不動智神妙録 / 諫言 其二 好む所の病
惡と知り止めざるは我好む所の痛みあるゆゑなり、或は色を好むか、奢氣隨にするか、いかさま心に好む所の働きある故に善人ありとも我氣に合はされは善事を用ひず、無智なれども一旦我氣に合へば登し用ひ好むゆゑに善人はありても用ゐざれば無きが如し、
新字:悪と知り止めざるは我好む所の痛みあるゆゑなり、或は色を好むか、奢気随にするか、いかさま心に好む所の働きある故に善人ありとも我気に合はされは善事を用ひず、無智なれども一旦我気に合へば登し用ひ好むゆゑに善人はありても用ゐざれば無きが如し、
書き下し
悪と知り止めざるは我好む所の痛みあるゆゑなり、或は色を好むか、奢気随にするか、いかさま心に好む所の働きある故に善人ありとも我気に合はされは善事を用ひず、無智なれども一旦我気に合へば登し用ひ好むゆゑに善人はありても用ゐざれば無きが如し、
現代語訳
悪と知りながらやめないのは、自分の好むところに病があるからです。あるいは色を好むのか、奢りを気ままにするのか、いずれにしても心に好むところの働きがあるので、善い人がいても自分の気に合わなければ善い事を用いず、智慧がなくても一度自分の気に合えば取り立てて用い好むので、善い人はいても用いなければ、いないのと同じです。
解説
悪いと分かっていながらやめられないのは、心の中に好みという病があるからだ、と沢庵は指摘する。そしてその病は、人の用い方に表れる。優れた人がいても気に合わなければ用いず、能力がなくても気に入れば取り立てる。これでは組織に善い人がいてもいないのと同じだ。好き嫌いで人事を決めることの危うさを、四百年前にこれほど率直に書いている。上に立つ者が自分の好みを疑うことの大切さを教えている。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
人事好き嫌い登用偏りリーダー諫言
関連する章句
-
史記 季布欒布列伝季布河東の守と為る、孝文の時、人其の賢を言ふ者有り、孝文召し、以て御史大夫と為さんと欲す。復た其の勇にして、酒を使ひて近づき難きを言ふ有り。至り、邸に留まること一月、見えて罷めらる。季布因りて進みて曰く「臣功無くして竊かに寵せられ、罪を河東に待つ。陛下故無くして臣を召す、此れ人必ず臣を以て陛下を欺く者有らん。今臣至るに、事を受くる所無くして、罷め去らしむ、此れ人必ず以て臣を毀る者有らん。夫れ陛下一人の誉を以て臣を召し、一人の毀を以て臣を去らしむ、臣恐らくは天下の識有る者之を聞き以て陛下を闚ふ有らん」と。上黙然として慚ぢ、良久しくして曰く「河東は吾が股肱の郡なり、故に特に君を召せしのみ」と。布辞して官に之く。
-
『不動智神妙録』諫言 其二 好む所の病然れば幾千人ありとても、自然の時、主人の用に立つ物は一人も不可有之、彼の一旦気に入りたる無智若輩の悪人は、元より心正しからざる者故、事に臨んて一命を捨てんと思ふ事、努々不可有、心正しからさるものゝ主の用に立ちたる事は、往昔より不承及ところなり、貴殿の弟子を御取立て被成にも、箇様の事有之由、苦々敷存候、是れ皆一片の数奇好む所より其病にひかれ、悪に落入るを知らざるなり、人は知らぬと思へども微より明かなるなしとて、我心に知れは、天地鬼神万民も知るなり、如是して国を保つ、誠に危き事にあらずや、然らば大不忠なりとこそ存候へ、
-
『春秋左氏伝』文公十八年 四凶を去る昔帝鴻氏に不才の子有り、義を掩ひ賊を隱し、好んで凶德を行ひ、醜類惡物、頑嚚(ぐわんぎん)にして友ならず、是れと比周す。天下の民、之を渾敦(こんとん)と謂ふ。少皞氏に不才の子有り、信を毀ち忠を廢し、惡言を崇飾し、譖(しん)を靖(やす)んじ回(くわい)を庸(もち)ゐ、讒を服し慝(とく)を蒐(かく)し、以って盛德を誣(し)ふ。天下の民、之を窮奇と謂ふ。顓頊に不才の子有り、教訓す可からず、話言を知らず、之に告ぐれば則ち頑、之を舍(お)けば則ち嚚、明德に傲很(がうこん)し、以って天常を亂る。