普勧坐禅儀 / 第二段 坐禅の作法
夫參禪者、靜室宜焉、飲食節矣。放捨諸縁、休息萬事。不思善惡、莫管是非。停心意識之運轉、止念想觀之測量。莫圖作佛、豈拘坐臥乎。
新字:夫参禅者、静室宜焉、飲食節矣。放捨諸縁、休息万事。不思善悪、莫管是非。停心意識之運転、止念想観之測量。莫図作仏、豈拘坐臥乎。
書き下し
夫れ参禅は静室宜しく、飲食節あり。諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪を思はず、是非を管すること莫れ。心意識の運転を停め、念想観の測量を止めて、作仏を図ること莫れ、豈に坐臥に拘はらんや。
現代語訳
そもそも参禅には静かな部屋がよく、飲食はほどほどにする。さまざまな関わりを手放し、あらゆる事を休めて、善悪を思わず、是非にかかずらってはならない。心のはたらきの動きを止め、思いや考えで推し量ることをやめて、仏になろうと企ててはならない。まして坐るか寝るかという形にとらわれることがあろうか。
解説
ここから具体的な作法に入る。まず環境と食事を整え、次に心の構えを示す。目を引くのは、仏になろうと図るなという一句である。目的を持って坐ればその目的が雑念になる。善悪や是非の判断を止めるのも、判断を捨てるためではなく、坐っている間だけは評価の癖から離れるためだ。成果を狙うほど集中が崩れるという経験は、仕事や練習でも覚えがあるはずで、坐禅の入り口はそこにある。
この章句が説くこと
坐禅善悪是非放下作仏静室
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