普勧坐禅儀 / 第一段 道本円通
矧彼祇園之爲生知兮、端坐六年之蹤跡可見。少林之傳心印兮、面壁九歳之聲名尚聞。古聖既然、今人盍辨。
新字:矧彼祇園之為生知兮、端坐六年之蹤跡可見。少林之伝心印兮、面壁九歳之声名尚聞。古聖既然、今人盍弁。
書き下し
矧んや彼の祇園の生知たる、端坐六年の蹤跡見つべし。少林の心印を伝ふる、面壁九歳の声名尚ほ聞こゆ。古聖既に然り、今人盍ぞ弁ぜざる。
現代語訳
まして、あの祇園精舎の釈尊は生まれながらに知る方であったのに、六年間端坐した跡をはっきり見ることができる。少林寺で心印を伝えた達磨は、九年間壁に向かって坐ったという評判がいまなお聞こえている。古の聖者でさえすでにこうであった。いまの人がどうして努めずにいてよいだろうか。
解説
道は備わっているのになぜ坐るのか、という問いへの答えとして、道元は理屈ではなく先例を置く。生まれながらに知る者とされた釈尊も六年坐り、禅を伝えた達磨も嵩山少林寺で九年壁に向かった。才能のある人ほど基本の型を長く続けた、という示し方である。今人盍辨の辨は努める意で、先人がそうしたのだから自分も、という単純な理由づけが、かえって強い説得力を持っている。
この章句が説くこと
面壁釈尊達磨継続先例端坐
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