天下の民、之を檮杌(たうごつ)と謂ふ。此れ三族なり。世々其の凶を濟し、其の惡名を增し、以って堯に至る。堯去ること能はず。縉雲氏に不才の子有り、飲食に貪り、貨賄に冒(ばう)し、侵欲崇侈、盈厭す可からず。聚斂積實して、紀極を知らず、孤寡に分かたず、窮匱を恤(あはれ)まず。天下の民、以って三凶に比し、之を饕餮(たうてつ)と謂ふ。舜堯に臣たりて、四門に賓し、四凶族の渾敦・窮奇・檮杌・饕餮を流し、諸を四裔に投じ、以って螭魅(ちみ)を禦がしむ。是を以って堯崩じて天下一の如く、心を同じくして舜を戴き、以って天子と為す。其の十六相を舉げ、四凶を去るを以ってなり。故に虞書に舜の功を數へて曰く、「慎みて五典を徽(よ)くす、五典克く從ふ」と、教へに違ふ無きなり。曰く、「百揆に納る、百揆時に序す」と、事を廢する無きなり。曰く、「四門に賓す、四門穆穆たり」と、凶人無きなり。舜大功二十有りて天子と為る。今行父未だ一吉人を獲ずと雖も、一凶を去れり。舜の功に於いて、二十の一なり。庶幾(こひねが)はくは戾(つみ)を免れんか。
-
自警録・第十三章 広く世を渡る心がけ・好き嫌いと善悪とは違う子供が事柄について判断を下すを見るに、事の曲直、物の善悪をそのままに見ることはほとんどなく、たいがい頭から好き嫌いという立場から判断する。また普通の婦人を見ても同じことで、自分の好きなことならばただちにこれを善きものと思い、自分の嫌いなものならばすなわち悪いとみなす。「もちろん悪いとは知っていますが、どういう因果でありますか、これが私の嗜みです」ということは、常に聞くことなるも、かくのごとき申し訳は人に対し遠慮斟酌する言葉に過ぎぬのである。 「何の因果で」とか、「前世の約束」とかいう句のうちには、すでに自分の好むものは悪であり、己れの嫌うものこそ善である、またその順序を顛倒して善なるものを自分は嫌い、悪なるものを自分は好むということを認めたもので、これは心の主観的作用と事物の客観的価値と一致しないゆえである。この傾向は決して独り婦人子供のみに限らない。大人にもあり、しかも学者または識者にもあることである。自然といえばそれだけで済むようなものの、ややもすればこれがために人を害し、また己れをも傷つける危険がはなはだ多い。 婦人子供のみならず、大人にも主観と客観とを混同する者が多いといったが、最もよく理性の発達した人、あるいは心の寛大なる人ならば、右のごとき混同を来す憂いはない。ゆえに一般の教育が進むにつけ、あるいは個人が年とりて種々な経験を経たり、あるいは若い者でも少し思慮を深く用うる者であれば、この過ちに陥ることは少ない。必ずしも、世間通りに従う理由はない。もしなにもかも唯々諾々と、世の風潮によるならば、進歩することはなくなる。しかし争うほどの事ならざる以上は世と共に推遷るのが、自分のためかつ世間のためであろう。すなわち社会の安寧はそれで持って行く。 世の中の人に心を合せけん水と魚とを見るにつけても しかるに何事についても消極的に世に処すれば、どれほど広き世間もただただ狭苦しくなるのみで、 世の中が四尺五寸になりにけり五尺のからだ置き所なし と嘆くにいたるであろう。
-
『呻吟語』内篇・談道・人事は就ち是れ天命人事は就ち是れ天命なり。
-
『春秋左氏伝』文公六年 趙盾、国政を為す春、晉夷に蒐し、二軍を舍く。狐射姑をして中軍に將たらしめ、趙盾之を佐く。陽處父溫より至り、改めて董に蒐し、中軍を易ふ。陽子は成季の屬なり。故に趙氏に黨し、且つ趙盾を能ありと謂ひて曰く、「能を使ふは、國の利なり」と。是を以って之を上にす。宣子是に於いてか始めて國政を為す。事典を制し、法罪を正し、刑獄を辟(をさ)め、逋逃を董(ただ)し、質要に由り、舊洿(きうを)を治め、秩禮を本づけ、常職を續ぎ、滯淹を出だす。既に成りて、以って大傅陽子と大師賈佗とに授け、諸を晉國に行はしめて、以って常法と為す。臧文仲陳・衛の睦まじきを以って、好を陳に求めんと欲す。