普勧坐禅儀 / 第四段 光陰を虚しく度ること莫れ
既得人身之機要、莫虚度光陰。保任佛道之要機、誰浪樂石火。加以、形質如草露、運命似電光。倐忽便空、須臾即失。
新字:既得人身之機要、莫虚度光陰。保任仏道之要機、誰浪楽石火。加以、形質如草露、運命似電光。倐忽便空、須臾即失。
書き下し
既に人身の機要を得たり、虚しく光陰を度ること莫れ。仏道の要機を保任す、誰か浪りに石火を楽しまん。加以、形質は草露の如く、運命は電光に似たり。倐忽として便ち空じ、須臾に即ち失す。
現代語訳
すでに人として生まれるという大切なはたらきを得たのだから、むなしく月日を過ごしてはならない。仏道の要となるはたらきを保っているのだから、誰がむやみに火打石の火花のような束の間を楽しんでいられようか。そればかりか、この身は草の露のようにはかなく、命は稲妻の光に似ている。たちまちに空しくなり、あっという間に失われてしまう。
解説
人として生まれ仏道に出会えたこと自体を得難い機会と見て、その時間を無駄にするなと迫る段である。草露と電光は無常の定番の比喩だが、ここでは嘆きではなく、だから今坐れという行動の理由として置かれている。道元は後に『正法眼蔵』でも光陰の惜しさを繰り返し説いた。やるべきことがあると分かっていながら、いつかやると考えている人に、そのいつかは保証されていないと告げる句である。
この章句が説くこと
光陰無常時間機会人身電光
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