普勧坐禅儀 / 第一段 道本円通
所以須休尋言逐語之解行、須學回光返照之退歩。身心自然脱落、本來面目現前。欲得恁麼事、急務恁麼事。
新字:所以須休尋言逐語之解行、須学回光返照之退歩。身心自然脱落、本来面目現前。欲得恁麼事、急務恁麼事。
書き下し
所以に須らく言を尋ね語を逐ふの解行を休すべし、須らく回光返照の退歩を学すべし。身心自然に脱落して、本来の面目現前せん。恁麼の事を得んと欲せば、急に恁麼の事を務めよ。
現代語訳
だから、言葉を尋ね語句を追いかけて理解しようとするやり方はやめなければならない。光をめぐらして自分自身を照らす、一歩退くやり方を学ばなければならない。そうすれば身も心もおのずから抜け落ちて、本来の姿がそのまま現れるだろう。そのようなことを得たいと思うなら、すぐにそのことに努めよ。
解説
回光返照は、外へ向かう光を自分の足もとへ返すことで、道元はそれを退歩、つまり一歩退くことと呼んだ。知識を増やす前進ではなく、自分を見直す後退こそが要るという逆転である。身心脱落は師の如浄のもとで道元が得た言葉として知られる。最後の一句は、得たいならすぐ取りかかれという実務的な締めくくりで、議論を重ねるより手を動かせと促している。本を読み続けて始めない人への処方にもなる。
この章句が説くこと
回光返照身心脱落本来の面目実践退歩文字
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