結びの宝蔵自開は、宝を外から取ってくるのではなく、続けるうちに内側から開くという約束だ。久しく恁麼は、長く同じことを続けること。成果を急がず続ける人にだけ開く扉があるという、この書全体の締めくくりである。
この章句が説くこと
継続葉公好竜本物三昧宝蔵精進
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