普勧坐禅儀 / 第一段 道本円通
然而毫釐有差天地懸隔、違順纔起紛然失心。直饒誇會豐悟兮、獲瞥地之智通、得道明心兮、擧衝天之志氣、雖逍遙於入頭之邊量、幾虧闕於出身之活路。
新字:然而毫釐有差天地懸隔、違順纔起紛然失心。直饒誇会豊悟兮、獲瞥地之智通、得道明心兮、挙衝天之志気、雖逍遥於入頭之辺量、幾虧闕於出身之活路。
書き下し
然れども、毫釐も差有れば天地懸かに隔たり、違順纔かに起れば紛然として心を失す。直饒、会に誇り悟に豊かにして、瞥地の智通を獲、道を得心を明らめて、衝天の志気を挙し、入頭の辺量に逍遥すと雖も、幾んど出身の活路を虧闕す。
現代語訳
けれども、ほんのわずかでも隔たりがあれば天と地ほどにも離れてしまい、好き嫌いの心が少しでも起これば、ばらばらに乱れて心を見失う。たとえ分かったことを誇り、悟りに満ち足りて、ちらりと見える程度の智慧を得、道を得て心を明らめたと思い、天を衝くような意気を揚げ、入り口のあたりを気ままに歩き回っていたとしても、そこから抜け出る生きた道はほとんど欠けてしまっている。
解説
前の句で道は備わっていると言い切ったうえで、それでも人は一瞬で道から外れると続ける。毫釐有差天地懸隔は三祖僧璨の『信心銘』の句で、道元はそれをそのまま引いている。後半が鋭い。少し悟った手ごたえ、分かったという誇り、意気込みの高さこそが、入り口で足踏みさせる原因だと言う。できるようになった実感が次の成長を止めるという話は、仕事の上達にもそのまま当てはまる。
この章句が説くこと
悟り慢心好悪信心銘入り口志気
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