不動智神妙録 / 心の置所
萬事に堅まつたるは偏に落つるとて道に嫌ひ申す事なり、何處に置かうとて思ひなければ、心は全體に伸びひろごりて行き渡りて有るものなり、心をば何處にも置かずして、敵の働によりて當位々々心を其所々にて可用心歟、總身に渡つてあれば、手の入る時には手にある心を遣ふべし、足の入る時には足にある心を遣ふべし、一所に定めて置きたらば、其置きたる所より引出し遣らんとする程に、其處に止りて用が拔け申し候、
新字:万事に堅まつたるは偏に落つるとて道に嫌ひ申す事なり、何処に置かうとて思ひなければ、心は全体に伸びひろごりて行き渡りて有るものなり、心をば何処にも置かずして、敵の働によりて当位々々心を其所々にて可用心歟、総身に渡つてあれば、手の入る時には手にある心を遣ふべし、足の入る時には足にある心を遣ふべし、一所に定めて置きたらば、其置きたる所より引出し遣らんとする程に、其処に止りて用が抜け申し候、
書き下し
万事に堅まつたるは偏に落つるとて道に嫌ひ申す事なり、何処に置かうとて思ひなければ、心は全体に伸びひろごりて行き渡りて有るものなり、心をば何処にも置かずして、敵の働によりて当位々々心を其所々にて可用心歟、総身に渡つてあれば、手の入る時には手にある心を遣ふべし、足の入る時には足にある心を遣ふべし、一所に定めて置きたらば、其置きたる所より引出し遣らんとする程に、其処に止りて用が抜け申し候、
現代語訳
何事にも固まっているのは、偏りに落ちるといって、道では嫌うことです。どこに置こうという思いがなければ、心は全体に伸び広がって行き渡っているものです。心をどこにも置かずに、敵の動きによって、その時その場で、心をその所々で用いるべきでしょうか。全身に行き渡っているので、手が必要なときには手にある心を使えばよく、足が必要なときには足にある心を使えばよいのです。一か所に定めて置いておけば、その置いた所から引き出して使おうとするので、そこにとどまって働きが抜けてしまうのです。
解説
この章句が説くこと
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李衛公問対・卷下分かつべくして分たざるは、縻軍と為る。聚まるべくして聚まらざるは、孤旅と為る。
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