不動智神妙録 / 心の置所
心の置所 心を何處に置かうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるゝなり、敵の太刀に心を置けは、敵の太刀に心を取らるゝなり、敵を切らんと思ふ所に心を置けば、敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり、我太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるゝなり、われ切られじと思ふ所に心を置けば、切られじと思ふ所に心を取らるゝなり、人の構に心を置けば、人の構に心を取らるゝなり、兎角心の置所はないと言ふ、
新字:心の置所 心を何処に置かうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるゝなり、敵の太刀に心を置けは、敵の太刀に心を取らるゝなり、敵を切らんと思ふ所に心を置けば、敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり、我太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるゝなり、われ切られじと思ふ所に心を置けば、切られじと思ふ所に心を取らるゝなり、人の構に心を置けば、人の構に心を取らるゝなり、兎角心の置所はないと言ふ、
書き下し
心の置所 心を何処に置かうぞ、敵の身の働に心を置けば、敵の身の働に心を取らるゝなり、敵の太刀に心を置けは、敵の太刀に心を取らるゝなり、敵を切らんと思ふ所に心を置けば、敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり、我太刀に心を置けば、我太刀に心を取らるゝなり、われ切られじと思ふ所に心を置けば、切られじと思ふ所に心を取らるゝなり、人の構に心を置けば、人の構に心を取らるゝなり、兎角心の置所はないと言ふ、
現代語訳
心の置き所。心をどこに置けばよいのか。敵の身の動きに心を置けば、敵の身の動きに心を取られてしまう。敵の太刀に心を置けば、敵の太刀に心を取られてしまう。敵を切ろうと思うところに心を置けば、敵を切ろうと思うところに心を取られてしまう。自分の太刀に心を置けば、自分の太刀に心を取られてしまう。自分は切られまいと思うところに心を置けば、切られまいと思うところに心を取られてしまう。人の構えに心を置けば、人の構えに心を取られてしまう。とにかく、心の置き所はないと言うのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『不動智神妙録』心の置所或人問ふて云ふは、心を臍の下に押込んで働かぬも不自由にして用が欠けば、我身の内にして何処にか心を可置ぞや、答へて曰く、右の手に置けば右の手に取られて身の用欠けるなり、心を眼に置けば眼に取られて身の用欠け申し候、右の足に心を置けば右の足に心を取られて身の用欠けるなり、何処なりとも一所に心を置けば余の方の用は皆欠けるなり然らは則ち心を何処に置くべきぞ、我答へて曰く、何処にも置かねば我身に一ばいに行きわたりて全体に延ひひろごりてある程に、手の入る時は手の用を叶へ、足の入る時は足の用を叶へ、目の入る時は目の用を叶へ、其入る所々に行きわたりてある程に、其入る所々の用を叶ふるなり、
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『不動智神妙録』心の置所万事に堅まつたるは偏に落つるとて道に嫌ひ申す事なり、何処に置かうとて思ひなければ、心は全体に伸びひろごりて行き渡りて有るものなり、心をば何処にも置かずして、敵の働によりて当位々々心を其所々にて可用心歟、総身に渡つてあれば、手の入る時には手にある心を遣ふべし、足の入る時には足にある心を遣ふべし、一所に定めて置きたらば、其置きたる所より引出し遣らんとする程に、其処に止りて用が抜け申し候、
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『不動智神妙録』無明住地煩悩向ふから打つとも吾から討つとも、打つ人にも打つ太刀にも、程にも拍子にも、卒度も心を止めれば手前の働は皆抜け候て、人にきられ可申候、敵に我身を置けば敵に心をとられ候間、我身にも心を置くべからす、我が身に心を引きしめて置くも初心の間習入り候時の事なるべし、太刀に心をとられ候、拍子合に心を置けば拍子合に心をとられ候、我太刀に心を置けば我太刀に心をとられ候、これ皆心のとまりて手前抜殻になり申し候、貴殿御覚え可有候、仏法と引当て申すにて候、仏法には此止る心を迷と申し候、故に無明住地煩悩と申すことにて候
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『不動智神妙録』心の置所或人問ふ、我心を兎角余所へやれば、心の行く所に志を取止めて敵に負けるほどに、我心を臍の下に押込めて余所にやらずして、敵の働により転化せよと云ふ、尤も左もあるべき事なり、然れども仏法の向上の段より見れば、臍の下に押込めて余所へやらぬと云ふは、段が卑きし向上にあらず、修行稽古の時の位なり、敬の字の位なり、又は孟子の放心を求めよと云ひたる位なり、上りたる向上の段にてはなし、敬の字の心持なり、放心の事は別書に記し進じ可有御覧候、臍の下に押込んで余所へやるまじきとすれば、やるまじと思ふ心に心を取られて先の用かげ殊の外不自由になるなり、
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『不動智神妙録』無明住地煩悩打太刀を見る事は見れどもそこに心をとめず、向ふの打太刀の拍子に合せて、打たうとも思はず思案分別を残さず、振上ぐる太刀を見るや否や心を卒度止めず、其まゝ付入て向ふの太刀にとりつかば、我をきらんとする刀を我が方へもぎとりて、却つて向ふを切る刀となるべく候、禅宗には是れを還把鎗頭倒刺人来ると申し候、鎗はほこにて候、人の持ちたる刀を我か方へもぎ取りて還つて相手を切ると申す心にて候、貴殿の無刀と仰せられ候事にて候、
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『不動智神妙録』心の置所万一もし一所に定めて心を置くならば、一所に取られて用は欠くべきなり、思案すれバ思案に取らるゝ程に、思案をも分別をも残さず、心をは総身に捨て置き、所々に止めずして其所々に在て用をば外さず叶ふべし、心を一所に置けば偏に落つると云ふなり、偏とは一方に片付きたる事を云ふなり、正とは何処へも行き渡つたる事なり、正心とは総身へ心を伸べて一方へ付かぬを言ふなり、心の一処に片付きて一方は欠けるを偏心と申すなり、偏を嫌ひ申し候、